二宮翁夜話 / 巻之四
翁曰、万国共開闢の初に、人類ある事なし、幾千歳の後初て人あり、而て人道あり、夫禽獣は欲する物を見れば、直に取りて喰ふ、取れる丈の物をば憚らず取て、譲ると云ふ事を知らず、草木も又然り、根の張らるゝ丈の地、何方迄も根を張て憚らず、是彼が道とする処也、人にして斯の如くなれば、則盗賊なり、人は然らず、米を欲すれば田を作て取り、豆腐を欲すれば銭を遣りて取る、禽獣の直に取るとは異なり、夫人道は天道とは異にして、譲道より立つ物なり、譲とは、今年の物を来年に譲り、親は子の為に譲るより成る道なり、天道には譲道なし、人道は、人の便宜を計りて立し物なれば、動ともすれば、奪心を生ず、鳥獣は誤ても、譲心の生ずる事なし、是人畜の別なり、田畑は一年耕さゞれば、荒蕪となる、荒蕪地は、百年経るも自然田畑となる事なきに同じ、人道は自然にあらず、作為の物なるが故に、人倫用弁する所の物品は、作りたる物にあらざるなし、故に、人道は作る事を勤るを善とし、破るを悪とす、百事自然に任すれば皆廃る、是を廃れぬ様に勤るを人道とす、人の用ふる衣服の類、家屋に用ふる四角なる柱、薄き板の類、其他白米搗麦味噌醤油の類、自然に田畑山林に生育せんや、仍て人道は勤めて作るを尊び、自然に任せて廃るを悪む、夫虎豹の如きは論なし、熊猪の如き、木を倒し根を穿ち、強き事言べからず、其労力も又云べからず、而て、終身労して安堵の地を得る事能はざるは、譲る事を知らず、生涯己が為のみなるが故に、労して功なきなり、縦令人といへども、譲の道を知らず、勤めざれば、安堵の地を得ざる事、禽獣に同じ、仍て人たる者は、智恵は無くとも、力は弱くとも、今年の物を来年に譲り、子孫に譲り、他に譲るの道を知りて、能行はゞ、其功必成るべし、其上に又恩に報うの心掛けあり、是又知らずば有べからず、勤めずば有べからざるの道なり。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、万国共(とも)に開闢(かいびゃく)の初めに、人類ある事なし、幾千歳の後初めて人あり、而(しか)して人道あり。夫(そ)れ禽獣(きんじゅう)は欲する物を見れば、直(ただ)ちに取りて喰(くら)ふ、取れる丈(だけ)の物をば憚(はばか)らず取りて、譲(ゆず)ると云ふ事を知らず。草木も又然り、根の張らるゝ丈の地、何方(いずかた)迄も根を張りて憚らず、是(これ)彼(かれ)が道とする処なり。人にして斯(か)くの如くなれば、則(すなわ)ち盗賊なり。人は然らず、米を欲すれば田を作りて取り、豆腐を欲すれば銭を遣(や)りて取る、禽獣の直ちに取るとは異(こと)なり。夫れ人道は天道とは異にして、譲道(じょうどう)より立つ物なり。譲とは、今年の物を来年に譲り、親は子の為に譲るより成る道なり。天道には譲道なし。人道は、人の便宜を計りて立てし物なれば、動(やや)ともすれば、奪心(だつしん)を生ず。鳥獣は誤(あやま)ても、譲心の生ずる事なし、是人畜の別なり。田畑は一年耕さゞれば、荒蕪(こうぶ)となる、荒蕪地は、百年経るも自然に田畑となる事なきに同じ。人道は自然にあらず、作為の物なるが故に、人倫用弁(ようべん)する所の物品は、作りたる物にあらざるなし。故に、人道は作る事を勤むるを善とし、破るを悪とす。百事自然に任(まか)すれば皆廃(すた)る、是を廃れぬ様に勤むるを人道とす。人の用ふる衣服の類、家屋に用ふる四角なる柱、薄き板の類、其他白米搗麦(つきむぎ)味噌醤油の類、自然に田畑山林に生育せんや。仍(よ)て人道は勤めて作るを尊び、自然に任せて廃るを悪(にく)む。夫れ虎豹(こひょう)の如きは論なし、熊猪(くまいのしし)の如き、木を倒し根を穿(うが)ち、強き事言ふべからず、其労力も又云ふべからず。而して、終身労して安堵の地を得る事能(あた)はざるは、譲る事を知らず、生涯己(おのれ)が為のみなるが故に、労して功なきなり。縦令(たとい)人といへども、譲の道を知らず、勤めざれば、安堵(あんど)の地を得ざる事、禽獣に同じ。仍て人たる者は、智恵は無くとも、力は弱(よわ)くとも、今年の物を来年に譲り、子孫に譲り、他に譲るの道を知りて、能(よ)く行はゞ、其功必ず成るべし。其上に又恩に報(むく)うの心掛けあり、是又知らずば有るべからず、勤めずば有るべからざるの道なり。
現代語訳
翁が言われた。世界が開闢した初めには人類はいなかった。幾千年もの後にはじめて人が現れ、そして人の道が生まれた。そもそも禽獣は欲しいものを見ればすぐ取って食い、取れるだけ遠慮なく取って、譲るということを知らない。草木も同じで、根を張れるだけの地にどこまでも根を張って遠慮しない。これがそれらの生き方だ。人がこのようであれば、それは盗賊である。人はそうではなく、米が欲しければ田を作って得、豆腐が欲しければ銭を払って得る。禽獣が直に奪うのとは違う。そもそも人の道は天の道とは異なり、「譲る」ことから成り立つ。譲るとは、今年の物を来年に譲り、親が子のために譲ることから成る道だ。天道には譲るということがない。人道は人の都合を図って立てたものだから、ともすれば奪う心が生じる。鳥獣は過っても譲る心は生じない。これが人と獣の違いだ。田畑は一年耕さなければ荒れ地となり、荒れ地は百年経っても自然に田畑にはならない。人道は自然ではなく人の作為によるものだから、人の暮らしに役立つ品はみな作られたものだ。だから人道は、作ることに励むのを善とし、壊すのを悪とする。すべて自然に任せればみな廃れる。それを廃れぬよう努めるのが人道だ。人の着る衣服、家に使う四角い柱や薄い板、その他白米・搗き麦・味噌・醤油の類が、自然に田畑や山林に生えるだろうか。だから人道は勤めて作ることを尊び、自然に任せて廃れさせることを憎む。虎や豹は論外として、熊や猪などは木を倒し根を掘り、その力も労力も並大抵ではない。それでも生涯働きながら安住の地を得られないのは、譲ることを知らず、一生自分のためだけだから、働いても功がないのだ。たとえ人であっても、譲る道を知らず勤めなければ、安住の地を得られないのは禽獣と同じだ。だから人たる者は、知恵はなくとも、力は弱くとも、今年の物を来年に譲り、子孫に譲り、他人に譲る道を知ってよく行えば、その功は必ず成る。その上さらに、恩に報いる心がけがある。これもまた知らずにいてはならず、勤めずにいてはならない道である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
二宮翁夜話・巻之一翁(おきな)曰(いわ)く、夫(そ)れ人道は人造(じんぞう)なり。されば自然に行はるる処の天理とは格別(かくべつ)なり。天理とは、春は生じ秋は枯れ、火は燥(かわ)けるに付き、水は卑(ひく)きに流る、昼夜運動して万古(ばんこ)易(かわ)らざる是(これ)なり。人道は日々夜々人力を尽し、保護(ほうご)して成る。故に天道の自然に任(まか)すれば、忽(たちま)ちに廃(すた)れて行はれず。故に人道は、情欲の侭(まま)にする時は、立たざるなり。譬(たと)へば漫々(まんまん)たる海上道なきが如きも、船道(ふなみち)を定め是によらざれば、岩にふるるなり。道路も同じく、己(おの)が思ふ侭にゆく時は突当り、言語(げんぎょ)も同じく、思ふままに言葉を発する時は忽ち争(あらそ)ひを生ずるなり。是に仍(よ)りて人道は、欲を押へ情を制し勤め勤めて成る物なり。夫れ美食美服を欲するは天性の自然、是をため是を忍びて家産の分内(ぶんない)に随(したが)はしむ。身体(しんたい)の安逸奢侈(あんいつしゃし)を願ふも又同じ。好む処の酒を扣(ひか)へ、安逸を戒め、欲する処の美食美服を押へ、分限(ぶんげん)の内を省(はぶ)きて有余(ゆうよ)を生じ、他に譲り向来(こうらい)に譲るべし。是を人道といふなり。
-
