二宮翁夜話 / 巻之一
年若きもの数名居れり、翁諭して曰、世の中の人を見よ、一銭の柿を買ふにも、二銭の梨子を買ふにも、真頭の真直なる瑕のなきを撰りて取るにあらずや、又茶碗を一つ買ふにも、色の好き形の宜きを撰り撫て見、鳴して音を聞き、撰りに撰りてとるなり、世人皆然り、柿や梨子は買ふといへども、悪しくば捨て可なり、夫さへも此の如し、然れば人に撰れて、聟となり嫁となる者、或は仕官して立身を願ふ者、己が身に瑕ありては人の取らぬは勿論の事、その瑕多き身を以て、上に得られねば、上に眼がなひなどゝ、上を悪くいひ、人を咎るは大なる間違ひなり、みづからかへり見よ、必おのが身に瑕ある故なるべし、夫人身の瑕とは何ぞ、譬ば酒が好だとか、酒の上が悪ひとか、放蕩だとか、勝負事が好きだとか、惰弱だとか、無芸だとか、何か一つ二つの瑕あるべし、買手のなき勿論なり、是を、柿梨子に譬れば真頭が曲りて渋そふに見ゆるに同じ、されば人の買ぬも無理ならず、能勘考すべきなり、古語に、内に誠あれば必外に顕はるゝ、とあり、瑕なくして真頭の真直なる柿の売れぬと云事、あるべからず、夫何ほど草深き中にても薯蕷があれば、人が直に見付て捨てはおかず、又泥深き水中に潜伏する鰻鰌も、必人の見付て捕へる世の中也、されば内に誠有て、外にあらはれぬ道理あるべからず、此道理を能心得、身に瑕のなき様に心がくべし。
新字:年若きもの数名居れり、翁諭して曰、世の中の人を見よ、一銭の柿を買ふにも、二銭の梨子を買ふにも、真頭の真直なる瑕のなきを撰りて取るにあらずや、又茶碗を一つ買ふにも、色の好き形の宜きを撰り撫て見、鳴して音を聞き、撰りに撰りてとるなり、世人皆然り、柿や梨子は買ふといへども、悪しくば捨て可なり、夫さへも此の如し、然れば人に撰れて、婿となり嫁となる者、或は仕官して立身を願ふ者、己が身に瑕ありては人の取らぬは勿論の事、その瑕多き身を以て、上に得られねば、上に眼がなひなどゝ、上を悪くいひ、人を咎るは大なる間違ひなり、みづからかへり見よ、必おのが身に瑕ある故なるべし、夫人身の瑕とは何ぞ、譬ば酒が好だとか、酒の上が悪ひとか、放蕩だとか、勝負事が好きだとか、惰弱だとか、無芸だとか、何か一つ二つの瑕あるべし、買手のなき勿論なり、是を、柿梨子に譬れば真頭が曲りて渋そふに見ゆるに同じ、されば人の買ぬも無理ならず、能勘考すべきなり、古語に、内に誠あれば必外に顕はるゝ、とあり、瑕なくして真頭の真直なる柿の売れぬと云事、あるべからず、夫何ほど草深き中にても薯蕷があれば、人が直に見付て捨てはおかず、又泥深き水中に潜伏する鰻鰌も、必人の見付て捕へる世の中也、されば内に誠有て、外にあらはれぬ道理あるべからず、此道理を能心得、身に瑕のなき様に心がくべし。
書き下し
年若きもの数名居れり、翁(おきな)諭(さと)して曰(いわ)く、世の中の人を見よ、一銭の柿を買ふにも、二銭の梨子(なし)を買ふにも、真頭(しんとう)の真直(ますぐ)なる瑕(きず)のなきを撰(え)りて取るにあらずや、又(また)茶碗を一つ買ふにも、色の好(よ)き形の宜(よ)きを撰り撫(な)でて見、鳴(なら)して音を聞き、撰りに撰りてとるなり、世人皆(みな)然(しか)り、柿や梨子は買ふといへども、悪(あ)しくば捨(す)てて可なり、夫(それ)さへも此(かく)の如し、然(しか)れば人に撰(えら)れて、聟(むこ)となり嫁となる者、或は仕官して立身を願ふ者、己(おの)が身に瑕ありては人の取らぬは勿論の事、その瑕多き身を以て、上に得られねば、上に眼がなひなどゝ、上を悪(あし)くいひ、人を咎(とが)むるは大なる間違ひなり、みづからかへり見よ、必(かならず)おのが身に瑕ある故なるべし、夫(それ)人身(じんしん)の瑕とは何ぞ、譬(たと)へば酒が好(すき)だとか、酒の上が悪(わる)ひとか、放蕩だとか、勝負事が好きだとか、惰弱(だじゃく)だとか、無芸(むげい)だとか、何か一つ二つの瑕あるべし、買手のなき勿論なり、是を、柿梨子に譬(たと)ふれば真頭が曲りて渋そふに見ゆるに同じ、されば人の買(か)はぬも無理ならず、能(よく)勘考(かんこう)すべきなり、古語に、内に誠あれば必外に顕(あら)はるゝ、とあり、瑕なくして真頭の真直なる柿の売れぬと云事、あるべからず、夫何ほど草深き中にても薯蕷(やまいも)があれば、人が直(すぐ)に見付て捨てはおかず、又泥深き水中に潜伏する鰻(うなぎ)鰌(どじょう)も、必人の見付て捕へる世の中也(なり)、されば内に誠有て、外にあらはれぬ道理あるべからず、此道理を能(よく)心得、身に瑕のなき様に心がくべし。
現代語訳
若い者が数名いた。翁(二宮尊徳)が諭して言われた。世の中の人を見よ。一銭の柿を買うにも、二銭の梨を買うにも、へたのまっすぐな、傷のないものを選んで取るではないか。また茶碗を一つ買うにも、色のよい形のよいものを選び、撫でて見、叩いて音を聞き、選りに選って取るのだ。世間の人はみなそうだ。柿や梨は買っても、悪ければ捨ててかまわない。それでさえこうだ。ならば、人に選ばれて婿となり嫁となる者、あるいは仕官して立身を願う者が、自分の身に傷(欠点)があっては人に採られないのは当然のこと。それなのに、その傷の多い身でありながら上に採用されないと、「上には見る目がない」などと上を悪く言い、他人を咎めるのは大きな間違いだ。自分自身を省みよ。必ず自分の身に傷があるからなのだ。そもそも人の身の傷とは何か。たとえば酒が好きだとか、酒癖が悪いとか、放蕩だとか、賭け事が好きだとか、意気地がないとか、芸がないとか、何か一つ二つの欠点があるはずだ。買い手がないのは当然である。これを柿や梨にたとえれば、へたが曲がって渋そうに見えるのと同じだ。だから人が採らないのも無理はない。よく考えるべきである。古語に「内に誠があれば必ず外に現れる」とある。傷がなくへたのまっすぐな柿が売れないということはありえない。どれほど草深い中でも山芋があれば、人はすぐに見つけて捨ててはおかない。また泥深い水中に潜む鰻や泥鰌も、必ず人が見つけて捕らえる世の中だ。だから内に誠があって外に現れないという道理はない。この道理をよく心得て、身に傷のないように心がけるべきである。
解説
この章句が説くこと
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