二宮翁夜話 / 巻之四
翁の家に親しく出入する某なる者の家、嫁と姑と中悪しゝ、一日其姑来て、嫁の不善を並べ喋々せり、翁曰、是因縁にして是非なし、堪忍するの外に道なし、夫共に其方若き時、姑を大切にせざりし報にはあらずや、兎に角嫁の非を数へて益なし、自ら省みて堪忍すべしと、いともつれなく言放ちて帰さる、翁曰、是善道なり、斯の如く言聞す時は、姑必省る処ありて、向来の治り、幾分か宜しからん、掛る時に坐なりの事を言て共共に嫁を悪く云時は、姑弥々嫁と中悪敷なる者なり、惣て是等の事、父子の中を破り嫁姑の親みを奪ふに至る物なり、心得ずばあるべからず。
書き下し
翁(おきな)の家に親しく出入(でい)りする某(それがし)なる者の家、嫁(よめ)と姑(しゅうと)と中(なか)悪(あ)しゝ。一日(いちじつ)其(そ)の姑来りて、嫁の不善を並べ喋々(ちょうちょう)せり。翁曰(いわ)く、是(これ)因縁(いんねん)にして是非(ぜひ)なし、堪忍(かんにん)するの外(ほか)に道なし。夫(それ)共に其方(そのほう)若き時、姑を大切にせざりし報(むく)いにはあらずや。兎(と)に角(かく)嫁の非を数(かぞ)へて益(えき)なし、自(みずか)ら省(かえり)みて堪忍すべしと、いともつれなく言放(いいはな)ちて帰(かえ)さる。翁曰く、是善道なり。斯(か)くの如く言ひ聞かす時は、姑必ず省(かえり)みる処ありて、向来(こうらい)の治(おさ)まり、幾分か宜(よろ)しからん。掛(か)かる時に坐(ざ)なりの事を言ひて共々に嫁を悪(あ)しく云ふ時は、姑弥々(いよいよ)嫁と中悪敷(あしく)なる者なり。惣(すべ)て是等の事、父子の中を破(やぶ)り嫁姑の親(したし)みを奪(うば)ふに至る物なり。心得ずばあるべからず。
現代語訳
翁の家に親しく出入りする某という者の家で、嫁と姑の仲が悪かった。ある日その姑がやって来て、嫁の悪いところを並べ立ててぺらぺらとしゃべった。翁が言われた。これは因縁であって、どうにも仕方がない。堪忍するよりほかに道はない。だいたい、あなたが若い頃、自分の姑を大切にしなかった報いではないか。とにかく嫁の非を数え立てても何の益もない。自分を省みて堪忍しなさいと、まことにそっけなく言い放って帰された。翁が言われた。これがよい対応の仕方だ。このように言い聞かせれば、姑も必ず反省するところがあって、今後の関係は幾分かよくなるだろう。こういうとき、その場しのぎに調子を合わせて一緒に嫁を悪く言えば、姑はますます嫁と仲が悪くなるものだ。総じてこうしたことは、親子の仲を裂き、嫁姑の親しみを奪うことにつながる。よく心得ておかなければならない。
解説
この章句が説くこと
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