二宮翁夜話 / 巻之二
翁曰、村里の興復は直を挙るにあり、土地の開拓は沃土を挙るにあり、然るに善人は、兎角に退ひて引籠る癖ある物なり、勤て引出さゞれば出ず、沃土は必卑く窪き処にありて、掘出さゞれば顕れぬ物なり、爰に心付ずして開拓場をならす時は、沃土皆土中に埋りて永世顕はれず、村里の損、是より大なるはなし、村里を興復する、又同じ理なり、善人を挙て、隠れざる様にするを勤とすべし、又土地の改良を欲せば、沃土を掘出して田畑に入るべし、村里の興復は、善人を挙げ出精人を賞誉するにあり、是を賞誉するは、投票を以て耕作出精にして品行宜しく心掛宜しき者を撰み、無利足金、旋回貸附法を行ふべし、此法は譬ば米を臼にて搗が如し、杵は只臼の正中を搗くのみにして、臼の中の米、同一に白米となると同じ道理にて、返済さへ滞らざれば、社中一同知らず知らず自然と富実すべし、而て返済の滞るは、譬ば臼の米の返らざるが如し、是此仕法の大患なり、臼の米返らざる時は、村搗となりて折れ砕くる物なり、此仕法にて返済滞る時は、仕法痿靡して振はざる物なり、貸附取扱ひの時、能々注意し説諭すべし。
書き下し
翁曰く、村里の興復は直(なおき)を挙(あぐ)るにあり、土地の開拓は沃(よく)土を挙るにあり。然るに善人は、兎角(とかく)に退(しりぞ)ひて引籠(ひきこ)る癖(くせ)ある物なり、勤(つと)めて引出さゞれば出でず。沃(よく)土は必ず卑(ひく)く窪(くぼ)き処にありて、掘出さゞれば顕(あらは)れぬ物なり。爰(ここ)に心付かずして開拓場をならす時は、沃(よく)土皆土中に埋(うずま)りて永世顕(あら)はれず、村里の損、是(これ)より大なるはなし。村里を興復する、又同じ理なり。善人を挙げて、隠(かく)れざる様にするを勤とすべし。又土地の改良を欲せば、沃(よく)土を掘出して田畑に入るべし。村里の興復は、善人を挙(あ)げ、出精人を賞誉(しょうよ)するにあり。是を賞誉するは、投票(とうひょう)を以て耕作出精にして品行宜しく心掛宜しき者を撰(えら)み、無利足金、旋回(せんかい)貸附法を行ふべし。此法は譬(たと)へば米を臼(うす)にて搗(つ)くが如し。杵(きね)は只臼の正中を搗(つ)くのみにして、臼の中の米、同一に白米となると同じ道理にて、返済さへ滞(とどこほ)らざれば、社中一同知らず知らず自然と富実すべし。而(しか)て返済の滞(とどこほ)るは、譬(たと)へば臼の米の返らざるが如し。是此仕法の大患(たいかん)なり。臼の米返らざる時は、村搗(むらつき)となりて折れ砕(くだ)くる物なり。此仕法にて返済滞(とどこほ)る時は、仕法痿靡(いび)して振(ふる)はざる物なり。貸附取扱(あつか)ひの時、能々(よくよく)注意し説諭(せつゆ)すべし。
現代語訳
翁が言われた。村里の復興はまっすぐな善人を登用することにあり、土地の開拓は肥えた土を掘り出すことにある。ところが善人はとかく退いて引きこもる癖があるもので、努めて引き出さなければ出てこない。肥えた土は必ず低く窪んだ所にあって、掘り出さなければ現れない。ここに気づかず開拓地をならしてしまうと、肥えた土はみな土中に埋もれて永久に現れず、村里の損失はこれより大きいものはない。村里を復興するのも同じ理だ。善人を登用して隠れないようにするのを務めとすべきだ。また土地を改良したければ、肥えた土を掘り出して田畑に入れるべきだ。村里の復興は、善人を登用し精を出す人を表彰することにある。表彰の仕方は、投票によって耕作に精を出し品行がよく心がけのよい者を選び、無利息金の旋回貸付法を行うのがよい。この法はたとえば米を臼で搗くようなものだ。杵はただ臼の中央を搗くだけだが、臼の中の米がみな同じように白米になるのと同じ道理で、返済さえ滞らなければ、仲間一同が知らず知らずのうちに自然と豊かになる。ところが返済が滞るのは、たとえば臼の米が回らないようなものだ。これがこの仕法の大きな患いだ。臼の米が回らないと、一か所ばかり搗かれて折れ砕けてしまう。この仕法でも返済が滞ると、仕法がしぼんで振るわなくなる。貸付を取り扱うときは、よくよく注意して説き諭すべきだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
