二宮翁夜話 / 巻之二
予暇を乞ふて帰国せんとす。翁曰、二三男に生るゝ者、他家の相続人となるは則ち天命なり。其身の天命にて養家に行き、其養家の身代を多少増殖し度く願ふは、是れ人情にして誰にも見ゆる常の道理なり。此外に又一ッ見え難き道理あり。他家を相続すべき道理にて他家へゆく、往く時は其家に勤むべき業あり、是を勤るは天命通常の事なり。而して其上に又一段骨を折り、一層心を尽し、養父母を安ずる様、祖父母の気に違はぬ様にと心を用ひ力を尽す時は、養家に於て気が安まるとか能く行届くとか、祖父母父母の心に安心の場が出来て養父母の歓心を得る。是れ養子たる者の積徳の初なり。夫れ親を養ふは子たる者の常、頑夫といへども野人といへども養はざる者なし。其養ふ内に少しも能く父母の安心する様に気に入る様にと心力を尽す時は、父母安心して百事を任ずるに至る。是れ其身の此上もなき徳なり、養子たる者の積徳の報と云ふべし。此理凡人には見え難し。是を農業の上に譬れば、米麦雑穀何にても、肥は二度為し草は三度取るとか凡そ定りはあれども、其外に一度も多く肥しを持ち草を去り、一途に作物の栄えのみを願ひ作物の為に尽す時は、其培養の為に作物思ふ儘に栄ゆるなり。而して秋熟するに至れば、願はずして取実俵数多く自ら家を潤す事、しらずしらず疑ひなきが如し。此理は人々家産を増殖したく思ふと同じ道理なれども、心ある者にあらざれば解し難し。是所謂難解の理なり。
書き下し
予(よ)暇(いとま)を乞(こ)ふて帰国せんとす。翁曰く、二三男(にさんなん)に生るゝ者、他家の相続(そうぞく)人となるは則(すなわ)ち天命なり。其身の天命にて養家(ようか)に行き、其養家の身代を多少増殖(ぞうしょく)し度(た)く願ふは、是れ人情にして誰にも見ゆる常の道理なり。此外に又一ッ見え難き道理あり。他家を相続すべき道理にて他家へゆく、往く時は其家に勤(つと)むべき業あり、是を勤るは天命通常の事なり。而(しか)して其上に又一段骨を折り、一層心を尽し、養父母を安ずる様、祖父母の気に違(たが)はぬ様にと心を用ひ力を尽す時は、養家に於て気が安まるとか能く行届くとか、祖父母父母の心に安心の場が出来て養父母の歓心を得る。是れ養子たる者の積徳(せきとく)の初なり。夫れ親を養(やしな)ふは子たる者の常、頑夫(がんぷ)といへども野人といへども養はざる者なし。其養ふ内に少しも能く父母の安心する様に気に入る様にと心力を尽す時は、父母安心して百事を任(にん)ずるに至る。是れ其身の此上もなき徳なり、養子たる者の積徳の報と云ふべし。此理凡人には見え難し。是を農業の上に譬(たと)れば、米麦雑穀(ざっこく)何にても、肥(こやし)は二度為し草は三度取るとか凡そ定りはあれども、其外に一度も多く肥しを持ち草を去り、一途に作物の栄(さか)えのみを願ひ作物の為に尽す時は、其培養(ばいよう)の為に作物思ふ儘(まま)に栄(さか)ゆるなり。而して秋熟(じゅく)するに至れば、願はずして取実俵数(とりみひょうすう)多く自(おのずか)ら家を潤(うるお)す事、しらずしらず疑ひなきが如し。此理は人々家産を増殖したく思ふと同じ道理なれども、心ある者にあらざれば解し難し。是(これ)所謂(いわゆる)難解(なんげ)の理なり。
現代語訳
私が暇を願い出て国へ帰ろうとした。翁が言われた。次男三男に生まれた者が他家の跡取りになるのは天命である。その天命に従って養家へ入り、その家の身代を少しでも増やそうと願うのは人情で、誰にでも見える当たり前の道理だ。だがこの外に、もう一つ見えにくい道理がある。跡取りとして他家へ行けば勤めるべき務めがあり、それを果たすのは天命として当然のこと。その上にもう一段骨を折り、いっそう心を尽くして養父母を安心させ、祖父母の気持ちに背かぬようにと力を尽くせば、養家で安らぎや行き届いた働きが生まれ、祖父母父母の心に安心の場ができて歓心を得る。これが養子の積徳の始まりだ。親を養うのは子として当たり前で、頑固者でも粗野な者でもそれはする。だがその中で、少しでも父母が安心し気に入るようにと心力を尽くせば、父母は安心して何事も任せるようになる。これはこの上ない徳であり、養子の積徳の報いというべきだ。この道理は凡人には見えにくい。農業にたとえれば、米麦雑穀いずれも肥やしは二度、草取りは三度と目安はあるが、その外にもう一度多く肥やしを与え草を取り、ひたすら作物の繁りだけを願って尽くせば、その手入れによって作物は思う存分に育つ。そして秋に実れば、願わずとも収穫の俵数が多く、知らず知らずのうちに家を潤すことは疑いない。これは人が家産を増やしたいと思う道理と同じだが、心ある者でなければ理解できない。これがいわゆる難解の理である。
解説
この章句が説くこと
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論語 堯曰篇堯曰:咨!爾舜,天之暦數在爾躬,允執其中。四海困窮,天祿永終。舜亦以命禹。曰:予小子履,敢用玄牡,敢昭告于皇皇后帝。有罪不敢赦,帝臣不蔽,簡在帝心。朕躬有罪,無以萬方,萬方有罪,罪在朕躬。
