二宮翁夜話 / 巻之二
翁曰、学問は活用を尊ぶ、万巻の書を読むといへ共、活用せざれば用はなさぬものなり、論語に、里は仁をよしとす、撰んで仁に居らずんば焉ぞ智を得ん、とあり、誠に名言なり、然といへども、遊歴人や店借人などならば、撰んで仁の村に居る事も出来べし、されど田畑山林家蔵を所有する何村の何某なる者、如何なる仁義の村があればとて、其村に引越す事出来べきや、さりとて其不仁の村に不快ながら住居ては、智者とは云はれざる勿論なり、扨断然不仁の村を捨て、仁義の村に引越す者ありとも我は是を智者とは云ず、書を読んで活用を知らざる愚者と云べし、如何となれば、何村の何某と云るゝ程の者、全戸を他村に引移す事容易にあらず、其費用も莫大なるべし、此莫大の費金を捨、住馴し古郷を捨る、愚にあらずして何ぞ、夫人に道あり、道は蛮貊の邦といへども行はるゝ物なれば、如何なる不仁の村里といへ共道の行れざる事あるべからず、自此道を行ひて、不仁の村を仁義の村に為して、先祖代々其処に永住するをこそ、智といふべけれ、此の如くならざれば、決して智者といふべからず、然して其不仁の村を、仁義の村にする、甚難からず、先自分道を蹈で、己が家を仁にするにあるなり、己が家仁にならずして、村里を仁にせんとするは、白砂を炊で飯にせんとするに同じ、己が家誠に仁になれば、村里仁にならざる事なし、古語に曰、一家仁なれば一国仁に興り、一家譲あれば一国譲に興る、又曰、誠に仁に志せば悪なし、とある通り、決して疑ひなき物なり、夫爰に竹木など本末入交り、竪横に入乱れたるあり、是を一本づゝ本を本にし、末を末にして止ざる時は、終に皆本末揃ひて整然となるが如し、古語に、直を挙て諸の曲れるを措く時はよく曲れる者をして直からしむ、とある通り、善人を挙げ直人を挙て、厚賞誉して怠らざる時は必四五ヶ年間を出ずして、整然たる仁義の村となる事、疑ひなき物なり、世間の富者、此理に闇く書を読んで活用を知らず、我家を仁義にする事を知らず、徒らに迷を取て、村里の不仁なるを悪み村人義を知らず、人気悪し風儀悪しと詈り、他方に移らんとする者往々あり、愚と云べし、扨村里の人気を一新し風俗を一洗すると云事、尤難き事なれども、誠心を以てし、其法方を得れば、左程難き事にはあらざるなり、先衰貧を挽回し、頽廃を興復するより手を下し方法の如くして漸次、人気風儀を一洗すべし、扨人気風儀を一新なすに機会あり、譬ば今爰に戸数一百の邑あり、其中四十戸は衣食不足なく、六十戸は窮乏なれば、一邑其貧を恥とせず、貧を恥とせざれば租税を納ざるを恥ず、借財を返さゞるを恥ず、夫役を怠るを恥ず、質を入るを恥ず、暴を云を恥ず、此の如くなれば、上の法令も里正の権も行れず、法令行れざる時は悪行至らざる処なし、何を以て之を導ん、爰に到ては法令も教諭も皆益なきなり、又百戸の中、六十戸は衣食不足なく、四十戸は貧窮なる時は、教ずして自恥を生ず、恥を生ずれば、義心を生ず、義心生ずれば、租税を納めざるを恥ぢ、借財を返さゞるを恥ぢ、夫役を怠るを恥ぢ、質を入るを恥ぢ、暴を云を恥るに至る、爰に至て法令も行れ、教導も行れ、善道に導くべく、勉強にも趣しむべし、其機斯の如し、譬ば権衡の釣合の如し、左重ければ左に傾き、右重ければ右に傾くが如く、村内貧多き時は貧に傾き、悪多き時は悪に傾く、故に相共に恥なし、富多き時は富に傾き、善多き時は善に傾く、故に恥を生ずれば義心を生ず、汚俗を一洗し、一村を興復するの業、只此機あるのみ、知らずばあるべからず、如何なる良法仁術と云とも、村中一戸も貧者無からしむるは難しとす、如何となれば、人に勤惰あり強弱あり智愚あり、家に積善あり不積善あり、加之前世の宿因もあり、是を如何とも為べからず、此の如きの貧者は、只其時々の不足を補ふて、覆墜せざらしむるにあり。
書き下し
