二宮翁夜話 / 巻之四
神儒仏の書、数万巻あり、それを研究するも、深山に入り坐禅するも、其道を上り極むる時は、世を救ひ、世を益するの外に道は有べからず、若有といへば、邪道なるべし、正道は必世を益するの一つなり、縦令学問するも、道を学ぶも、此処に到らざれば、葎蓬の徒にはい広がりたるが如く、人世に用無き物なり、人世に用無き物は、尊ぶにたらず、広がれば広がる程、世の害なり、幾年の後か、聖君出て、此の如き無用の書は焼捨る事もなしといふべからず、焼捨る事なきも、荒蕪を開くが如く、無用なる葎蓬を刈捨て、有用の道の広まる、時節もなしと云べからず、兎も角も、人世に益なき書は見るべからず、自他に益なき事は為すべからず、光陰は矢の如し、人生は六十年といへども、幼老の時あり、疾病あり、事故あり、事を為すの日は至て少ければ、無用の事はなす勿れ。
書き下し
神儒仏(しんじゅぶつ)の書、数万巻あり、それを研究(けんきゅう)するも、深山(しんざん)に入りて坐禅(ざぜん)するも、其(そ)の道を上(のぼ)り極(きわ)むる時は、世を救(すく)ひ、世を益(えき)するの外(ほか)に道は有るべからず。若(も)し有りといへば、邪道なるべし。正道は必ず世を益するの一つなり。縦令(たと)ひ学問するも、道を学ぶも、此処(ここ)に到らざれば、葎(むぐら)蓬(よもぎ)の徒(いたずら)にはひ広がりたるが如く、人世(じんせい)に用(よう)無き物なり。人世に用無き物は、尊(たっと)ぶにたらず、広がれば広がる程、世の害なり。幾年(いくとせ)の後か、聖君(せいくん)出でて、此の如き無用の書は焼捨(やきす)つる事もなしといふべからず。焼捨つる事なきも、荒蕪(こうぶ)を開くが如く、無用なる葎蓬を刈捨(かりす)てて、有用の道の広まる、時節もなしと云ふべからず。兎(と)も角(かく)も、人世に益なき書は見るべからず、自他に益なき事は為すべからず。光陰(こういん)は矢の如し、人生は六十年といへども、幼老(ようろう)の時あり、疾病(しっぺい)あり、事故あり、事を為すの日は至(いた)りて少なければ、無用の事はなす勿(なか)れ。
現代語訳
神道・儒教・仏教の書物は数万巻もある。それを研究しても、深山に入って坐禅しても、その道を極めていけば、世を救い世を益するよりほかに道はないはずだ。もしそれ以外にあるというなら、それは邪道だろう。正道は必ず世を益するという一点にある。たとえ学問をしても道を学んでも、ここに到達しなければ、雑草のむぐらやよもぎがいたずらに這い広がったようなもので、世の中に役立たない。世の中に役立たない物は尊ぶに値せず、広がれば広がるほど世の害になる。何年か後には、聖なる君主が現れてこうした無用の書を焼き捨てることがないとはいえない。焼き捨てないまでも、荒れ地を開墾するように、無用なむぐらやよもぎを刈り捨てて、有用な道が広まる時節が来ないとはいえない。ともかく、世の中に益のない書物は読むべきではなく、自分にも他人にも益のないことはすべきではない。時は矢のように過ぎる。人生は六十年といっても、幼い時と老いた時があり、病気があり、事故がある。事を成せる日はごく少ないのだから、無用なことをしてはならない。
解説
この章句が説くこと
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二宮翁夜話・巻之五翁曰く、仏家にては、此の世は仮の宿なり、来世こそ大切なれと云ふといへ共、現在君親あり、妻子あるを如何(いかん)せん、縦令(たとい)出家遁世(とんせい)して、君親を捨て妻子を捨つるも、此の身体あるを如何せん、身体あれば食と衣との二つがなければ凌(しの)がれず、船賃(ふなちん)がなければ、海も川も渡られぬ世の中なり、故に西行(さいぎょう)の歌に「捨て果てて身は無き物と思へども雪の降る日は寒くこそあれ」と云へり、是れ実情なり、儒道にては、礼に非ざれば、視る事勿れ、聴(き)く事勿れ、云ふ事勿れ、動く事勿れ、と教ふれ共、通常汝等の上にては夫れにては間に合はず、故に予は我が為になるか、人の為になるかに非ざれば、視る事勿れ、聴く事勿れ、言ふ事勿れ、動く事勿れと教ふるなり、我が為にも、人の為にもならざる事は経書にあるも、経文にあるも、予は取らず、故に予が説く処は、神道にも儒道にも仏道にも、違(たが)ふ事あるべし、是れは予が説の違へるにはあらざるなり、能々(よくよく)玩味(がんみ)すべし。
