二宮翁夜話 / 巻之三
門人某、過て改る事あたはざるの癖あり、且多弁にして常に過を飾る、翁諭して曰、人誰か過なからざらん、過と知らば、己に反求して速に改る、是道なり、過て改ずして、其過を飾り且押張るは、知に似たり勇に似たりといへ共、実は智にあらず勇にあらず、汝は之を知勇と思へども、是は是愚且不遜といふ物にして、君子の悪む処なり、能改めよ、且若年の時は言行共に能心を付べし、嗚呼馬鹿な事を為したり、為なければよかりし、言なければよかりし、と云様なる事のなき様に心掛けべし、此事なければ富貴其中にあり、戯にも偽を云事勿れ、偽言より大害を引起し、一言の過より、大過を引出す事、往々あり、故に古人禍は口より出づと云り、人を誹り人を云落すは不徳なり、仮令誹りて至当の人物なりとも、人を誹るは宜しからず、人の過を顕すは、悪事なり、虚を実に云ひなし、鷺を烏と云ひ、針程の事を、棒程に云は大悪なり、人を褒るは善なれ共、褒過すは直道にあらず、己が善を人に誇り、我長を人に説は尤悪し、人の忌嫌ふ事は、必云事勿れ、自ら禍の種子を植るなり、慎むべし。
書き下し
門人某(それがし)、過(あやま)ちて改むる事あたはざるの癖あり、且(か)つ多弁にして常に過を飾る。翁諭(さと)して曰(いわ)く、人誰か過なからざらん。過と知らば、己に反求(はんきゅう)して速(すみや)かに改む、是(これ)道なり。過ちて改めずして、其の過を飾り且つ押し張るは、知に似たり勇に似たりといへども、実は智にあらず勇にあらず。汝(なんじ)は之を知勇と思へども、是は是(これ)愚且つ不遜といふ物にして、君子の悪(にく)む処なり。能(よ)く改めよ。且つ若年の時は言行共に能く心を付くべし。嗚呼(ああ)馬鹿な事を為したり、為さねばよかりし、言はねばよかりし、と云ふ様なる事のなき様に心掛くべし。此の事なければ富貴其の中にあり。戯(たわむ)れにも偽を云ふ事勿(なか)れ。偽言より大害を引き起し、一言の過より、大過を引き出す事、往々あり。故に古人禍(わざわい)は口より出づと云へり。人を誹(そし)り人を云ひ落すは不徳なり。仮令(たとい)誹りて至当の人物なりとも、人を誹るは宜しからず。人の過を顕(あらわ)すは、悪事なり。虚(きょ)を実に云ひなし、鷺(さぎ)を烏(からす)と云ひ、針程の事を、棒程に云ふは大悪なり。人を褒(ほ)むるは善なれども、褒め過すは直道にあらず。己が善を人に誇り、我が長を人に説くは尤(もっと)も悪し。人の忌み嫌ふ事は、必ず云ふ事勿れ、自(みずか)ら禍の種子(たね)を植(う)うるなり、慎むべし。
現代語訳
ある門人が、過ちを犯しても改めることができない癖があり、しかも口が多く、いつも過ちを取り繕っていた。翁が諭して言われた。人に過ちのない者などいようか。過ちと分かったら、自らを省みてすぐに改める、これが道だ。過ちを改めず、その過ちを飾り立ててなお言い張るのは、知恵があるようにも勇気があるようにも見えるが、実は知恵でも勇気でもない。お前はこれを知恵と勇気だと思っているが、これは愚かで不遜というもので、君子が憎むところだ。よく改めよ。また若い時は言葉も行いもよく気を付けよ。ああ馬鹿なことをした、しなければよかった、言わなければよかった、というようなことのないよう心がけよ。これがなければ富貴はその中にある。冗談にも嘘を言ってはならない。嘘から大きな害が生じ、一言の過ちから大きな過ちが引き出されることがしばしばある。だから古人は「禍は口より出づ」と言った。人をそしり人をおとしめるのは不徳だ。たとえそしられて当然の人物でも、人をそしるのはよくない。人の過ちを暴くのは悪事だ。虚を実と言いなし、鷺を烏と言い、針ほどのことを棒ほどに言うのは大悪だ。人を褒めるのは善だが、褒めすぎるのは正道ではない。自分の善を人に誇り、自分の長所を人に説くのは最も悪い。人が忌み嫌うことは決して言ってはならない。自ら禍の種を植えることになる。慎むべきだ。
解説
この章句が説くこと
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