翁曰く、学問は活用を尊(たっと)ぶ。万巻の書を読むといへ共、活用せざれば用はなさぬものなり。論語に、里は仁をよしとす、撰(えら)んで仁に居らずんば焉(いずく)んぞ智を得ん、とあり、誠に名言なり。然(しか)りといへども、遊歴人(ゆうれきじん)や店借人(たながりにん)などならば、撰んで仁の村に居る事も出来べし。されど田畑山林家蔵を所有する何村の何某(なにがし)なる者、如何なる仁義の村があればとて、其村に引越す事出来べきや。さりとて其不仁の村に不快ながら住居ては、智者とは云はれざる勿論なり。扨(さて)断然(だんぜん)不仁の村を捨て、仁義の村に引越す者ありとも、我は是を智者とは云はず、書を読んで活用を知らざる愚者と云ふべし。如何となれば、何村の何某と云はるゝ程の者、全戸を他村に引移す事容易にあらず、其費用も莫大なるべし。此莫大の費金を捨(すて)、住馴(すみなれ)し古郷を捨(すつ)る、愚にあらずして何ぞ。夫(それ)人に道あり、道は蛮貊(ばんぱく)の邦といへども行はるゝ物なれば、如何なる不仁の村里といへ共道の行はれざる事あるべからず。自(みずか)ら此道を行ひて、不仁の村を仁義の村に為して、先祖代々其処に永住するをこそ、智といふべけれ。此の如くならざれば、決して智者といふべからず。然して其不仁の村を、仁義の村にする、甚(はなは)だ難からず。先(ま)づ自分道を蹈(ふん)で、己が家を仁にするにあるなり。己が家仁にならずして、村里を仁にせんとするは、白砂を炊(かし)いで飯(めし)にせんとするに同じ。己が家誠に仁になれば、村里仁にならざる事なし。古語に曰く、一家仁なれば一国仁に興(おこ)り、一家譲(ゆず)りあれば一国譲に興る。又曰く、誠に仁に志せば悪なし、とある通り、決して疑(うたが)ひなき物なり。夫(それ)爰(ここ)に竹木など本末入交り、竪横(たてよこ)に入乱れたるあり。是を一本づゝ本を本にし、末を末にして止(や)まざる時は、終に皆本末揃(そろ)ひて整然となるが如し。古語に、直(なおき)を挙(あげ)て諸(もろもろ)の曲(まが)れるを措(お)く時はよく曲れる者をして直からしむ、とある通り、善人を挙げ直人を挙げて、厚(あつ)く賞誉(しょうよ)して怠(おこた)らざる時は、必ず四五ヶ年間を出でずして、整然たる仁義の村となる事、疑(うたが)ひなき物なり。世間の富者、此理に闇(くら)く書を読んで活用を知らず、我家を仁義にする事を知らず、徒(いたず)らに迷(まよ)ひを取りて、村里の不仁なるを悪(にく)み、村人義を知らず、人気悪し風儀悪しと詈(ののし)り、他方に移(うつ)らんとする者往々あり、愚と云ふべし。扨(さて)村里の人気を一新し風俗を一洗すると云ふ事、尤(もっと)も難(かた)き事なれども、誠心を以てし、其法方を得れば、左程難(かた)き事にはあらざるなり。先(ま)づ衰貧(すいひん)を挽回(ばんかい)し、頽廃(たいはい)を興復するより手を下し、方法の如くして漸次(ぜんじ)、人気風儀を一洗すべし。扨人気風儀を一新なすに機会(きかい)あり。譬(たと)へば今爰(ここ)に戸数一百の邑(むら)あり、其中四十戸は衣食不足なく、六十戸は窮乏なれば、一邑其貧を恥(はじ)とせず。貧を恥とせざれば租税を納(おさ)めざるを恥ぢず、借財を返さゞるを恥ぢず、夫役を怠るを恥ぢず、質(しち)を入るを恥ぢず、暴(ぼう)を云ふを恥ぢず。此の如くなれば、上の法令も里正(りせい)の権(けん)も行はれず。法令行はれざる時は悪行至らざる処なし。何を以て之を導(みちび)かん。爰(ここ)に到りては法令も教諭(きょうゆ)も皆益なきなり。又百戸の中、六十戸は衣食不足なく、四十戸は貧窮なる時は、教(おし)へずして自(おのづか)ら恥を生ず。恥を生ずれば義心を生ず。義心生ずれば、租税を納めざるを恥ぢ、借財を返さゞるを恥ぢ、夫役を怠るを恥ぢ、質を入るを恥ぢ、暴(ぼう)を云ふを恥づるに至る。爰(ここ)に至りて法令も行はれ、教導も行はれ、善道に導(みちび)くべく、勉強にも趣(おもむ)かしむべし。其機(き)斯(かく)の如し。譬(たと)へば権衡(はかり)の釣合の如し。左重ければ左に傾(かたむ)き、右重ければ右に傾くが如く、村内貧多き時は貧に傾き、悪多き時は悪に傾く。故に相共に恥なし。富多き時は富に傾き、善多き時は善に傾く。故に恥を生ずれば義心を生ず。汚俗を一洗し、一村を興復するの業、只此機あるのみ。知らずばあるべからず。如何なる良法仁術と云ふとも、村中一戸も貧者無からしむるは難しとす。如何となれば、人に勤惰(きんだ)あり強弱(きょうじゃく)あり智愚あり、家に積善あり不積善あり、加之(しかのみならず)前世の宿因もあり、是を如何とも為すべからず。此の如きの貧者は、只其時々の不足を補(おぎな)ふて、覆墜(ふくつい)せざらしむるにあり。
