二宮翁夜話 / 巻之四
翁曰、某の村の富農に怜悧なる一子あり東京聖堂に入れて、修行させんとて、父子同道し来りて、暇を告ぐ、予之を諭すに意を尽せり、曰、夫は善き事なり、然といへども、汝が家は富農にして、多く田畑を所持すと聞けり、されば農家には尊き株なり、其家株を尊く思ひ、祖先の高恩を有難く心得、道を学んで、近郷村々の人民を教へ導き、此土地を盛んにして、国恩に報いん為に、修行に出るならば、誠に宜しといへ共、祖先伝来の家株を農家なりと賤しみ、六かしき文字を学んで只世に誇らんとの心ならば、大なる間違ひなるべし、夫農家には農家の勤あり、富者には富者の勤あり、農家たる者は何程大家たりといへども、農事を能心得ずば有べからず、富者は何程の富者にても、勤倹して余財を譲り、郷里を富し、土地を美にし、国恩に報ぜずばあるべからず、此農家の道と富者の道とを、勤るが為にする学問なれば、誠に宜しといへ共、若然らず、先祖の大恩を忘れ、農業は拙し、農家は賤しと思ふ心にて学問せば、学問益々放心の助けとなりて、汝が家は滅亡せん事、疑ひなし、今日の決心汝が家の存亡に掛れり、迂闊に聞く事勿れ、予が云処決して違はじ、汝一生涯学問する共、掛る道理を発明する事は必出来まじ、又此の如く教戒する者も、必有るまじ、聖堂に積みてある万巻の書よりも、予が此一言の教訓の方、尊かるべし、予が言を用れば、汝が家は安全なり、用ひざる時は、汝が家の滅亡眼前にあり、然れば、用ひばよし、用ふる事能ずば二度予が家に来る事勿れ、予は此地の廃亡を、興復せんが為に来て居る者なれば、滅亡などの事は、聞も忌々し、必来る事勿れと戒めしに、用ふる事能はずして、東京に出たり、修行未だ成らざるに、田畑は皆他の所有となり、終に子は医者となり、親は手習師匠をして、今日を凌ぐに至れりと聞けり、痛しからずや、世間此類の心得違往々あり、予が其時の口ずさみに「ぶんぶんと障子にあぶの飛みれば明るき方へ迷ふなりけり」といへる事ありき、痛しからずや。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、某(それがし)の村の富農に怜悧(れいり)なる一子あり東京(えど)聖堂(せいどう)に入れて、修(しゅ)行させんとて、父子同道し来りて、暇(いとま)を告(つ)ぐ、予之を諭(さと)すに意を尽(つく)せり、曰く、夫(それ)は善き事なり、然(しか)といへども、汝(なんじ)が家は富農にして、多く田畑を所持すと聞けり、されば農家には尊き株なり、其家株を尊く思ひ、祖先の高恩を有難く心得、道を学(まな)んで、近郷村々の人民を教(おし)へ導(みちび)き、此土地を盛(さか)んにして、国恩に報いん為に、修行に出るならば、誠(まこと)に宜(よろ)しといへ共、祖先伝来の家株を農家なりと賤(いや)しみ、六(むず)かしき文字を学んで只世に誇(ほこ)らんとの心ならば、大なる間違ひなるべし、夫(それ)農家には農家の勤あり、富者には富者の勤あり、農家たる者は何程大家たりといへども、農事を能心得ずば有べからず、富者は何程の富者にても、勤倹して余財を譲(ゆず)り、郷里を富し、土地を美にし、国恩に報(ほう)ぜずばあるべからず、此農家の道と富者の道とを、勤るが為にする学問なれば、誠に宜しといへ共、若(もし)然らず、先祖の大恩を忘(わす)れ、農業は拙(つたな)し、農家は賤(いや)しと思ふ心にて学問せば、学問益々(ますます)放(ほう)心の助けとなりて、汝が家は滅亡(めつぼう)せん事、疑(うたが)ひなし、今日の決心汝が家の存亡(そんぼう)に掛(かか)れり、迂闊(うかつ)に聞く事勿(なか)れ、予が云処決して違はじ、汝一生涯学問する共、掛る道理を発明する事は必出来まじ、又此の如く教戒する者も、必有るまじ、聖堂に積(つ)みてある万巻の書よりも、予が此一言の教訓の方、尊(たっと)かるべし、予が言を用れば、汝が家は安全なり、用ひざる時は、汝が家の滅(めつ)亡眼前にあり、然れば、用ひばよし、用ふる事能ずば二度予が家に来る事勿れ、予は此地の廃(はい)亡を、興復(こうふく)せんが為に来て居る者なれば、滅(めつ)亡などの事は、聞も忌々し、必来る事勿れと戒(いまし)めしに、用ふる事能はずして、東京(えど)に出たり、修行未(いま)だ成(な)らざるに、田畑は皆他の所有となり、終(つい)に子は医(い)者となり、親は手習師匠をして、今日を凌(しの)ぐに至れりと聞けり、痛(いた)ましからずや、世間此類の心得違(ちがい)往々あり、予が其時の口ずさみに「ぶんぶんと障子(しょうじ)にあぶの飛(とぶ)みれば明るき方へ迷(まよ)ふなりけり」といへる事ありき、痛(いた)ましからずや。
