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二宮翁夜話 / 巻之三

翁曰、善因には善果あり、悪因には悪果を結ぶ事は、皆人の知る処なれども、目前に萌して、目前に顕るゝ物なれば、人々能恐れ能謹みて、善種を植え悪種を除くべきなれども、如何せん、今日蒔く種の結果は、目前に萌さず、目前に現れずして、十年廿年乃至四十年五十年の後に現るゝ物なるが故に、人々迷ふて懼れず、歎はしき事ならずや、其上に又前世の宿縁あり、如何ともすべからず、是世の人の迷の元根なり、然れ共、世の中万般の事物、元因あらざるはなく、結果あらざるはなし、一国の治乱一家の興廃、一身の禍福皆然り、恐れ慎むで、迷ふ事勿れ

書き下し

翁(おきな)曰(いわ)く、善因(ぜんいん)には善果(ぜんか)あり、悪因(あくいん)には悪果(あっか)を結(むす)ぶ事は、皆人の知る処なれども、目前(もくぜん)に萌(きざ)して、目前に顕(あらわ)るる物なれば、人々能(よく)恐(おそ)れ能謹(つつし)みて、善種(ぜんしゅ)を植(う)え悪種(あくしゅ)を除(のぞ)くべきなれども、如何(いか)せん、今日蒔(まく)種の結果(けっか)は、目前に萌(きざ)さず、目前に現れずして、十年廿年(にじゅうねん)乃至(ないし)四十年五十年の後に現るる物なるが故に、人々迷(まよ)ふて懼(おそ)れず、歎(なげか)はしき事ならずや、其上(そのうえ)に又前世(ぜんせ)の宿縁(しゅくえん)あり、如何ともすべからず、是(これ)世の人の迷(まよい)の元根(がんこん)なり、然(しか)れども、世の中万般(ばんぱん)の事物、元因(げんいん)あらざるはなく、結果あらざるはなし、一国の治乱(ちらん)一家の興廃(こうはい)、一身の禍福(かふく)皆然(しか)り、恐れ慎(つつし)んで、迷ふ事勿(なか)れ

現代語訳

翁が言われた。善い因には善い果があり、悪い因には悪い果を結ぶことは、みな人の知るところである。もしそれが目の前に兆して目の前に現れるものなら、人々はよく恐れよく慎んで、善い種を植え悪い種を除くはずだ。しかしどうしよう、今日蒔く種の結果は、目の前に兆さず目の前に現れずに、十年二十年、あるいは四十年五十年の後に現れるものであるから、人々は迷って恐れない。嘆かわしいことではないか。その上にまた前世の宿縁があって、どうすることもできない。これが世の人の迷いの根本である。しかし、世の中の万事万物、原因のないものはなく、結果のないものはない。一国の治乱、一家の興廃、一身の禍福、みなその通りである。恐れ慎んで、迷ってはならない。

解説

善因善果・悪因悪果という因果の理を、時間差という視点から捉え直した一条です。もし結果がすぐ現れるなら誰もが慎んで善い種を蒔くだろうが、実際には十年五十年後にようやく現れるため、人は迷い恐れを忘れてしまう——ここに人の油断の根があると尊徳は見抜きます。しかし国の治乱も家の興廃も一身の禍福も、原因なくして結果はない。だからこそ結果の見えない今日この時にこそ慎んで善い種を蒔け、と説きます。これは報徳思想の積小為大——目に見えない小さな積み重ねがやがて大きな実を結ぶという確信そのものです。すぐに成果が出ないことを軽んじず、遠い未来を見据えて誠実に今を積む姿勢は、短期の結果を急ぎがちな現代人に忍耐と長期的視野の大切さを教えてくれます。

この章句が説くこと

二宮翁夜話報徳因果善因善果積小為大長期的視野

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