現代語訳
翁が言われた。学問は活用してこそ尊い。万巻の書を読んでも、活用しなければ役に立たない。論語に「里は仁があるのを良しとする。選んで仁のある所に住まなければ、どうして智者といえよう」とあり、まことに名言だ。とはいえ、旅暮らしの者や借家住まいなら、選んで仁のある村に住むこともできよう。だが田畑・山林・家蔵を持つ何村の何某という者が、どんなに仁義の村があるからといって、その村へ引っ越せるだろうか。かといって不仁の村に不快なまま住み続けては、智者と呼ばれないのはもちろんだ。さて、思い切って不仁の村を捨て仁義の村へ引っ越す者がいても、私はこれを智者とはいわず、書を読んで活用を知らぬ愚者というべきだ。なぜなら、何村の何某と呼ばれるほどの者が全戸を他村へ移すのは容易でなく、費用も莫大だ。この莫大な費用を捨て、住み慣れた故郷を捨てる――愚でなくて何だろう。そもそも人には道があり、道は未開の異国でも行われるものだから、どんな不仁の村里でも道が行われないことはない。自らこの道を行い、不仁の村を仁義の村にして、先祖代々そこに永住してこそ、智というべきだ。そうでなければ決して智者とはいえない。さて、その不仁の村を仁義の村にするのはさほど難しくない。まず自分が道を踏んで、自分の家を仁にすることにある。自分の家が仁にならないうちに村里を仁にしようとするのは、白砂を炊いて飯にしようとするのと同じだ。自分の家がまことに仁になれば、村里が仁にならないことはない。古語に「一家が仁なら一国が仁に興り、一家に譲りがあれば一国に譲りが興る」とあり、また「まことに仁を志せば悪はない」とある通り、決して疑いない。ここに竹や木が根元と先が入り交じり縦横に乱れているとする。これを一本ずつ根元を根元、先を先と揃えてやめずにいれば、ついにはみな整然となる。古語に「まっすぐな者を挙げて曲がった者の上に据えれば、曲がった者もまっすぐになる」とある通り、善人・正直者を挙げて厚く賞め怠らなければ、必ず四、五年のうちに整然とした仁義の村になることは疑いない。世間の富者はこの理に暗く、書を読んでも活用を知らず、自分の家を仁義にすることを知らず、いたずらに迷って、村里の不仁を憎み、村人が義を知らず人情も風儀も悪いとののしり、よそへ移ろうとする者がしばしばいる。愚というべきだ。さて、村里の人情を一新し風俗を洗い清めるのは最も難しいことだが、誠心をもって正しい方法を得れば、さほど難しくはない。まず衰えと貧しさを立て直し、荒廃を復興することから手をつけ、方法どおりに進めれば、次第に人情も風儀も洗い清められる。さて人情・風儀を一新するには機会がある。たとえば戸数百の村があり、そのうち四十戸は衣食に不足なく、六十戸が窮乏していれば、村は貧しさを恥としない。貧しさを恥としなければ、税を納めないのも、借金を返さないのも、夫役を怠るのも、質入れも、乱暴な物言いも恥じない。こうなると上の法令も村役人の権威も行われず、悪行が至らぬところはない。何によって導けよう。ここに至っては法令も教諭もみな無益だ。逆に百戸のうち六十戸が衣食に不足なく、四十戸が貧窮なら、教えなくても自然に恥が生じる。恥が生じれば義心が生じ、税を納めないのも借金を返さないのも夫役を怠るのも質入れも乱暴も恥じるに至る。ここに至って法令も教導も行われ、善道へ導き、勉励させられる。その機はこのようだ。たとえば秤の釣り合いのようなもので、左が重ければ左に傾き右が重ければ右に傾くように、村に貧が多ければ貧に傾き、悪が多ければ悪に傾く。だから互いに恥がない。富が多ければ富に傾き、善が多ければ善に傾く。だから恥が生じれば義心が生じる。悪しき風俗を洗い清め一村を復興する業は、ただこの機があるだけだ。知らずにはいられない。どんな良法・仁術でも、村中に一戸も貧者をなくすのは難しい。なぜなら人には勤勉と怠惰、強弱、賢愚があり、家には善行の積み重ねの有無があり、そのうえ前世の因縁もあって、どうにもできないからだ。こうした貧者には、ただその時々の不足を補って、破滅させないようにするのである。