現代語訳
翁が言われた。ある村の富農に利発な一人息子がいて、江戸の聖堂(昌平坂学問所)に入れて学問をさせようと、父子が連れ立って来て、いとまごいを告げた。私はこれを心を尽くして諭した。こう言った。それは善いことだ。しかし、お前の家は富農で、多くの田畑を持っていると聞く。ならば農家として尊い家柄だ。その家柄を尊く思い、祖先の大恩をありがたく心得、道を学んで近隣の村々の人々を教え導き、この土地を盛んにして、国の恩に報いるために修行に出るのなら、まことに結構だ。しかし、祖先伝来の家柄を「農家だ」と卑しみ、難しい文字を学んでただ世間に誇ろうという心なら、大きな間違いだ。そもそも農家には農家の務めがあり、富者には富者の務めがある。農家たる者はどれほどの大家でも農事をよく心得ていなければならない。富者はどれほどの富者でも、勤勉倹約して余った財を譲り、郷里を富ませ、土地を美しくし、国の恩に報いなければならない。この農家の道と富者の道を勤めるための学問であれば、まことに結構だ。しかしそうではなく、先祖の大恩を忘れ、農業はつまらない、農家は卑しいと思う心で学問をすれば、学問はますます浮ついた心を助長し、お前の家は必ず滅びるだろう。今日の決心はお前の家の存亡にかかっている。うかつに聞いてはならない。私の言うことは決して間違わない。お前が一生涯学問しても、この道理を悟ることはまずできまい。またこのように教え戒める者もまずいまい。聖堂に積まれた万巻の書物よりも、私のこの一言の教訓のほうが尊いはずだ。私の言葉を用いればお前の家は安全だ。用いなければお前の家の滅亡は目前にある。だから用いればよし、用いることができないなら二度と私の家に来るな。私はこの土地の荒廃を復興させるために来ている者だから、滅亡などのことは聞くのも忌々しい。決して来るなと戒めた。ところが彼はこれを用いることができず、江戸に出た。修行がまだ成らないうちに田畑はみな他人の所有となり、ついに息子は医者となり、親は手習いの師匠をして、その日を凌ぐありさまになったと聞いた。痛ましいことではないか。世間にはこの種の心得違いがしばしばある。私はその時、口ずさみに「ぶんぶんと障子に虻が飛んでいるのを見れば、明るい方へと迷い出ようとするものだなあ」と詠んだことがあった。痛ましいことではないか。
解説
この章句が説くこと
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二宮翁夜話・巻之四或(ある)人来り訪(と)う、翁曰く、某(それがし)の家は無事なりや、曰く、某の父稼穡(かしょく)に勤労する事、村内無比なり、故に作益(さくえき)多く豊(ゆた)かに経営(いとな)み来りしに、其の子悪(あ)しき事はなしといえども、稼穡を勤めず、耕耘(こううん)培養行届かず、只蒔(ま)きては刈取(かりと)るのみ、好き肥(こやし)を用うるは損なりなど云いて、田畑を肥(こや)すの益たるを知らず、故に父死して、僅(わず)かに四五年なるに、上田(じょうでん)も下田(げでん)となり、上畑(じょうばた)も下畑(げばた)となりて、作益なく、今日は経営にも差閊(さしつか)うる様になれりと、翁左右を顧(かえり)みて曰く、卿等(けいら)聞けりや、是農民一家の事なれども、自然の大道理にして、天下国家の興廃存亡も又同じ、肥を以て作物を作ると、財を散じて領民を撫育(ぶいく)し、民政に力を尽(つく)すとの違いのみ、夫(それ)国の廃亡(はいぼう)するは民政の届かざるにあり、民政届かざるの村里は、堤防溝洫(こうきょく)先(ま)ず破損し、道路橋梁(きょうりょう)次に破壊し、野橋作場道(さくばみち)等は通路なきに至るなり、堤防溝洫破損すれば、川付(かわつき)の田畑は先ず荒蕪(こうぶ)す、用悪水路破壊すれば、高田卑田(ひくた)は耕作すべからず、道路悪しければ牛馬通ぜず、肥料行届かず、精農の者といえども、力を尽すに困却(こんきゃく)し、之が為に耕作するといえども作益なし、故に人家手遠(てどお)、不便の地は捨てて耕(たがや)さざるに至る、耕さざるが故に、食物減ず、食物減ずるが故に、人民離散する也、人民離散して、田畑荒るれば租税(そぜい)の減ずるは眼前ならずや、租税減ずれば、諸侯窮(きゅう)するは当然の事なり、前の農家の興廃と少しも違う事なし、卿等心を用いよ、譬(たと)えば上国(じょうごく)の田畑は温泉の如し、下国(げこく)の田畑は、冷水の如し、上国の田地は耕耘行届かざれども、作益ある事温泉の自然に温なるが如し、下国の田畑は冷水を温湯(ぬるゆ)にするが如くなれば、人力を尽せば作益ありといえども、人力を尽さざれば、作益なし、下国辺境人民離散し、田畑荒蕪するは是が為なり。
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二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、某村(ぼうそん)某(それがし)は強欲にして積財を勤め、隣に艱難(かんなん)あるも救はず、貧窮に陥(おちい)るあるも憐(あわ)れまず、金を貸すこと酷(こく)にして高利を貪(むさぼ)り、恨(うらみ)を村里に結んで意とせず、其行ひ甚だ悪(にく)むべきが如し。然(しか)といへども其力を農事に尽す処を見る時は、近郷比類なし。耕種培養(こうしゅばいよう)、能く時に先後せず、春は原野に草を刈り、秋は山林に落葉を掻(か)き、夏は炎暑を厭(いと)はず、冬雪霜を侵し、晨(あした)に起き夜半に寝(い)ねて、力を農事に尽せり。其勤農実に至れりと云ふべし、聖賢をして農業を勤めしむるも、之に過ぐべからず。其作物の為に尽せば、秋に至つて己に利ある事を了知すること、釈氏(しゃくし)といへども又之に過ぐべからず。若し此理を人倫の間に用ひ、自(みずか)ら能く勤むる所の農術を人に教へ、郷里の為に懇誠(こんせい)を尽さば、聖賢に彷彿(ほうふつ)たらん者なり。惜しひかな此地の賢人と呼ばれんものを、惜しひかな予之を諭しゝも悟る事能はず、惜しひかな。
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二宮翁夜話・巻之三某村(ぼうそん)に貧人の若者あり、困窮(こんきゅう)甚(はなは)だしといへども、心掛宜(よろ)し。曰(いわ)く、我が貧窮は宿世(すくせ)の因なるべし、是(これ)余儀(よぎ)なき事なり、何卒(なにとぞ)して、田禄(でんろく)を復古し、老父母を安(やす)んぜんと云ひて、昼夜農事を勉強せり。或る人両親の意なりとて、嫁(よめ)を迎へん事を勧む。某(それがし)曰く、予(よ)至愚(しぐ)且つ無能無芸、金を得るの方を知らず、只農業を勉強するのみ。仍(よっ)て考ふるに、只妻を持つ事を遅くするの外、他に良策無しと決定(けつじょう)せりと云ひて、固辞す。翁是を聞きて曰く、善(よ)い哉(かな)其の志や。事を為さんと欲する者は勿論、一芸に志す者といへども、是を良策とすべし。如何(いか)となれば人の生涯は限りあり、年月は延(のば)すべからず。然(しか)らば妻を持つを遅くするの外、益を得るの策はあらざるべし。誠に善き志なり。神君の遺訓にも、己が好む処を避けて、嫌ふ処を専ら勤むべし、とあり。我が道は尤(もっと)も此の如き者を賞すべし、等閑(なおざり)に置くべからず、世話掛りたる者心得あるべし。夫(それ)世の中好む事を先にすれば、嫌ふ処忽(たちま)ちに来る、嫌ふ処を先にすれば、好む処求めずして来る。盗(ぬすみ)をなせば追手(おって)が来り、物を買へば代銀を取りに来る、金を借用すれば返済の期が来り、返さざれば差紙(さしがみ)が来る、是眼前の事なり。