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孟子・梁惠王章句下魯平公將出。嬖人臧倉者請曰、他日君出、則必命有司所之。今乘輿已駕矣。有司未知所之。敢請。公曰、將見孟子。曰、何哉。君所為輕身以先於匹夫者、以為賢乎。禮義由賢者出。而孟子之後喪踰前喪。君無見焉。公曰、諾。樂正子入見、曰、君奚為不見孟軻也。曰、或告寡人曰、孟子之後喪踰前喪。是以不往見也。曰、何哉。君所謂踰者。前以士、後以大夫、前以三鼎、而後以五鼎與。曰、否。謂棺槨衣衾之美也。曰、非所謂踰也。貧富不同也。樂正子見孟子、曰、克告於君。君為來見也。嬖人有臧倉者沮君。君是以不果來也。曰、行或使之、止或尼之。行止非人所能也。吾之不遇魯侯、天也。臧氏之子焉能使予不遇哉。
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孟子・盡心章句下孟子曰、堯舜性者也。湯武反之也。動容周旋中禮者、盛德之至也。哭死而哀、非為生者也。經德不回、非以干祿也。言語必信、非以正行也。君子行法、以俟命而已矣。
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二宮翁夜話・巻之二小田原藩にて報徳仕法の儀は、良法には相違無しといへども、故障の次第有て、今般畳置くと云布達出づ、領民の内、是を憂ひて、翁の許に来り歎く者あり、手作の芋を持来て呈せり、翁諭して曰、夫此芋の如きは、口腹を養ひ、必用の美菜なれば、是を弘く植て、其実法りを施さんと願ふは尤なれども、天運冬に向ひ、雪霜降り、地の氷るを如何せん、強て植なば凍に損じ霜に痛み、種をも失ふに至るべし、是非もなき事なり、是人の口腹を養ふ徳ある美物なるが故に、寒気雪霜を凌ぐ力なし、食料にもならざる麁物は、却て寒気雪霜にも、痛まぬ物なり、是自然の勢、如何とも仕方なし、今日は寒気雪中なり、早く芋種は土中に埋め、藁にて囲ひ、深く納めて、来陽雪霜の消るを待べし、山谷原野一円、雪降り水氷り寒威烈しき時は、最早是切り暖には成らぬかと思ふ様なれども、雪消え氷解けて、草木の芽ばる時も又必あるべし、其時に至て囲ひ置し芋種を取出し、植る時は忽其種田甫に満て、繁茂する疑ひなし、かゝる春陽に逢ふとも種を納め囲はざれば、植殖す事あたはず、夫農事は春陽立帰り、草木芽立んとするを見て種を植ゑ、秋風吹すさみ草木枯落する時は、未雪霜の降らざるに、芋種は土中に埋めて、此処に埋ると云、心覚えをし、深く隠して来陽を待べし、道の行るる行れざるは天なり、人力を以て如何とも為し難し、此時に至ては、才智も益なし、弁舌も益なし、勇あるも又益なし、芋種を土中に埋るにしかず、夫小田原の仕法は、先君の命に依て開き、当君の命に依て畳む、皆是までなり、凡天地間の万物の生滅する、皆天地の令命による、私に生滅するにはあらず、春風に万物生じ、秋風に枯落する、皆天地の命令なり、豈私ならんや、曾子死に臨んで、予が手を開け、予が足を開け云々、と云り、予も又然り、予が日記を見よ、予が書翰留を見よ、戦々競々深淵に臨むが如く、薄氷を蹈が如し、畳置に成て予免るゝ事を知る哉と云べし、汝等早く帰りて芋種を囲ひ置、来陽春暖を待て又植弘むべし、決して心得違ひする事なかれ、慎めや慎めや
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二宮翁夜話・巻之五或問曰、因果と天命との差別如何、翁曰、因果の道理の尤見易きは、蒔種の生ふるなり、故に予人に諭すに「米蒔けば米の草はへ米の花咲つゝ米の実のる世の中」の歌を以てす、仏は、種に因て生ずる方より見て、因果と云り、然りといへども、之を地に蒔かざれば生ぜず、蒔といへども、天気を受ざれば育せず、されば種ありといへ共、天地の令命に依らざれば生育せず、花咲き実のらざる也、儒は、此方より見て天命と云るなり、夫天命とは、天の下知と云が如し、悪人の刑を免れたるを見て、仏は因縁未熟せずと云ひ、儒は天命未降らずと云、皆米を蒔て未実らざるを云なり、此悪人捕縛に就くを見て、仏は因縁熟せりと云ひ、儒は天命到れりと云、而して之を捕縛する者は上意と云り、此上意則天命と云に同じ、夫借りたる物を約定の通り返すは、世上の通則なり、されば規則の通りふむべきは定理なるを、履まざる時は、貸方之を請求して、上命を以て此規則を履ましむ、爰に至て身代限りとなる、仏は之を見て、借りたる因によりて、身代限りとなるは果也と云ひ、儒は借りて返さゞる故に身代限りの上命降れりと云なり、共に言語上に聊の違ひあるのみ、其理に於ては違ひなし、又問、因縁とは如何、翁曰、因は譬ば蒔たる種也、之を耕耘培養するは縁なり、種を蒔たる因と、培養したる縁とに依て、秋の実のりを得る、之を果と云なり。
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