二宮翁夜話 / 巻之四
翁曰、山谷は寒気に閉て、雪降り氷れども、柳の一芽開き初る時は、山々の雪も谷々の氷も皆夫迄なり、又秋に至り、桐の一葉落初る時は、天下の青葉は又夫迄なり、夫世界は自転して止ず、故に時に逢ふ者は育ち、時に逢ざる物は枯るゝなり、午前は東向の家は照れ共、西向きの家は蔭り、午后は西に向く物は日を受け、東に向く物は蔭るなり、此理を知らざる者惑ふて、我不運なりといひ、世は末になれりなどゝ歎くは誤なり、今爰に幾万金の負債あり共、何万町の荒蕪地あり共、賢君有て此道に寄る時は憂るに足らず、豈喜ばしからずや、縦令何百万金の貯蓄あり、何万町の領地あり共、暴君ありて、道を踏ず、是も不足彼も不足と驕奢慢心、増長に増長せば消滅せん事、秋葉の嵐に散乱するが如し、恐れざるべけんや、予が歌に「奥山は冬気に閉ぢて雪ふれどほころびにけり前の川柳」。
新字:翁曰、山谷は寒気に閉て、雪降り氷れども、柳の一芽開き初る時は、山々の雪も谷々の氷も皆夫迄なり、又秋に至り、桐の一葉落初る時は、天下の青葉は又夫迄なり、夫世界は自転して止ず、故に時に逢ふ者は育ち、時に逢ざる物は枯るゝなり、午前は東向の家は照れ共、西向きの家は蔭り、午后は西に向く物は日を受け、東に向く物は蔭るなり、此理を知らざる者惑ふて、我不運なりといひ、世は末になれりなどゝ嘆くは誤なり、今爰に幾万金の負債あり共、何万町の荒蕪地あり共、賢君有て此道に寄る時は憂るに足らず、豈喜ばしからずや、縦令何百万金の貯蓄あり、何万町の領地あり共、暴君ありて、道を踏ず、是も不足彼も不足と驕奢慢心、増長に増長せば消滅せん事、秋葉の嵐に散乱するが如し、恐れざるべけんや、予が歌に「奥山は冬気に閉ぢて雪ふれどほころびにけり前の川柳」。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、山谷(さんこく)は寒気(かんき)に閉(とじ)て、雪降(ふ)り氷れども、柳(やなぎ)の一芽(め)開き初(そ)むる時は、山々の雪も谷々の氷も皆夫(それ)迄なり、又秋に至り、桐(きり)の一葉落初(おちそ)むる時は、天下の青葉は又夫迄なり、夫(それ)世界は自転(じてん)して止(やま)ず、故に時に逢(あ)ふ者は育(そだ)ち、時に逢(あ)はざる物は枯(か)るゝなり、午前は東向の家は照(て)れ共、西向きの家は蔭(かげ)り、午后は西に向く物は日を受け、東に向く物は蔭(かげ)るなり、此理を知らざる者惑(まど)ふて、我不運なりといひ、世は末になれりなどゝ歎(なげ)くは誤(あやまり)なり、今爰(ここ)に幾万金の負債(ふさい)あり共、何万町の荒蕪地(こうぶち)あり共、賢君有て此道に寄る時は憂(うれ)ふるに足らず、豈(あに)喜ばしからずや、縦令(たとい)何百万金の貯蓄(ちょちく)あり、何万町の領地あり共、暴(ぼう)君ありて、道を踏(ふ)まず、是も不足彼も不足と驕奢(きょうしゃ)慢心(まんしん)、増長に増長せば消滅(しょうめつ)せん事、秋葉の嵐に散乱するが如し、恐れざるべけんや、予が歌に「奥山は冬気に閉(と)ぢて雪ふれどほころびにけり前の川柳(かわやなぎ)」。
現代語訳
翁が言われた。山や谷は寒気に閉ざされ、雪が降り氷が張っていても、柳の一芽が開き始める時には、山々の雪も谷々の氷も、みなそれまでのこと(で消えていく)だ。また秋になって桐の一葉が落ち始める時には、天下の青葉もまたそれまでのことだ。そもそも世界は自転してやむことがない。だから時に巡り合う者は育ち、時に巡り合わない者は枯れる。午前は東向きの家は日が照るが、西向きの家は陰る。午後は西を向くものが日を受け、東を向くものは陰る。この理を知らない者は迷って、「自分は不運だ」と言い、「世は末になった」などと嘆くが、それは誤りだ。今ここに幾万金の負債があろうと、何万町の荒れ地があろうと、賢明な君主がいてこの道(報徳の道)に拠る時は、憂えるには足りない。なんと喜ばしいことではないか。たとえ何百万金の貯えがあり、何万町の領地があっても、暴君がいて道を踏み外し、これも足りぬあれも足りぬと、おごり高ぶり慢心し、増長に増長を重ねれば、消滅すること、秋の葉が嵐で散り乱れるようなものだ。恐れずにいられようか。私の歌に「奥山は冬の気に閉ざされ雪が降っても、前の川辺の柳は芽をほころばせたことだ」。
解説
この章句が説くこと