二宮翁夜話・巻之一翁(おきな)曰(いわ)く、夫(そ)れ人の賤(いや)しむ処の畜道(ちくどう)は天理自然の道なり。尊む処の人道は天理に順(したが)ふといへども、又作為(さくい)の道にして自然にあらず。如何(いかん)となれば、雨にはぬれ日には照られ風には吹(ふ)かれ、春は青草を喰(くら)ひ秋は木の実を喰ひ、有れば飽(あ)くまで喰ひ無き時は喰(くら)はずに居る、是(これ)自然の道にあらずして何ぞ。居宅を作りて風雨を凌ぎ、蔵を作りて米粟(べいぞく)を貯へ、衣服を製して寒暑を障(さ)へ、四時(しいじ)共に米を喰ふが如き、是作為の道にあらずして何ぞ。自然の道にあらざる明かなり。夫れ自然の道は、万古(ばんこ)廃(すた)れず、作為の道は怠れば廃る。然るに其(その)人作(じんさく)の道を誤(あやま)て、天理自然の道と思ふが故に、願ふ事成らず思ふ事叶はず、終(つい)に我世は憂世(うきよ)なりなどといふに至る。夫れ人道は荒々(こうこう)たる原野の内、土地肥饒(ひじょう)にして草木茂生する処を田畑となし、是には草の生ぜぬ様にと願ひ、土性瘠薄(せきはく)にして草木繁茂せざる地を秣場(まぐさば)となして、此処(ここ)には草の繁茂せん事を願ふが如し。是を以て、人道は作為の道にして、自然の道にあらず、遠く隔(へだ)りたる所の理を見るべきなり。
-
二宮翁夜話・巻之一翁(おきな)曰(いわ)く、夫(そ)れ世界は旋転(せんてん)してやまず、寒(かん)往けば暑(しょ)来り、暑往けば寒来り、夜明くれば昼となり、昼になれば夜となり、又万物生ずれば滅し、滅すれば生ず。譬(たと)へば銭を遣(や)れば品が来り、品を遣れば銭が来るに同じ。寝ても醒(さ)めても、居ても歩行(あるい)ても、昨日は今日になり今日は明日になる。田畑も海山も皆その通り。爰(ここ)にて薪をたきへらすほどは、山林にて生木(せいぼく)し、爰で喰(く)ひへらす丈(だけ)の穀物は、田畑にて生育す。野菜にても魚類にても、世の中にて減るほどは、田畑河海山林にて生育し、生れたる子は時々刻々年がより、築(つ)きたる堤は時々刻々に崩れ、掘(ほ)りたる堀は日々夜々に埋(うづ)まり、葺(ふ)きたる屋根は日々夜々に腐る。是(これ)即(すなわ)ち天理の常なり。然(しか)るに人道は是と異なり。如何(いかん)となれば、風雨定めなく、寒暑往来する此世界に、毛羽(もうう)なく鱗介(りんかい)なく、裸体(はだか)にて生れ出(い)で、家がなければ雨露(あめつゆ)が凌がれず、衣服がなければ寒暑が凌がれず。爰に於て、人道と云ふ物を立て、米を善とし、莠(はぐさ)を悪とし、家を造るを善とし、破るを悪とす。皆人の為に立てたる道なり。依(よ)て人道と云ふ。天理より見る時は善悪はなし。其証(そのしょう)には、天理に任(まか)する時は、皆荒地となりて、開闢(かいびゃく)のむかしに帰るなり。如何となれば、是則ち天理自然の道なればなり。夫れ天に善悪なし、故に稲と莠とを分(わか)たず、種ある者は皆生育せしめ、生気ある者は皆発生せしむ。人道はその天理に順(したが)ふといへども、其内に各(おのおの)区別をなし、稗(ひえ)莠(はぐさ)を悪とし、米麦を善とするが如き、皆人身に便利なるを善とし、不便なるを悪となす。爰に到(いた)ては天理と異なり。如何となれば、人道は人の立つる処なればなり。人道は譬(たと)へば料理物の如く、三倍酢(さんばいず)の如く、歴代の聖主賢臣料理し塩梅(あんばい)して拵(こしら)へたる物なり。されば、ともすれば破れんとす。故に政(まつりごと)を立て、教(おしえ)を立て、刑法を定め、礼法を制し、やかましくうるさく、世話をやきて、漸(ようや)く人道は立つなり。然るを天理自然の道と思ふは、大なる誤なり。能(よ)く思ふべし。
-
二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、天道は自然に行はるゝ道なり、人道は人の立つる所の道なり。元より区別判然たるを相混(あいこん)ずるは間違(まちがい)なり。人道は勤めて人力を以て保持し、自然に流動する天道の為に押流(おしなが)されぬ様にするにあり。天道に任(まか)する時は、堤(つつみ)は崩れ、川は埋(うづ)まり、橋は朽ち、家は立腐(たてくされ)となるなり。人道は之に反し、堤を築き、川を浚(さら)へ、橋を修理し、家根(やね)を葺(ふ)きて雨のもらぬ様にするにあり。身の行(おこな)ひも亦(また)此の如し、天道は寝たければ寝、遊びたければ遊び、食ひたければ食ひ、飲みたければ飲むの類なり。人道は眠たきを勤めて働き、遊びたきを励まして戒(いまし)め、食たき美食を堪(こら)へ、飲みたき酒を控へて明日の為に物を貯(たくわ)ふ是人道也。能(よ)く思ふべし。
