二宮翁夜話 / 巻之四
翁曰、汝輩能々思考せよ、恩を受けて報いざる事多かるべし、徳を受て報ぜざる事少からざるべし、徳を報う事を知らざる者は、後来の栄えのみを願ひて、本を捨るが故に、自然に幸福を失ふ、能徳を報う者は、後来の栄えを後にして、前の丹精を思ふが故に、自然幸福を受て、富貴其身を放れず、夫報徳は百行の長、万善の先と云べし、能其根元を押極めて見よ、身体の根元は父母の生育にあり、父母の根元は祖父母の丹誠にあり、祖父母の根元は其父母の丹誠にあり、斯の如く極る時は、天地の命令に帰す、されば天地は大父母なり、故に、元の父母と云り、予が歌に「きのふより知らぬあしたのなつかしや元の父母ましませばこそ」、夫我も人も、一日も命長かれと願ふ心、惜しひほしひの念、天下皆同じ、何となれば明日も明後日も、日輪出玉ひて、万世替らじと思へばなり、若明日より日輪出ずと定まらば、如何にするや、此時は一切の私心執着、惜しひほしひも有べからず、されば天恩の有難き事は、誠に顕然なるべし、能思考せよ。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、汝輩(なんじら)能々(よくよく)思考せよ。恩を受けて報いざる事多かるべし、徳を受けて報ぜざる事少からざるべし。徳を報(むく)う事を知らざる者は、後来(こうらい)の栄(さか)えのみを願ひて、本(もと)を捨(すつ)るが故に、自然に幸福を失(うしな)ふ。能(よ)く徳を報う者は、後来の栄えを後にして、前(さき)の丹精を思ふが故に、自然幸福を受けて、富貴(ふうき)其(そ)の身を放(はな)れず。夫(そ)れ報徳は百行の長、万善の先と云ふべし。能く其の根元を押(お)し極めて見よ。身体(しんたい)の根元は父母の生育にあり、父母の根元は祖父母の丹誠(たんせい)にあり、祖父母の根元は其の父母の丹誠にあり。斯(か)くの如く極(きわ)まる時は、天地の命令に帰(き)す。されば天地は大父母なり、故に、元の父母と云へり。予(よ)が歌に「きのふより知らぬあしたのなつかしや元の父母ましませばこそ」。夫れ我も人も、一日も命長かれと願ふ心、惜(お)しひほしひの念、天下皆同じ。何となれば明日も明後日も、日輪(にちりん)出(いで)玉ひて、万世替(かわ)らじと思へばなり。若(も)し明日より日輪出でずと定まらば、如何(いか)にするや。此(こ)の時は一切の私心執着(しゅうじゃく)、惜しひほしひも有るべからず。されば天恩の有難き事は、誠に顕然(けんぜん)なるべし。能く思考せよ。
現代語訳
翁が言われた。おまえたち、よくよく考えてみよ。恩を受けて報いないことが多いだろう。徳を受けて報いないことも少なくあるまい。徳に報いることを知らない者は、これから先の繁栄ばかりを願って、その根本を捨てるから、自然に幸福を失う。よく徳に報いる者は、先々の繁栄を後回しにして、以前受けた丹精(恵み)を思うから、自然に幸福を受け、富貴がその身を離れない。そもそも報徳は、あらゆる行いの筆頭、あらゆる善の先駆けというべきものだ。よくその根本を突き詰めて見よ。我が身の根本は父母が生み育ててくれたことにあり、父母の根本は祖父母の丹精にあり、祖父母の根本はその父母の丹精にある。こう突き詰めていけば、行き着くところは天地の営みに帰する。だから天地は大いなる父母であり、それゆえ「元の父母」と言うのだ。私は「昨日より、まだ知らない明日が慕わしい。元の父母(天地)がおられればこそ」と詠んだ。そもそも自分も他人も、一日でも長く生きたいと願う心、惜しい・欲しいという思いは、天下みな同じだ。なぜなら明日も明後日も太陽が昇り、永遠に変わるまいと思うからである。もし明日から太陽が昇らないと決まったら、どうするだろう。そのときは一切の私心も執着も、惜しい欲しいの念もなくなるはずだ。とすれば天の恩のありがたさは、まことに明らかであろう。よくよく考えてみよ。
解説
この章句が説くこと
