二宮翁夜話 / 巻之四
翁又曰、礼法は人界の筋道なり、人界に筋道あるは、譬ば碁盤将棋盤に筋あるが如し、人は人界に立たる、筋道によらざれば、人の道は立ず、碁も将棋も其盤面の筋道によればこそ、其術も行れ、勝敗も付なれ、此盤面の筋道によらざれば、小児の碁将棋を弄ぶが如く、碁も碁にならず、将棋も将棋にならぬ也、故に人倫は礼法を尊ぶべし。
書き下し
翁(おきな)又曰(いわ)く、礼法は人界(じんかい)の筋道(すじみち)なり。人界に筋道あるは、譬(たと)へば碁盤(ごばん)将棋盤(しょうぎばん)に筋あるが如し。人は人界に立ちたる、筋道によらざれば、人の道は立たず。碁も将棋も其(そ)の盤面(ばんめん)の筋道によればこそ、其の術(じゅつ)も行はれ、勝敗(かちまけ)も付くなれ。此(こ)の盤面の筋道によらざれば、小児(しょうに)の碁将棋を弄(もてあそ)ぶが如く、碁も碁にならず、将棋も将棋にならぬなり。故に人倫(じんりん)は礼法を尊ぶべし。
現代語訳
翁がまた言われた。礼法は人間社会の筋道である。人間社会に筋道があるのは、たとえば碁盤や将棋盤に筋(線)があるようなものだ。人は人間社会に生きる以上、その筋道に従わなければ人の道は成り立たない。碁も将棋も、盤面の筋に従うからこそ技も生き、勝ち負けもつくのだ。この盤面の筋に従わなければ、子どもが碁将棋をもてあそぶように、碁も碁にならず、将棋も将棋にならない。だから人の道においては礼法を尊ぶべきである。
解説
前の一条に続き、碁将棋の比喩で今度は「礼法」の意味を説いた一条です。碁盤や将棋盤に引かれた筋(線)があってこそ、駒や石の働きが生き、勝負も成り立つ。もし筋を無視すれば、子どもの遊びと同じで碁も将棋も成立しない――尊徳はこれを人間社会における礼法にたとえます。礼儀作法は堅苦しい形式ではなく、人と人との関係が秩序をもって働くための「盤面の筋」なのだ、と。筋道あってこそ社会は機能し、各人の力も正しく発揮される。ここには秩序と規範を重んじる報徳の実際的な社会観が表れています。ルールや礼節を軽んじがちな現代にあって、共通の筋道こそが人々の営みを成り立たせるという、基本にして本質的な教えを示す一節です。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳礼法人界の筋道秩序碁将棋
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