孟子・梁惠王章句下孟子、齊の宣王に見えて曰く、「所謂故國とは、喬木有るの謂を謂うに非ざるなり。世臣有るの謂なり。王には親臣無し。昔者(セキ・ジャ)進むる所、今日其の亡を知らざるなり。」王曰く、「吾、何を以て其の不才を識りて之を舍てん。」曰く、「國君、賢を進むること已むを得ざるが如くす。將に卑をして尊を踰え、疏をして戚を踰えしめんとす。慎まざる可けんや。左右皆賢なりと曰うも、未だ可ならざるなり。諸大夫皆賢と曰うも、未だ可ならざるなり。國人皆賢と曰う、然る後に之を察し、賢なるを見て、然る後に之を用いよ。左右皆不可と曰うも、聽く勿れ。諸大夫皆不可と曰うも、聽く勿れ。國人皆不可と曰う、然る後に之を察し、不可なるを見て、然る後に之を去れ。左右皆殺す可しと曰うも、聽く勿れ。諸大夫皆殺す可しと曰うも、聽く勿れ。國人皆殺す可しと曰う、然る後に之を察し、殺す可きを見て、然る後に之を殺せ。故に曰く、國人之を殺すなり、と。此の如くにして、然る後以て民の父母為る可し。」
-
孟子・盡心章句下孟子曰く、「仁賢を信ぜざれば、則ち國空虚なり。禮義無ければ、則ち上下亂る。政事無ければ、則ち財用足らず。」 <解説> 国の大事として、仁賢・禮義・政事の三者を挙げているが、尹氏云う、「三者、仁賢を以て本と為す、仁賢無ければ、則ち禮義・政事、之に處りて皆其の道を以てせず。」と。乃ち三者の中でも仁賢が最も根本であり、仁者・賢者がおればこそ、国の禮義や政治政策は善く行われるということである。
-
『韓非子』亡徵第十五境内の傑、事とされずして、封外の士を求め、功伐を以て課試せずして、好んで名問を以て舉錯し、羈旅起り貴くして以て故常を陵ぐ者は、亡ぶ可きなり。
-
史記 管晏列伝管仲夷吾は、潁上の人なり。少き時常に鮑叔牙と游び、鮑叔、其の賢なるを知れり。管仲貧困にして、常に鮑叔を欺くも、鮑叔、終に善く之を遇し、以て言を為さず。已にして鮑叔、斉の公子小白に事へ、管仲は公子糾に事ふ。小白立ちて桓公と為り、公子糾死するに及び、管仲囚はる。鮑叔遂に管仲を進む。管仲既に用ひられ、政に斉に任ず。斉の桓公以て覇たり、諸侯を九合し、天下を一匡したるは、管仲の謀なり。
-
史記 孫子呉起列伝呉起是に於いて魏の文侯の賢なるを聞き、之に事へんと欲す。文侯、李克に問ひて曰く、「呉起は何如なる人ぞ」と。李克曰く、「起は貪にして色を好む。然れども兵を用ゐるは、司馬穰苴も過ぐる能はざるなり」と。是に於いて魏の文侯以て将と為し、秦を撃ち、五城を抜く。
-
大学《秦誓》(しんせい)に曰く、「若(も)し一つの臣有らん。断断(だんだん)として他技無く、其の心休休焉(きゅうきゅうえん)として、其れ容るる有るが如し。人の技有るを、己之れ有るが如くし、人の彦聖(げんせい)なるを、其の心之を好むこと、啻(ただ)に其の口より出づるが如きのみならず。実に能く之を容(い)る。以て我が子孫黎民(れいみん)を保(やすん)ずべし、尚(な)お亦た利有らん哉(かな)。人の技有るを、媢嫉(ぼうしつ)して以て之を悪み、人の彦聖なるを、之を違(さまた)げて通ぜざらしむ。実に容るる能わず。以て我が子孫黎民を保つ能わず、亦た殆(あやう)き哉」と。唯(ただ)仁人(じんじん)のみ之を放流(ほうりゅう)し、四夷に迸(しりぞ)け、与(とも)に中国を同じくせず。此れ唯仁人のみ能く人を愛し、能く人を悪むと謂う。賢を見て挙ぐる能わず、挙げて先んずる能わざるは、命(慢)なり。不善を見て退くる能わず、退けて遠ざくる能わざるは、過ちなり。人の悪む所を好み、人の好む所を悪む、是れ人の性を拂(もと)ると謂う。災い必ず夫(そ)の身に逮(およ)ばん。是の故に君子に大道有り、必ず忠信なるを以て之を得、驕泰(きょうたい)なるを以て之を失う。