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二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、我が教(おしえ)は、徳を以て徳に報(むく)うの道なり、天地の徳より、君の徳、親の徳、祖先の徳、其(その)蒙(こうむ)る処(ところ)人々皆広太(こうだい)也、之に報うに我が徳行(とっこう)を以てするを云ふ、扨(さて)此(この)徳行を立てんとするには、先(ま)づ己々(おのおの)が天禄(てんろく)の分(ぶん)を明(あきら)かにして、之を守るを先とす、故に予(よ)は入門の初めに、分限(ぶげん)を取調(とりしら)べて能(よ)く弁(わきま)へさするなり、如何(いか)となれば、大凡(おおよそ)富家(ふうか)の子孫は、我家(わがや)の財産は何程(いかほど)ありや、知らぬ者多ければなり、論語に、師冕(しべん)見(まみ)ゆ、皆坐す、子の曰く、某(それがし)は斯(ここ)にありと、師冕出づ、子張(しちょう)問ひて曰く、師と言ふの道か、子の曰く、然(しか)り、固(もと)より師を助くるの道なり、とあり、予が人を教ふる、先づ分限を明細に調べ、汝(なんじ)が家株(いえかぶ)田畑何町何反歩(なんちょうなんたんぶ)、此作益金(さくえききん)何円、内借金の利子何程を引き、残り何程なり、是汝が暮すべき、一年の天禄なり、此外に取る処なく、入る処なし、此内にて勤倹(きんけん)を尽(つく)して、暮しを立て、何程か余財(よざい)を譲る事を勤むべし、是道なり、是汝が天命にして、汝が天禄なりと、皆此の如く教ふるなり、是又心盲(しんもう)の者を助くるの道なり、夫(それ)入るを計(はか)りて天分を定め、音信贈答(いんしんぞうとう)も、義理も礼義(れいぎ)も、皆此内にて為すべし、出来ざれば、皆止むべし、或は之を吝嗇(りんしょく)と云ふ者あり共(とも)、夫は言ふ方の誤(あやまり)なれば、意(い)とする事勿(なか)れ、何となれば此外に取る処なく、入る物なければなり、されば義理も交際も出来ざれば為さざるが、則(すなわ)ち礼なり義なり道なり、此理を能々(よくよく)弁へて、惑(まど)ふ事勿れ、是徳行を立つる初めなり、己(おのれ)が分度(ぶんど)立たざれば徳行は立たざる物と知るべし
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二宮翁夜話・巻之四翁(おきな)曰(いわ)く、凡(およ)そ万物(ばんぶつ)皆一(ひと)ツにては、相続(そうぞく)は出来ぬものなり、夫(それ)父母なくして生ずる物は草木なり、草木は空中に半分幹(かん)枝(し)を発(はっ)し、地中に半分根をさして生育すればなり、地を離(はな)れて相続する物は、男女二(ふた)ツを結(むす)び合せて倫(りん)をなす、則(すなわ)ち網(あみ)の目の如し、夫(それ)網は糸二筋(ふたすじ)を寄(よせ)ては結(むす)び、寄ては結びして網(あみ)となる、人倫も其(その)如く、男と女とを結び合せて、相続する物なり、只人のみならず、動物皆然り、地を離れて相続する物は、一粒の種、二(ふた)ツに割(わ)れ、其中より芽(め)を生ず、一粒の内陰陽(いんよう)あるが如し、且(かつ)天の火気を受け、地の水気を得て、地に根をさし、空に枝葉を発して生育す、則(すなわ)ち天地を父母とするなり、世人(せじん)草木の地中に根をさして、空中に育する事をば知るといへ共、空中に枝葉を発して、土中に根を育する事を知らず、空中に枝葉を発するも、土中に根を張るも一理ならずや。
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二宮翁夜話・巻之二予(よ)暇(いとま)を乞(こ)ふて帰国せんとす。翁曰く、二三男(にさんなん)に生るゝ者、他家の相続(そうぞく)人となるは則(すなわ)ち天命なり。其身の天命にて養家(ようか)に行き、其養家の身代を多少増殖(ぞうしょく)し度(た)く願ふは、是れ人情にして誰にも見ゆる常の道理なり。此外に又一ッ見え難き道理あり。他家を相続すべき道理にて他家へゆく、往く時は其家に勤(つと)むべき業あり、是を勤るは天命通常の事なり。