解説
この章句が説くこと
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二宮翁夜話・巻之五門人某(それがし)居眠(いねむ)りの癖(くせ)あり、翁曰く、人の性(せい)は仁義礼智なり、下愚(かぐ)といへ共(ども)、此の性有らざる事なしとあり、されば汝等(なんじら)が如きも必ず此の性あれば、智も無かる可(べ)からず、然るを無智なるは磨(みが)かざるが故なれば、先(ま)づ道理の片端(かたはし)にても、弁(わきま)へたし覚(おぼ)えたしと、願ふ心を起すべし、之を願を立つると云ふ、此の願立つ時は、人の咄(はなし)を聞きて居眠りは出でざるべし、夫れ仁義礼智を家に譬(たと)ふれば、仁は棟(むなぎ)、義は梁(はり)なり、礼は柱なり、智は土台なり、されば家の講釈をするには、棟梁柱土台と云ふもよし、家を作るには、先づ土台を据(す)ゑ柱を立て梁を組んで棟を上(あ)ぐるが如く、講釈のみ為すには、仁義礼智と云ふべし、之を行ふには、智礼義仁と次第して、先づ智を磨き礼を行ひ義を蹈(ふ)み仁に進むべし、故に大学には、智を致すを初歩と為り、夫れ瓦(かわら)は磨けども玉にはならず、されど幾分の光を生じ且(か)つ滑(なめ)らかにはなる、是れ学びの徳なり、又無智の者は能く心掛けて、馬鹿なる事を為さぬ様にすべし、生れ付き馬鹿なりとも、馬鹿なる事をさへせざれば馬鹿にはあらず、智者たりとも、馬鹿なる事をすれば馬鹿なるべし。
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二宮翁夜話・巻之五翁曰く、村里の衰廃(すいはい)を挙ぐるには、財を抛(なげう)たざれば、人進まず、財を抛つに道あり、受くる者其の恩に感ぜざれば、益なし、夫れ天下の広き、善人少からず、然りといへ共、汚俗(おぞく)を洗ひ、廃邑(はいゆう)を起すに足らざるは、皆其の道を得ざるが故なり、凡そ里長(りちょう)たる者、其の事に幹(かん)たる者は、必ず其の邑(むら)の富者なり、縦令善人にして能く施すとも、自ら驕奢(きょうしゃ)に居るゆゑに、受くる者、其の恩を恩とせず、只其の奢侈(しゃし)を羨(うらや)んで、自らの驕奢を止めず、分限を忘るるの過を改めず、故に益なきなり、是れに依りて村長たらん者自ら謙(けん)して驕らず、約にして奢らず、慎んで分限を守り、余財(よざい)を推譲(おしゆず)りて、村害を除き、村益を起し、窮(きゅう)を補(おぎな)ふ時は、其の誠意に感じ、驕奢を欲するの念も、富貴を羨むの念も、救ひ用捨(ようしゃ)を欲するの念も、皆散じて、勤労を厭(いと)はず、麁衣麁食(そいそしょく)を厭はず、分限を越すの過を恥ぢ、分限の内にするを楽とす、此の如くならざれば、廃邑を興(おこ)し、汚俗を一洗するに足らざるなり。
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二宮翁夜話・巻之四翁(おきな)曰(いわ)く、某(それがし)の村の富農に怜悧(れいり)なる一子あり東京(えど)聖堂(せいどう)に入れて、修(しゅ)行させんとて、父子同道し来りて、暇(いとま)を告(つ)ぐ、予之を諭(さと)すに意を尽(つく)せり、曰く、夫(それ)は善き事なり、然(しか)といへども、汝(なんじ)が家は富農にして、多く田畑を所持すと聞けり、されば農家には尊き株なり、其家株を尊く思ひ、祖先の高恩を有難く心得、道