二宮翁夜話 / 巻之四
翁曰、深く悪習に染みし者を、善に移らしむるは、甚難し、或は恵み或は諭す、一旦は改る事ありといへ共、又元の悪習に帰るものなり、是如何共すべなし、幾度も是を恵み教ふべし、悪習の者を善に導くは、譬ば渋柿の台木に甘柿を接穂にしたるが如し、やゝともすれば台芽の持前発生して継穂の善を害す、故に継穂をせし者、心を付て、台芽を掻き取るが如く厚く心を用ふべきなり、若怠れば台芽の為に、継穂の方は枯れ失せべし、予が預りの地に、此者数名あり、我此数名の為に心力を尽せる甚勤たり、二三子是を察せよ。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、深く悪習(あくしゅう)に染(そ)みし者を、善に移(うつ)らしむるは、甚(はなは)だ難(かた)し、或(ある)ひは恵(めぐ)み或ひは諭(さと)す、一旦(いったん)は改(あらた)まる事ありといへ共(ども)、又(また)元の悪習に帰(かえ)るものなり、是(これ)如何(いか)共(とも)すべなし、幾度(いくたび)も是を恵み教ふべし、悪習の者を善に導(みちび)くは、譬(たと)へば渋柿(しぶがき)の台木(だいぎ)に甘柿(あまがき)を接穂(つぎほ)にしたるが如(ごと)し、やゝともすれば台芽(だいめ)の持前(もちまえ)発生して継穂(つぎほ)の善を害(がい)す、故に継穂をせし者、心を付(つ)けて、台芽を掻(か)き取るが如く厚(あつ)く心を用ふべきなり、若(も)し怠(おこた)れば台芽の為に、継穂の方は枯(か)れ失(う)せべし、予(よ)が預(あず)かりの地に、此(こ)の者数名あり、我此の数名の為に心力(しんりょく)を尽(つく)せる甚だ勤(つと)めたり、二三子(にさんし)是を察(さっ)せよ。
現代語訳
翁が言われた。深く悪習に染まった者を善に移らせるのは、たいそう難しい。あるときは恵み、あるときは諭す。一時は改めることがあっても、また元の悪習に戻るものだ。これはどうしようもない。それでも幾度でも恵み教えるべきだ。悪習の者を善に導くのは、たとえば渋柿の台木に甘柿を接ぎ木するようなものだ。ともすれば台木のもとの芽が伸び出して、接いだ甘柿の善さを損なう。だから接ぎ木をした者は、気をつけて台木の芽を掻き取るように、厚く心を用いなければならない。もし怠れば台芽のために接ぎ穂のほうが枯れてしまう。私の預かる土地にこういう者が数名いる。私はこの数名のために心力を尽くしてよく努めた。門人諸君、このことをよく察してほしい。
解説
悪習に染まった人を善へ導く難しさを、接ぎ木のたとえで説いた一条です。渋柿の台木に甘柿を接いでも、油断すれば台木のもとの芽が伸びて接いだ善を枯らしてしまう。だから何度戻っても掻き取るように根気強く導け、と尊徳は説きます。人を見捨てず幾度でも恵み教える姿勢は、荒村の再建に生涯を捧げた尊徳の至誠そのものです。最後に「私はこの数名のために心力を尽くした」と述べ、教育とは一朝一夕にならず、絶え間ない手入れの積み重ね(積小為大)であることを身をもって示します。人を育てる立場にある人に、失望せず粘り強く関わり続けることの大切さを教えてくれる一条です。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳悪習接ぎ木教育積小為大
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