而(しか)して其上に又一段骨を折り、一層心を尽し、養父母を安ずる様、祖父母の気に違(たが)はぬ様にと心を用ひ力を尽す時は、養家に於て気が安まるとか能く行届くとか、祖父母父母の心に安心の場が出来て養父母の歓心を得る。是れ養子たる者の積徳(せきとく)の初なり。夫れ親を養(やしな)ふは子たる者の常、頑夫(がんぷ)といへども野人といへども養はざる者なし。其養ふ内に少しも能く父母の安心する様に気に入る様にと心力を尽す時は、父母安心して百事を任(にん)ずるに至る。是れ其身の此上もなき徳なり、養子たる者の積徳の報と云ふべし。此理凡人には見え難し。是を農業の上に譬(たと)れば、米麦雑穀(ざっこく)何にても、肥(こやし)は二度為し草は三度取るとか凡そ定りはあれども、其外に一度も多く肥しを持ち草を去り、一途に作物の栄(さか)えのみを願ひ作物の為に尽す時は、其培養(ばいよう)の為に作物思ふ儘(まま)に栄(さか)ゆるなり。而して秋熟(じゅく)するに至れば、願はずして取実俵数(とりみひょうすう)多く自(おのずか)ら家を潤(うるお)す事、しらずしらず疑ひなきが如し。此理は人々家産を増殖したく思ふと同じ道理なれども、心ある者にあらざれば解し難し。是(これ)所謂(いわゆる)難解(なんげ)の理なり。
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二宮翁夜話・巻之三翁曰(いわ)く、孝経(こうきょう)に、孝弟(こうてい)の至りは神明(しんめい)に通じ、四海に光り曁(およ)ばざる処なし、又東より西より、南より北より、思ひて服せざる事なしと。此の語俗儒(ぞくじゅ)の説何の事とも解(かい)し難し。今解し易く引き下して云はば、夫(それ)孝は、親恩に報(むく)ゆるの勤めなり、弟(てい)は、兄の恩に報ゆるの勤めなり。凡(およ)そ世の中は、恩の報はずばあるべからざるの道理を能(よ)く弁知すれば、百事心の儘(まま)なる者なり。恩に報ゆるとは、借りたる物には利を添へて返して礼をいひ、世話に成りたる人には能く謝儀(しゃぎ)をし、買ひ物の代をば速(すみや)かに払ひ、日雇賃(ひようちん)をば日々払ひ、総(すべ)て恩を受けたる事を、能く考へて能く報ゆる時は、世界の物は、実に我が物の如く何事も欲する通り、思ふ通りになる。爰(ここ)に到りて、神明に通じ、四海に光り、西より東より、南より北より、思ひとして服せざる事なしとなるなり。然るに、ある歌に「三度たく飯さへこわしやわらかし思ふままにはならぬ世の中」と云へり、甚(はなは)だ違(たが)へり。是(これ)勤むる事も知らず働く事もせず、人の飯を貰ふて食ふ者などの詠めるなるべし。夫此の世の中は前に云へるが如く、恩に報ゆる事を厚く心得れば、何事も思ふままなる物なり。然るを思ふ儘にならぬと云ふは、代を払はずして品を求め、蒔(ま)かずして、米を取らんと欲すればなり。此の歌初句を「おのがたく」と直して、我が身の事にせば可ならんか。
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二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、若き者は、毎日能(よ)く勤めよ、是(これ)我が身に徳を積むなり。怠りなまけるを以て得と思ふは大なる誤なり。徳をつめば天より恵あること眼前なり。今雇人(やといにん)を以て譬(たと)へん、彼の男は能く働きて貞実(ていじつ)なり、来年は我が家に頼むべしといひ、能く勤むれば聟(むこ)に貰ふべしと云ふに至るものなり。是に反する者は、本年は取り極めたれば是非なし、来年は断るべしと云ふ様になるは眼前の事なり。無智短才(むちたんさい)なりとも能く謹み、能く顧み、身に過(あやまち)無き様にすべし。過ちは則(すなわ)ち身の疵(きず)なり。古語に「身体髪膚(しんたいはっぷ)之を父母に受く、敢(あえ)て毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり」とあり。人過てば身の疵となる事を知らず、傷さへせざればよしと思ふは違へり。且(かつ)過ちは身の疵なるのみならず、父母兄弟の顔をも汚すなり。慎まざるべけんや。