-
二宮翁夜話・巻之三或(あるひと)問ふ、推譲(すいじょう)の論未だ了解する事能はず。一石の身代の者五斗(ごと)にて暮し五斗を譲り、十石の者五石にて暮し五石を譲るは行ひ難かるべし、如何。翁曰く、夫れ譲は人道なり。今日の物を明日に譲り、今年の物を来年に譲るの道を勤めざるは、人にして人にあらず。十銭取て十銭遣ひ、廿銭(にじっせん)取て廿銭遣ひ、宵越(よいご)しの銭を持ぬと云ふは、鳥獣(とりけもの)の道にして人道にあらず。鳥獣には今日の物を明日に譲り今年の物を来年に譲るの道なし。人は然らず、今日の物を明日に譲り今年の物を来年に譲り、其上子孫に譲り他に譲るの道あり。雇人(やといにん)と成て給金を取り、其半を遣ひ其半を向来(きょうらい)の為に譲り、或は田畑を買ひ家を立て蔵を立るは、子孫へ譲るなり。是れ世間知らず知らず人々行ふ処、則ち譲道なり。されば一石の者五斗譲るも出来難き事にはあらざるべし。如何となれば我為(わがため)の譲なればなり。此譲は教なくして出来安(できやす)し。是より上の譲は教に依らざれば出来難し。是より上の譲とは何ぞ、親戚朋友の為に譲るなり、郷里の為に譲るなり、猶出来難きは国家の為に譲るなり。此譲も到底(とうてい)我が富貴を維持せんが為なれども、眼前他に譲るが故に難きなり。家産ある者は勤めて家法を定めて推譲を行ふべし。或問ふ、夫れ譲は富者の道なり。千石の村戸数百戸あり、一戸十石なり、是れ貧にあらず富にあらざるの家なれば、譲らざるも其分なり。十一石となれば富者の分に入るが故に、十石五斗を分度と定め五斗を譲り、廿石の者は同じく五石を譲り、三十石の者は十石を譲る事と定めば如何。翁曰く、可なり。されど譲りの道は人道なり、人と生るゝ者譲りの道なくば有べからざるは論を待たずといへ共、人に寄り家に寄り、老幼多きあり病人あるあり厄介あるあれば、毎戸法を立て厳に行へと云ふといへ共、行るゝ者にあらず。只富有者に能く教へ有志者に能く勧めて行はしむべし。而て此道を勤る者は富貴(ふうき)栄誉(えいよ)之に帰し、此道を勤ざる者は富貴栄誉皆之を去る。少く行へば少く帰し、大に行へば大に帰す。予が言ふ処必ず違(たが)はじ。世の富有者に能く教へ度(た)きは此譲道なり。独り富者のみにあらず、又金穀(きんこく)のみにあらず、道も譲らずばあるべからず、畔(あぜ)も譲らずばあるべからず、言も譲らずばあるべからず、功も譲らずばあるべからず。二三子(にさんし)能く勤めよ。
-
二宮翁夜話・巻之四翁(おきな)曰(いわ)く、自然(しぜん)に行(おこな)はるゝ是(これ)天理(てんり)なり、天理に随(したが)ふといへ共(ども)、又(また)人為(じんい)を以(もっ)て行ふを人道(じんどう)と云(い)ふ、人体の柔弱(じゅうじゃく)なる、雨風雪霜寒暑昼夜、循環(じゅんかん)止まざるの世界に生れて、羽毛鱗介(うもうりんかい)の堅(かた)めなく、飲食一日も欠(か)くべからずして、爪牙(そうが)の利なし、故に身の為に便利なる道を立てざれば、身を安(やす)んずる事能(あた)はず、さればこそ、此(こ)の道を尊(たっと)んで、其(そ)の本原(ほんげん)天に出づと云ひ、天性と云ひ、善とし美とし大とするなれ、此の道の廃(すた)れざらん事を願へばなり、老子(ろうし)其(そ)の隙(すき)を見て、道の道とすべきは常の道にあらず、などゝ云へるは無理ならず、然(しか)りといへ共、此の身体を保(たも)つが為、余義(よぎ)なきを如何(いか)んせん、身、米を喰(く)ひ衣を着し家に居り、而(しか)して此の言を主張するは、又老子輩(はい)の失(しつ)と云ふべし、或(ある)ひと曰く、然(しか)らば仏言(ぶつげん)も失と云ふべき歟(か)、翁曰く、仏は生といへば滅と云ひ、有と説けば無と説き、色則是空(しきそくぜくう)と云ひ、空則是色と云へり、老荘の意とは異(こと)なり。