二宮翁夜話 / 巻之三
翁曰、世の中、用をなす材木は、皆四角なり、然といへ共、天、人の為に四角なる木を生ぜず、故に満天下の山林に、四角なる木なし、又皮もなく骨もなく、鎌鉾の如く半片の如き魚あらば、人の為弁利なるべけれど、天是を生ぜず、故に、漫々たる大海に、斯の如き魚一尾もあらざるなり、又籾もなく糠もなく、白米の如き米あらば、人世此上もなき益なれ共、天是を生ぜず、故に全国の田地に、一粒も此米なし、是を以て、天道と人道と異る道理を悟るべし、又南瓜を植れば必蔓あり、米を作れば必藁あり、是又自然の理也、夫糠と米は、一身同体なり、肉と骨も又同じ、肉多き魚は骨も大なり、然るを糠と骨とを嫌ひ、米と肉とを欲するは、人の私心なれば、天に対しては申訳けなかるべし、然といへども、今まで喰ひたる飯も餧へれば喰ふ事の出来ぬ人体なれば、仕方なし、能々此理を弁明すべし、此理を弁明せざれば、我道は了解する事難く行ふ事難し
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、世の中、用をなす材木は、皆四角(しかく)なり、然(しか)といへども、天、人の為に四角なる木を生ぜず、故に満天下(まんてんか)の山林に、四角なる木なし、又皮もなく骨(ほね)もなく、鎌鉾(かまぼこ)の如く半片(はんぺん)の如き魚(うお)あらば、人の為弁利(べんり)なるべけれど、天是(これ)を生ぜず、故に、漫々(まんまん)たる大海に、斯(かく)の如き魚一尾(いちび)もあらざるなり、又籾(もみ)もなく糠(ぬか)もなく、白米の如き米あらば、人世(じんせい)此上(このうえ)もなき益(えき)なれども、天是を生ぜず、故に全国の田地(でんち)に、一粒(ひとつぶ)も此米なし、是を以て、天道と人道と異(こと)なる道理を悟(さと)るべし、又南瓜(かぼちゃ)を植(うう)れば必ず蔓(つる)あり、米を作れば必ず藁(わら)あり、是又自然の理也、夫(それ)糠と米は、一身同体(いっしんどうたい)なり、肉(にく)と骨(ほね)も又同じ、肉多き魚は骨も大なり、然(しか)るを糠と骨とを嫌(きら)ひ、米と肉とを欲(ほっ)するは、人の私心(ししん)なれば、天に対(たい)しては申訳(もうしわけ)なかるべし、然といへども、今まで喰(く)ひたる飯(めし)も餧(す)へれば喰ふ事の出来ぬ人体なれば、仕方なし、能々(よくよく)此理(このり)を弁明(べんめい)すべし、此理を弁明せざれば、我道(わがみち)は了解(りょうかい)する事難(かた)く行ふ事難し
現代語訳
翁が言われた。世の中で役に立つ材木は、みな四角である。とはいえ、天は人のために四角い木を生やさない。だから世界中の山林に四角い木はない。また皮も骨もなく、かまぼこのように半片のような魚があれば、人にとって便利だろうが、天はこれを生じない。だから広々とした大海にこのような魚は一尾もいないのだ。また籾も糠もなく、白米のような米があれば、人の世にこの上ない利益だが、天はこれを生じない。だから全国の田地に一粒もこの米はない。これによって、天道と人道が異なる道理を悟るべきだ。また南瓜を植えれば必ず蔓があり、米を作れば必ず藁がある。これもまた自然の理である。そもそも糠と米は一体である。肉と骨もまた同じだ。肉の多い魚は骨も大きい。それなのに糠と骨を嫌い、米と肉を欲しがるのは人の私心であって、天に対しては申し訳ないことだろう。とはいえ、今まで食べていた飯も腐れば食べられない人間の体である以上、仕方がない。よくよくこの道理をわきまえるべきだ。この道理をわきまえなければ、私の道は理解することも難しく、行うことも難しい。