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『論語と算盤』処世と信条・大丈夫の試金石真の逆境とはいかなる場合をいうか、実例に徴して一応の説明を試みたいと思う。およそ世の中は順調を保って平穏無事にゆくのが普通であるべき筈ではあるが、水に波動のあるごとく、空中に風の起こるがごとく、平静なる国家社会すらも、時としては革命とか変乱とかいうことが起こって来ないとも断言されない。そしてこれを平静無事な時に比すれば明らかに逆であるが、人もまたこのごとき変乱の時代に生まれ合い、心ならずもその渦中に巻き込まれるは不幸の者で、こういうのが真の逆境に立つというのではあるまいか。果たしてしからば余もまた逆境に処して来た一人である。余は維新前後世の中が最も騒々しかった時代に生まれ合い、さまざまの変化に遭遇して今日に及んだ。顧みるに維新の際におけるがごとき世の変化に際しては、いかに智能ある者でも、また勉強家でも、意外な逆境に立ったり、あるいは順境に向かったりしないとは言われない。
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『酔古堂剣掃』集醒・惟だ折磨して乃ち吾輩を見る小人の豪傑を顛倒するを恠しむも、慣れて顛倒するは方に小人たるを知らず。吾輩の世の折磨を受くるを惜しむも、惟だ折磨して乃ち吾輩を見るを知らず。
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言志四録・言志録 第五十九条 患難は天の吾が才を老す凡そ遭ふ所の患難変故、屈辱讒謗、払逆の事は、皆天の吾が才を老せしむる所以にして、砥礪切磋の地に非ざるは莫し。君子は当に之に処する所以を慮るべし。徒に之を免れんと欲するは不可なり。
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『韓非子』存韓第二夫れ韓は小國なり、而して以て天下の四撃に應ず。主辱められ臣苦しみ、上下相い與に憂いを同じうすること久し。
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『講孟余話』序然れども富貴安楽は順境なり、貧賤艱難は逆境なり。境順なる者は怠り易く、境逆なる者は励み易し。怠れば則ち失ひ、励めば則ち得る、是れ人の常なり。吾罪を獲て獄に下り、吉村五明・河野子忠・富永有隣の三子を得て、相共に書を読み道を講じ、往復益々喜ぶ。曰く、吾と諸君と其の境逆なり、以て励むこと有りて得べきなりと。遂に孟子の書を抱きて講究礱磨し、以て其の所謂道なる者を求めんと欲す。司獄福川氏も亦来り会して善と称す。是に於て悠然として楽しみ、莞然として笑ひ、復た圜牆の苦たるを知らざるなり。遂に其の得る所を録し、号して講孟劄記と為す。夫れ孟子の説は固より弁を待たず。然れども之れを喜びて足らず、乃ち之れを口に誦し、之れを誦して足らず、乃ち之れを紙に筆す、亦情の已む能はざる所なれば、則ち劄記の作、其れ廃すべけんや。抑々聞く、往年獄中に政無く、酒に酗ひ気を使ひ、喧豗紛争して、絶えて人道無しと。今公即位し、庶政更張して、延いて獄中に及び、百弊日に改まり、衆美並び興る。蓋し司獄も亦与りて力有り。今乃ち諸君と悠悠として学を講じ、以て其の幽囚を楽しむことを得る者、寧ぞ対揚する所以を思はざるべけんや。安政乙卯秋日、二十一回藤寅、諸を野山獄北房第一舎に書す。
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『講孟余話』告子下 第十五章又余野山獄に在る時、友人土屋松如、居易堂集明の遺臣俟斎徐枋の著を貸し示す。其の中に「潘生次耕に与ふる書」あり、才を生じ才を成すと云ふことを論ず。大意謂へらく、天の才を生ずること多けれども、才を成すこと難し。譬へば春夏の草木花葉鬱蒼たるが如き、是れ才を生ずるなり。然れども桃李の如きは、秋冬の霜雪に逢ひて皆零落凋傷す。独り松柏は然らず、雪中松柏愈々青々たり。是れ才を成すなり。人才も亦然り。少年軽鋭、鬱蒼喜ぶべき者甚だ衆し。然れども艱難困苦を経るに従ひ、英気頽敗して一俗物となる者少からず。唯真の志士は此の処に於て愈々激昂して、遂に才を成すなり。故に霜雪は桃李の凋む所以、即ち松柏の実する所以なり。艱苦は軽鋭の頽るる所以、即ち志士の激する所以なりとあり。是れ又全文を諳ぜず、大意斯くの如し。今吾不才と云へども、象山の徒にして、又徐氏の文を読む。豈に桃李に伍して松柏に笑はれんや。当に琢磨淬励して連城・干将となるべきのみ。是れ此の章に於て感ある所なり。抑も「入りては則ち法家払士無く、出でては則ち敵国外患無き者は、国恒に亡ぶ」と云ふに至りては、一転して国家の事に入る。尤も思ひを致すべし。余乃ち云く、内に法家払士あれば、敵国外患に因りて国随ひて興り、法家払士なければ、敵国外患に因りて国随ひて亡ぶ。今や敵国外患なきに非ず、法家払士の有無は国家興亡の界なり。豈に寒心せざることを得んや。

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