二宮翁夜話 / 巻之四
翁曰、朝夕に善を思ふといへども、善事を為さゞれば、善人と云ふべからざるは、昼夜に悪を思ふといへども、悪を為さゞれば、悪人と云べからざるが如し、故に人は、悟道治心の修行などに暇を費さんよりは、小善事なりとも身に行ふを尊しとす、善心発らば速に是を事業に表すべし、親ある者は親を敬養すべし、子弟ある者は子弟を教育すべし、飢人を見て哀と思はゞ速に食を与ふべし、悪き事仕たり、われ過てりと心付とも、改めざれば詮なし、飢人を見て哀と思ふとも、食を与へざれば功なし、故に我道は実地実行を尊ぶ、夫世の中の事は実行にあらざれば、事はならざる物なればなり、譬ば菜虫の小なる、是を求るに得べからず、然共菜を作れば求ずして自ら生ず、孑孒の小なる、是を求るに得べからず、桶に水を溜めおけば自ら生ず、今此席に蠅を集めんとすとも、決して集らず、捕へ来りて放つとも、皆飛さる、然るに飯粒を置時は集めずして集るなり、能々此道理を弁へて、実地実行を励むべし。
書き下し
翁曰く、朝夕に善を思うといえども、善事を為さざれば、善人と云うべからざるは、昼夜に悪を思うといえども、悪を為さざれば、悪人と云うべからざるが如し、故に人は、悟道治心(ごどうちしん)の修行などに暇(いとま)を費(つい)やさんよりは、小善事なりとも身に行うを尊しとす、善心発(おこ)らば速(すみや)かに是(これ)を事業に表(あらわ)すべし、親ある者は親を敬養(けいよう)すべし、子弟(してい)ある者は子弟を教育すべし、飢人(うえびと)を見て哀(あわ)れと思わば速かに食を与うべし、悪しき事仕(し)たり、われ過(あやま)てりと心付くとも、改めざれば詮(せん)なし、飢人を見て哀れと思うとも、食を与えざれば功なし、故に我が道は実地実行を尊ぶ、夫(それ)世の中の事は実行にあらざれば、事はならざる物なればなり、譬(たと)えば菜虫(なむし)の小なる、是を求(もと)むるに得べからず、然(しか)れども菜を作れば求めずして自(おのず)から生ず、孑孒(ぼうふり)の小なる、是を求むるに得べからず、桶(おけ)に水を溜(た)めおけば自から生ず、今此の席に蠅(はえ)を集めんとすとも、決して集らず、捕(とら)え来りて放(はな)つとも、皆飛び去る、然るに飯粒を置く時は集めずして集るなり、能々(よくよく)此の道理を弁(わきま)えて、実地実行を励むべし。
現代語訳
翁が言われた。朝晩に善を思っていても、善行を実際にしなければ善人とはいえない。それは昼夜に悪を思っていても、悪事を実際にしなければ悪人といえないのと同じだ。だから人は、悟りや心を治める修行などに時間を費やすよりも、小さな善行でも実際に身をもって行うことを尊ぶべきである。善い心が起こったら、速やかにそれを行いに表すべきだ。親のある者は親を敬い養い、子弟のある者は子弟を教育し、飢えた人を見て哀れと思ったら速やかに食物を与えよ。悪いことをした、自分は過ちを犯したと気づいても、改めなければ意味がない。飢えた人を見て哀れと思っても、食物を与えなければ効き目がない。だから私の道は実地の実行を尊ぶ。そもそも世の中のことは、実行しなければ何事も成らないからである。たとえば小さな菜虫は、探し求めても得られない。しかし菜を作れば求めずとも自然に生じる。小さなぼうふらも探しても得られないが、桶に水を溜めておけば自然に生じる。今この席に蠅を集めようとしても決して集まらず、捕まえてきて放しても皆飛び去る。ところが飯粒を置けば、集めずとも集まる。よくよくこの道理をわきまえて、実地の実行に励むべきである。
解説
この章句が説くこと
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