二宮翁夜話 / 巻之一
翁曰く、夫れ人の賤む処の畜道は天理自然の道なり。尊む処の人道は天理に順ふといへども、又作為の道にして自然にあらず。如何となれば、雨にはぬれ日には照られ風には吹れ、春は青草を喰ひ秋は木の実を喰ひ、有れば飽まで喰ひ無き時は喰はずに居る、是自然の道にあらずして何ぞ。居宅を作りて風雨を凌ぎ、蔵を作て米粟を貯へ、衣服を製して寒暑を障へ、四時共に米を喰ふが如き、是作為の道にあらずして何ぞ。自然の道にあらざる明かなり。夫れ自然の道は、万古廃れず、作為の道は怠れば廃る。然るに其人作の道を誤て、天理自然の道と思ふが故に、願ふ事成らず思ふ事叶はず、終に我世は憂世なりなどといふに至る。夫れ人道は荒々たる原野の内、土地肥饒にして草木茂生する処を田畑となし、是には草の生ぜぬ様にと願ひ、土性瘠薄にして草木繁茂せざる地を秣場となして、此処には草の繁茂せん事を願ふが如し。是を以て、人道は作為の道にして、自然の道にあらず、遠く隔りたる所の理を見るべきなり。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、夫(そ)れ人の賤(いや)しむ処の畜道(ちくどう)は天理自然の道なり。尊む処の人道は天理に順(したが)ふといへども、又作為(さくい)の道にして自然にあらず。如何(いかん)となれば、雨にはぬれ日には照られ風には吹(ふ)かれ、春は青草を喰(くら)ひ秋は木の実を喰ひ、有れば飽(あ)くまで喰ひ無き時は喰(くら)はずに居る、是(これ)自然の道にあらずして何ぞ。居宅を作りて風雨を凌ぎ、蔵を作りて米粟(べいぞく)を貯へ、衣服を製して寒暑を障(さ)へ、四時(しいじ)共に米を喰ふが如き、是作為の道にあらずして何ぞ。自然の道にあらざる明かなり。夫れ自然の道は、万古(ばんこ)廃(すた)れず、作為の道は怠れば廃る。然るに其(その)人作(じんさく)の道を誤(あやま)て、天理自然の道と思ふが故に、願ふ事成らず思ふ事叶はず、終(つい)に我世は憂世(うきよ)なりなどといふに至る。夫れ人道は荒々(こうこう)たる原野の内、土地肥饒(ひじょう)にして草木茂生する処を田畑となし、是には草の生ぜぬ様にと願ひ、土性瘠薄(せきはく)にして草木繁茂せざる地を秣場(まぐさば)となして、此処(ここ)には草の繁茂せん事を願ふが如し。是を以て、人道は作為の道にして、自然の道にあらず、遠く隔(へだ)りたる所の理を見るべきなり。
現代語訳
翁が言われた。そもそも人が卑しむ獣の道こそ天理自然の道である。人が尊ぶ人道は、天理に従うとはいえ、やはり作為の道であって自然ではない。なぜなら、雨に濡れ日に照らされ風に吹かれ、春は青草を食い秋は木の実を食い、あればあるだけ食べ、なければ食べずにいる――これが自然の道でなくて何であろう。一方、家を建てて風雨をしのぎ、蔵を建てて米や粟を蓄え、衣服を作って寒暑を防ぎ、四季を通じて米を食う――これが作為の道でなくて何であろう。自然の道でないことは明らかだ。そもそも自然の道はとこしえに廃れないが、作為の道は怠れば廃れる。ところが人はこの人作の道を取り違えて天理自然の道だと思い込むから、願うことは成らず思うことは叶わず、ついには「この世は憂き世だ」などと言うに至る。そもそも人道とは、荒れた原野のうち、土地が肥えて草木のよく茂る所を田畑にして、そこには草が生えないようにと願い、逆に土がやせて草木の茂らない土地を秣場(まぐさ場)にして、そこには草が茂ってほしいと願うようなものだ。だから人道は作為の道であって自然の道ではない。この大きく隔たった道理を、よく見きわめるべきである。
解説
この章句が説くこと
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