二宮翁夜話 / 巻之四
翁曰、仏に悟道の論あり、面白しといへ共、人道をば害する事あり、則生者必滅、会者定離の類なり、其本源を顕して云が故なり、悟道は譬ば、草の根は此の如き物ぞと、一々顕はして、人に見するが如し、理は然といへども、之を実地に行ふ時は皆枯るゝなり、儒道は草の根の事は言ず、草の根は見ずして可なる物と定め、根あるが為に生育する物なれば、根こそ大切なれ、培養こそ大切なれと教るが如し、夫松の木の青々と見ゆるも、桜の花の美しく匂ふも、土中に根あるが故なり、蓮花の馥郁たるも、花菖蒲の美麗なるも、泥中に根をさし居ればなり、質屋の蔵の立派なるは、質を置く貧人の多きなり、大名の城の広大なるは、領分に人民多きなり、松の根を伐れば、直に緑の先が弱り、二三日立ば、枝葉皆凋む、民窮すれば君も窮し、民富めば君も富む、明々了々、毫末も疑ひなき道理なり。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、仏に悟道(ごどう)の論あり、面白しといへ共、人道をば害する事あり、則(すなわ)ち生者必滅(しょうじゃひつめつ)、会者定離(えしゃじょうり)の類(るい)なり、其(そ)の本源を顕(あらわ)して云ふが故なり。悟道は譬(たと)へば、草の根は此(か)くの如き物ぞと、一々顕(あら)はして、人に見(み)するが如し。理は然(しか)りといへども、之(これ)を実地に行ふ時は皆枯るゝなり。儒道(じゅどう)は草の根の事は言(い)はず、草の根は見ずして可なる物と定め、根あるが為に生育する物なれば、根こそ大切なれ、培養(ばいよう)こそ大切なれと教るが如し。夫(そ)れ松の木の青々と見ゆるも、桜(さくら)の花の美(うるわ)しく匂ふも、土中に根あるが故なり。蓮花(れんげ)の馥郁(ふくいく)たるも、花菖蒲(はなしょうぶ)の美麗なるも、泥中に根をさし居(お)ればなり。質屋の蔵の立派なるは、質を置く貧人の多きなり、大名の城の広大なるは、領分に人民多きなり。松の根を伐(き)れば、直(ただ)ちに緑(みどり)の先が弱(よわ)り、二三日立(た)てば、枝葉皆凋(しぼ)む。民窮すれば君も窮し、民富めば君も富む、明々了々、毫末(ごうまつ)も疑ひなき道理なり。
現代語訳
翁が言われた。仏教には悟りの道を説く論があり、面白くはあるが、人の道を害することがある。「生者必滅・会者定離(生ある者は必ず滅し、会う者は必ず離れる)」の類がそれだ。物事の本源をむき出しに説いてしまうからである。悟りの道は、たとえば「草の根とはこのようなものだ」と一つ一つ暴いて人に見せるようなものだ。理屈はそのとおりでも、実際に行えば草はみな枯れてしまう。儒の道は草の根のことは言わず、根は見ないでよいものと定め、根があるからこそ育つのだから、根こそ大切だ、培養こそ大切だと教える。松が青々と茂るのも、桜が美しく匂うのも、土の中に根があるからだ。蓮の花が香り高く、花菖蒲が美麗なのも、泥の中に根を張っているからである。質屋の蔵が立派なのは質を置く貧しい人が多いからであり、大名の城が広大なのは領内に人民が多いからだ。松の根を切れば、たちまち緑の先が弱り、二三日で枝葉はみな萎れる。民が窮すれば君も窮し、民が富めば君も富む。明々白々、少しも疑いのない道理である。
解説
この章句が説くこと
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