二宮翁夜話 / 巻之四
翁曰、人の心よりは、最上無類清浄と思ふ米も、其米の心よりは、糞水を最上無類の好き物と思ふなるべし、是も又循環の理なり。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、人の心よりは、最上無類(さいじょうむるい)清浄(せいじょう)と思ふ米も、其(そ)の米の心よりは、糞水(ふんすい)を最上無類の好き物と思ふなるべし。是(これ)も又循環(じゅんかん)の理(り)なり。
現代語訳
翁が言われた。人の心からすれば、この上なく清らかだと思う米も、その米の心からすれば、下肥(しもごえ)の水こそがこの上なく好ましいものと思っているだろう。これもまた循環の道理である。
解説
人が最も清浄だと尊ぶ米も、その米にとっては汚いはずの下肥こそがごちそうだ――短いながら、尊徳の循環思想が鮮やかに凝縮された一条です。清浄と不浄、価値のあるものとないものは、立場が変われば逆転する。汚物とされるものが肥料となって米を育て、その米を人が食べ、また排泄物となって田に還る。この巡りこそ天地の循環の理であり、報徳思想が説く「万物は無駄なくめぐる」という自然観を示しています。ここには、廃棄物を資源として活かす農本の知恵と、物事を一面的に善悪・浄穢で決めつけない柔らかな視点があります。循環型社会や資源の再利用が課題となる現代にこそ、あらためて味わいたい、素朴で奥深い教えです。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳循環の理浄不浄資源循環農本の知恵
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