を学(まな)んで、近郷村々の人民を教(おし)へ導(みちび)き、此土地を盛(さか)んにして、国恩に報いん為に、修行に出るならば、誠(まこと)に宜(よろ)しといへ共、祖先伝来の家株を農家なりと賤(いや)しみ、六(むず)かしき文字を学んで只世に誇(ほこ)らんとの心ならば、大なる間違ひなるべし、夫(それ)農家には農家の勤あり、富者には富者の勤あり、農家たる者は何程大家たりといへども、農事を能心得ずば有べからず、富者は何程の富者にても、勤倹して余財を譲(ゆず)り、郷里を富し、土地を美にし、国恩に報(ほう)ぜずばあるべからず、此農家の道と富者の道とを、勤るが為にする学問なれば、誠に宜しといへ共、若(もし)然らず、先祖の大恩を忘(わす)れ、農業は拙(つたな)し、農家は賤(いや)しと思ふ心にて学問せば、学問益々(ますます)放(ほう)心の助けとなりて、汝が家は滅亡(めつぼう)せん事、疑(うたが)ひなし、今日の決心汝が家の存亡(そんぼう)に掛(かか)れり、迂闊(うかつ)に聞く事勿(なか)れ、予が云処決して違はじ、汝一生涯学問する共、掛る道理を発明する事は必出来まじ、又此の如く教戒する者も、必有るまじ、聖堂に積(つ)みてある万巻の書よりも、予が此一言の教訓の方、尊(たっと)かるべし、予が言を用れば、汝が家は安全なり、用ひざる時は、汝が家の滅(めつ)亡眼前にあり、然れば、用ひばよし、用ふる事能ずば二度予が家に来る事勿れ、予は此地の廃(はい)亡を、興復(こうふく)せんが為に来て居る者なれば、滅(めつ)亡などの事は、聞も忌々し、必来る事勿れと戒(いまし)めしに、用ふる事能はずして、東京(えど)に出たり、修行未(いま)だ成(な)らざるに、田畑は皆他の所有となり、終(つい)に子は医(い)者となり、親は手習師匠をして、今日を凌(しの)ぐに至れりと聞けり、痛(いた)ましからずや、世間此類の心得違(ちがい)往々あり、予が其時の口ずさみに「ぶんぶんと障子(しょうじ)にあぶの飛(とぶ)みれば明るき方へ迷(まよ)ふなりけり」といへる事ありき、痛(いた)ましからずや。
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二宮翁夜話・巻之二翁曰く、村里の興復は直(なおき)を挙(あぐ)るにあり、土地の開拓は沃(よく)土を挙るにあり。然るに善人は、兎角(とかく)に退(しりぞ)ひて引籠(ひきこ)る癖(くせ)ある物なり、勤(つと)めて引出さゞれば出でず。沃(よく)土は必ず卑(ひく)く窪(くぼ)き処にありて、掘出さゞれば顕(あらは)れぬ物なり。爰(ここ)に心付かずして開拓場をならす時は、沃(よく)土皆土中に埋(うずま)りて永世顕(あら)はれず、村里の損、是(これ)より大なるはなし。村里を興復する、又同じ理なり。善人を挙げて、隠(かく)れざる様にするを勤とすべし。又土地の改良を欲せば、沃(よく)土を掘出して田畑に入るべし。村里の興復は、善人を挙(あ)げ、出精人を賞誉(しょうよ)するにあり。是を賞誉するは、投票(とうひょう)を以て耕作出精にして品行宜しく心掛宜しき者を撰(えら)み、無利足金、旋回(せんかい)貸附法を行ふべし。此法は譬(たと)へば米を臼(うす)にて搗(つ)くが如し。杵(きね)は只臼の正中を搗(つ)くのみにして、臼の中の米、同一に白米となると同じ道理にて、返済さへ滞(とどこほ)らざれば、社中一同知らず知らず自然と富実すべし。而(しか)て返済の滞(とどこほ)るは、譬(たと)へば臼の米の返らざるが如し。是此仕法の大患(たいかん)なり。臼の米返らざる時は、村搗(むらつき)となりて折れ砕(くだ)くる物なり。此仕法にて返済滞(とどこほ)る時は、仕法痿靡(いび)して振(ふる)はざる物なり。貸附取扱(あつか)ひの時、能々(よくよく)注意し説諭(せつゆ)すべし。
