二宮翁夜話 / 巻之四
翁曰、世上一般、貧富苦楽と云ひ、躁げ共、世上は大海の如くなれば、是非なし、只水を泳ぐ術の上手と下手とのみ、舟を以て用便する水も、溺死する水も水に替りはあらず、時によりて風に順風あり逆風あり、海の荒き時あり穏なる時あるのみ、されば溺死を免かるゝは、泳ぎの術一つなり、世の海を穏に渡るの術は、勤と倹と譲の三つのみ。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、世上(せじょう)一般、貧富苦楽と云ひ、躁(さわ)げ共、世上は大海の如くなれば、是非なし、只水を泳(およ)ぐ術(じゅつ)の上手と下手とのみ、舟を以て用便する水も、溺死(できし)する水も水に替りはあらず、時によりて風に順(じゅん)風あり逆(ぎゃく)風あり、海の荒(あら)き時あり穏(おだやか)なる時あるのみ、されば溺死(できし)を免(まぬ)かるゝは、泳ぎの術一つなり、世の海を穏(おだやか)に渡るの術は、勤と倹と譲の三つのみ。
現代語訳
翁が言われた。世間の人はみな貧富だ苦楽だと言い騒ぐけれども、世の中は大海のようなものだから、それはどうにもならない。ただ水を泳ぐ技術の上手・下手があるだけだ。舟を浮かべて役立てる水も、人が溺れ死ぬ水も、水そのものに違いはない。時によって順風もあれば逆風もあり、海が荒れる時もあれば穏やかな時もある、ただそれだけのことだ。だから溺れ死ぬのを免れる道は、泳ぎの技術ただ一つである。世という海を穏やかに渡る術は、勤(勤労)と倹(倹約)と譲(推譲)の三つだけなのだ。
解説
世の中を大海にたとえ、貧富苦楽の波は誰にも避けられないが、それを渡る「泳ぎの術」は身につけられる――尊徳はそう説きます。同じ水が舟を浮かべもし人を溺れさせもするように、環境そのものに善悪はなく、渡り方次第で運命が分かれるのです。その術としてあげられるのが「勤・倹・譲」。すなわち勤労で価値を生み、倹約で分度を守り、余りを人や将来に推譲する――報徳思想の実践三原則がここに凝縮されています。景気や境遇を嘆く前に、自らの働き方・使い方・分かち方を整える。この主体的な生き方の指針は、変化の激しい現代を渡る羅針盤としても有効です。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳勤倹譲勤労倹約推譲
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