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二宮翁夜話・巻之四門人某(それがし)、若年の過ちにて、所持品を質(しち)に入れ遣(つか)ひ捨(す)てて退塾(たいじゅく)せり、某の兄なる者、再(ふたた)び入塾(じゅく)を願ひ、金を出し、質(しち)入品を受戻(うけもど)して本人に渡さんとす、翁(おきな)曰(いわ)く、質を受るは其分なりといへ共、彼は富家の子なり、生涯質入れなどの事は、為(な)す可き者にあらず、不束(ふつつか)至極といへ共、心得違(ちがい)なれば是非なし、今改(あらた)めんと思はゞ、質入品は打捨て可なり、一日も質屋の手に掛りし衣服は、身に付(つけ)じと云位の精神を立ざれば、生涯の事覚束(おぼつか)なし、過(あやま)ちと知らば速(すみやか)に改め、悪(あ)しと思はゞ速に去るべし、穢(きたな)き物手に付けば、速に洗ひ去るは世の常なり、何ぞ質入したる衣服を、受戻して、着用せんや、過(あやま)て質を入れ、改めて受戻すは困窮家子弟の事なり、彼は忝(かたじけな)くも富貴の大徳を、生れ得てある大切の身なり、君子は固(かた)く窮(きゅう)すとある通り、小遣(づか)ひがなくば、遣はずに居り、只生れ得たる大徳を守りて失はざれば、必ず富家の婿(むこ)と成て、安穏(あんのん)なるべし、此の如き大徳を、生れ得て有りながら、自(みずか)ら此の大徳を捨、此大徳を失(うしな)ふ時は、再(ふたた)び取返す事出来ざる也、然る時は芸(げい)を以て活計(かっけい)を立るか、自(みずか)ら稼(かせ)がざれば、生活の道なきに至るべし、長芋すら腐(くさ)れかゝりたるを、囲(かこ)ふには、未(いま)だ腐(くさ)れぬ処より切捨ざれば、腐(くさ)り止らず、されば質に入たる衣類は、再(ふたた)び身に附じと云精神を振起(ふりおこ)し、生れ得たる富貴の徳を失はざる勤こそ大切なれ、悪友に貸したる金も、又同じく打捨べし、返さんと云とも、取る事勿(なか)れ、猶又貸すとも、悪友の縁(えん)を絶(た)ち、悪友に近付ぬを専務(せんむ)とすべし、是(これ)能心得べき事なり、彼が如きは身分をさへ謹(つつし)んで、生れ得たる徳を失はざれば、生涯安穏にして、財宝は自然集(あつま)り、随分他の窮(きゅう)をも救(すく)ふべき大徳、生れながら備(そなわ)る者なり、能此理を諭(さと)して誤(あやま)らしむる事勿れ。
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二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、農家は作物の為とのみ勤めて朝夕力を尽し、心を尽す時は、自然願はずして穀物蔵に満(みつ)るなり。穀物蔵にあれば呼ばずして魚売りも来り、小間物屋(こまものや)も来り、何もかも安楽自在なり。又村里を見るに籬(まがき)丈夫に住居の掃除も届き、積肥(つみごえ)沢山積重ねたるは、何となく福々(ふくぶく)しき。其家の田畑は隅々まで行届き出来、平(たいら)に穂先揃ひて見事なるものなり。又之に反して出来不平(ふびょう)にして穂先揃はず、稗(ひえ)あり艸(くさ)あり、何となく見苦しき田畑の作主(つくりぬし)の家は、籬も破れ、家居(いえい)不潔なるものなり。又一種不精者(ぶしょうもの)の困窮ながらも家居は清潔に住むあり、是は籬其外も行き届きたれど、家に俵(たわら)なく、農具なく、庭に積肥なく、何となくさみしきものなり。又人気(じんき)和せざる村里は四壁の竹木も不揃(ふぞろ)ひにて、道路悪敷(あしく)堰(せき)用水路に笹茂るなど見苦しきものなり、大凡(おおよそ)違はじ。
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二宮翁夜話・巻之二翁曰く、学問は活用を尊(たっと)ぶ。万巻の書を読むといへ共、活用せざれば用はなさぬものなり。論語に、里は仁をよしとす、撰(えら)んで仁に居らずんば焉(いずく)んぞ智を得ん、とあり、誠に名言なり。然(しか)りといへども、遊歴人(ゆうれきじん)や店借人(たながりにん)などならば、撰んで仁の村に居る事も出来べし。されど田畑山林家蔵を所有する何村の何某(なにがし)なる者、如何なる仁義の村があればとて、其村に引越す事出来べきや。さりとて其不仁の村に不快ながら住居ては、智者とは云はれざる勿論なり。