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二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、才智(さいち)勝(すぐ)れたる者は、大凡(おおよそ)道徳に遠き物なり。文学あれば申韓(しんかん)を唱(とな)へ、文学なければ三国志太閤記(たいこうき)を引く。論語中庸(ちゅうよう)などには一言も及ばざる物なり。如何(いか)となれば、道徳の本理(ほんり)は才智にては解(げ)せぬものなればなるべし。此の流の人は必ず行ひ安(やす)き中庸を難(かた)しと為(す)る物なり。中庸に、賢者は之に過(す)ぐ、とあり、うべなり。凡(およ)そ世人は、太閤記三国志等の俗書(ぞくしょ)を好(この)めども、甚(はなは)だ宜(よろ)しからず。さらでだに争気(そうき)盛(さか)んに、偽心(ぎしん)萌(きざ)し初(そ)むる若輩(じゃくはい)の者に、かかる書を読ましむるは悪(あ)し。世人太閤記三国志等を能く読めば、怜利(れいり)になるなどと云ふは誤(あやま)りなり。心すべし。
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二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、夫(そ)れ人の紛議(ふんぎ)を解くは道徳の一つにて、世を救ふの一つなれど、又一つ心得べき事あり。訴訟の内済(ないさい)示談なり。是(これ)実に両全の道なれども、又弊害も少からず。予桜町にあり、近郷この扱(あつかい)といふ事盛に行はれて、訴訟甚だ繁(しげ)し。習つて察せず、法を厳にして之を制すれば、方今(ほうこん)の訴訟その幾分を減ずべし。如何(いかん)となれば此道にて内済の事を扱ふものを見るに、必ず智力もあり、弁才もあつて、白を黒にし、黒を白になすの奸人(かんじん)、表を餝(かざ)りて此事を業(ぎょう)の如くする者あり。この者よく弱を助け、強を拆(くじ)き、訴訟を内済して、衆の難を救ふが如く見ゆれども、竊(ひそか)にその内情を聞き、能く能く観察する時は、この紛議の因は此者に因(よ)りて発する事多し。それ村里に一紛議の起るや、或は激言して之を争はしめ、また和言を以て是を止め、始終その間に周旋(しゅうせん)して、利と誉とを己に取る奸人あり。然るに世の中不明にして是を尊み、是を用ふ。往時(おうじ)桜町に奸人あり、予先づ此者を退けぬれば、訴訟の事断然止み、柔善の者里正(りせい)たることを得たり。某(それがし)の如き好き人里正に居て、流来(るらい)の細民鰥寡孤独(かんかこどく)に至るまで、皆其利を利とすることを得るなり。凡(およ)そ国家を治むる者、前に云ふ所の如き奸民を退けて、良民を撫(ぶ)するを以て勤とすべし。人道は元(もと)作為の道なるが故に、農夫の勤めて草を去るが如く、悪民を去て良民を養はざれば、良民立つ事あたはず、良民立つ事能はざれば、邦家(ほうか)の衰廃見るべきなり。夫れ奸民は譬(たと)へば莠艸(ゆうそう)の如し、茂生すれば田園蕪廃(ぶはい)す、故に奸民志を得れば村里衰廃す。良民は譬へば稲の如し、莠艸を去らざれば稲栄えず、故に奸民を退けざれば良民困苦す。莠艸を去りて稲を助くるは農業なり、奸民を退けて良民を撫するは政事(せいじ)なり。夫れ農業を勤むるは下の職なり、政事を勤むるは上の職なり。下其職業に怠らざれば国豊饒(ほうじょう)す、上其職を勤むれば国用余りあり、上下各(おのおの)其職分を尽さば、天下平なるべし。故に古人も、政事をなすは農の田を作るが如しと云へり。夫れ農の業は莠艸を抜除して稲を肥すにあり、上の職は奸民を退けて良民を育するにあり。而(しか)して農は莠艸の悪むべきを知りて是を去るを勤とす。其上この奸民を愛して是を重んずるは過れり。彼の奸民は才力弁舌衆に越へ、是に加ふるに能く世事に馴れ、上下に通じて始終之をあやつりて事を起し、事を鎮め、その中間に立て利を己に占むる物なり。然るを人之を知らず、是を尊み之を用ふ、過てり。夫れ此の如きは莠艸を以て善とし、美とし、之を糞培(ふんばい)せば、邦家の衰へざる事を得んや。