二宮翁夜話 / 巻之三
翁曰、夫此世界咲花は必ちる、散るといへ共、又来る春は必花さく、春生ずる草は必秋風に枯る、枯るといへ共、又春風に逢へば必生ず、万物皆然り、然れば無常と云も無常に非ず、有常と云も有常に非ず、種と見る間に草と変じ、草と見る間に花を開き、花と見る間に実となり、実と見る間に、元の種となる、然れば種と成りたるが本来か、草と成りたるが本来か、是を仏に不止不転の理と云ひ、儒に循環の理と云、万物皆この道理に外るゝ事はあらず
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、夫(それ)此(この)世界咲花(さくはな)は必ず散(ち)る、散るといへども、又来る春は必ず花さく、春生ずる草は必ず秋風に枯(か)る、枯るといへども、又春風に逢(あ)へば必ず生ず、万物皆然(しか)り、然れば無常(むじょう)と云ふも無常に非(あら)ず、有常(うじょう)と云ふも有常に非ず、種(たね)と見る間に草と変じ、草と見る間に花を開き、花と見る間に実(み)となり、実と見る間に、元の種となる、然れば種と成りたるが本来か、草と成りたるが本来か、是(これ)を仏に不止不転(ふしふてん)の理(り)と云ひ、儒に循環(じゅんかん)の理と云ふ、万物皆この道理に外(はず)るる事はあらず
現代語訳
翁が言われた。そもそもこの世界で咲く花は必ず散る。散るとはいえ、また来る春には必ず花が咲く。春に生える草は必ず秋風に枯れる。枯れるとはいえ、また春風に逢えば必ず生える。万物はみなこの通りだ。だとすれば、無常と言っても無常ではなく、有常と言っても有常ではない。種と見るうちに草と変わり、草と見るうちに花を開き、花と見るうちに実となり、実と見るうちにもとの種となる。とすると、種となったのが本来なのか、草となったのが本来なのか。これを仏では不止不転の理といい、儒では循環の理という。万物はみなこの道理から外れることはない。
解説
花は散り草は枯れるが、また咲きまた生える——この生々流転を「無常でも有常でもない」と捉えた一条です。種・草・花・実が絶えず姿を変えて巡る様を、仏の不止不転、儒の循環の理として重ね合わせ、万物がこの道理を外れないと説きます。前の話(gid109)とも響き合う尊徳の自然観の核心です。報徳思想では、この止まらぬ循環に順って小さな営みを積み重ねる積小為大の実践を重んじます。散ることを嘆かず、そこに次の芽を見る眼差しは、失敗や終わりを再生の一過程と捉える力になります。移り変わりの中に不変の理を見出すこの視点は、変化に振り回されがちな現代人に落ち着きと展望を与えてくれるでしょう。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳循環の理不止不転無常積小為大