扨(さて)断然(だんぜん)不仁の村を捨て、仁義の村に引越す者ありとも、我は是を智者とは云はず、書を読んで活用を知らざる愚者と云ふべし。如何となれば、何村の何某と云はるゝ程の者、全戸を他村に引移す事容易にあらず、其費用も莫大なるべし。此莫大の費金を捨(すて)、住馴(すみなれ)し古郷を捨(すつ)る、愚にあらずして何ぞ。夫(それ)人に道あり、道は蛮貊(ばんぱく)の邦といへども行はるゝ物なれば、如何なる不仁の村里といへ共道の行はれざる事あるべからず。自(みずか)ら此道を行ひて、不仁の村を仁義の村に為して、先祖代々其処に永住するをこそ、智といふべけれ。此の如くならざれば、決して智者といふべからず。然して其不仁の村を、仁義の村にする、甚(はなは)だ難からず。先(ま)づ自分道を蹈(ふん)で、己が家を仁にするにあるなり。己が家仁にならずして、村里を仁にせんとするは、白砂を炊(かし)いで飯(めし)にせんとするに同じ。己が家誠に仁になれば、村里仁にならざる事なし。古語に曰く、一家仁なれば一国仁に興(おこ)り、一家譲(ゆず)りあれば一国譲に興る。又曰く、誠に仁に志せば悪なし、とある通り、決して疑(うたが)ひなき物なり。夫(それ)爰(ここ)に竹木など本末入交り、竪横(たてよこ)に入乱れたるあり。是を一本づゝ本を本にし、末を末にして止(や)まざる時は、終に皆本末揃(そろ)ひて整然となるが如し。古語に、直(なおき)を挙(あげ)て諸(もろもろ)の曲(まが)れるを措(お)く時はよく曲れる者をして直からしむ、とある通り、善人を挙げ直人を挙げて、厚(あつ)く賞誉(しょうよ)して怠(おこた)らざる時は、必ず四五ヶ年間を出でずして、整然たる仁義の村となる事、疑(うたが)ひなき物なり。世間の富者、此理に闇(くら)く書を読んで活用を知らず、我家を仁義にする事を知らず、徒(いたず)らに迷(まよ)ひを取りて、村里の不仁なるを悪(にく)み、村人義を知らず、人気悪し風儀悪しと詈(ののし)り、他方に移(うつ)らんとする者往々あり、愚と云ふべし。扨(さて)村里の人気を一新し風俗を一洗すると云ふ事、尤(もっと)も難(かた)き事なれども、誠心を以てし、其法方を得れば、左程難(かた)き事にはあらざるなり。先(ま)づ衰貧(すいひん)を挽回(ばんかい)し、頽廃(たいはい)を興復するより手を下し、方法の如くして漸次(ぜんじ)、人気風儀を一洗すべし。扨人気風儀を一新なすに機会(きかい)あり。譬(たと)へば今爰(ここ)に戸数一百の邑(むら)あり、其中四十戸は衣食不足なく、六十戸は窮乏なれば、一邑其貧を恥(はじ)とせず。貧を恥とせざれば租税を納(おさ)めざるを恥ぢず、借財を返さゞるを恥ぢず、夫役を怠るを恥ぢず、質(しち)を入るを恥ぢず、暴(ぼう)を云ふを恥ぢず。此の如くなれば、上の法令も里正(りせい)の権(けん)も行はれず。法令行はれざる時は悪行至らざる処なし。何を以て之を導(みちび)かん。爰(ここ)に到りては法令も教諭(きょうゆ)も皆益なきなり。又百戸の中、六十戸は衣食不足なく、四十戸は貧窮なる時は、教(おし)へずして自(おのづか)ら恥を生ず。恥を生ずれば義心を生ず。義心生ずれば、租税を納めざるを恥ぢ、借財を返さゞるを恥ぢ、夫役を怠るを恥ぢ、質を入るを恥ぢ、暴(ぼう)を云ふを恥づるに至る。爰(ここ)に至りて法令も行はれ、教導も行はれ、善道に導(みちび)くべく、勉強にも趣(おもむ)かしむべし。其機(き)斯(かく)の如し。譬(たと)へば権衡(はかり)の釣合の如し。左重ければ左に傾(かたむ)き、右重ければ右に傾くが如く、村内貧多き時は貧に傾き、悪多き時は悪に傾く。故に相共に恥なし。富多き時は富に傾き、善多き時は善に傾く。故に恥を生ずれば義心を生ず。汚俗を一洗し、一村を興復するの業、只此機あるのみ。知らずばあるべからず。如何なる良法仁術と云ふとも、村中一戸も貧者無からしむるは難しとす。如何となれば、人に勤惰(きんだ)あり強弱(きょうじゃく)あり智愚あり、家に積善あり不積善あり、加之(しかのみならず)前世の宿因もあり、是を如何とも為すべからず。此の如きの貧者は、只其時々の不足を補(おぎな)ふて、覆墜(ふくつい)せざらしむるにあり。