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二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、仏者(ぶっしゃ)も釈迦(しゃか)が有難(ありがた)く思はれ、儒者(じゅしゃ)も孔子が尊(たっと)く見ゆる内は、能く修行すべし。其の地位に至る時は、国家を利益(りやく)し、世を救(すく)ふの外(ほか)に道なく、世の中に益ある事を勤(つと)むるの外に道なし。譬(たと)へば山に登(のぼ)るが如し。山の高く見ゆる内は勤めて登るべし。登り詰(つ)むれば外に高き山なく、四方共に眼下(がんか)なるが如し。此の場(ば)に至りて、仰(あお)ぎて弥々(いよいよ)高きは只(ただ)天のみなり。此処(ここ)まで登るを修行と云ふ。天の外に高き物ありと見ゆる内は勤めて登るべし学ぶべし。
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二宮翁夜話・巻之二翁曰(いわ)く、大道は譬(たと)へば水の如し、善く世の中を潤沢(じゅんたく)して滞(とどこお)らざる物なり、然(しか)る尊き大道も、書に筆して書物と為す時は、世の中を潤沢する事なく、世の中の用に立つ事なし、譬へば水の氷りたるが如し、元水には相違なしといへども、少しも潤沢せず、水の用はなさぬなり、而(しか)て書物の注釈と云ふ物は又氷に氷柱(つらら)の下りたるが如く、氷の解(と)けて又氷柱と成りしに同じ、世の中を潤沢せず、水の用を為さぬは、矢張(やは)り同様なり、扨(さて)此の氷となりたる経書を、世上の用に立てんには胸中の温気を以て、能(よ)く解して、元の水として用ひざれば、世の潤沢にはならず、実に無益の物なり、氷を解すべき温気(うんき)胸中になくして、氷の儘(まま)にて用ひて水の用をなすと思ふは愚の至りなり、世の中神儒仏の学者有りて世の中の用に立たぬは是が為なり、能く思ふべし、故に我が教は実行を尊む、夫(そ)れ経文と云ひ経書と云ふ、其の経と云ふは元機(はた)の竪糸(たていと)の事なり、されば、竪糸ばかりにては用をなさず、横に日々実行を織込て、初て用をなす物なり、横に実行を織らず、只竪糸のみにては益(えき)なき事、弁を待たずして明か也。
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二宮翁夜話・巻之三翁曰(いわ)く、夫(それ)世の中に道を説きたる書物、算(かぞ)ふるに暇(いとま)あらずといへども、一として癖(へき)なくして全(まった)きはあらざるなり。如何(いか)となれば、釈迦(しゃか)も孔子も皆人なるが故なり。経書(けいしょ)といひ、経文(きょうもん)と云ふも、皆人の書きたる物なればなり。故に予(よ)は不書の経、則(すなわ)ち物言はずして四時(しいじ)行はれ百物なる処の、天地の経文に引き当てて、違(たが)ひなき物を取りて、違へるは取らず。故に予が説く処は決して違はず。夫(それ)燈皿(とうがい)に油あらば、火は消(き)えざる物と知れ、火消えば油尽(つ)きたりと知れ。大海に水あらば、地球も日輪(にちりん)も変動なしと知れ。万一大海の水尽くる事あらば、世界は夫(それ)までなり、地球も日輪も散乱すべし。其の時までは決して違ひなき我が大道なり。夫れ我が道は、天地を以て経文とすれば、日輪に光明ある内は行はれざる事なく、違ふ事なき大道なり。
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二宮翁夜話・巻之二綾部の城主九鬼侯、御所蔵の神道の書物十巻、是を見よとて翁に送らる、翁暇(いとま)なきを以て、封を解き玉(たま)はざる事二年、翁一日少しく病あり、予をして此の書を開き、病床にて読(よ)ましめらる、翁曰(いわ)く、此の書の如きは皆神に仕ふる者の道にして、神の道にはあらざるなり、此の書の類(るい)万巻あるも、国家の用をなさず、夫(そ)れ神道と云ふ物、国家の為、今日上、用なき物ならんや、中庸にも、道は須臾(しばらく)も離(はな)るべからず、離るべきは道にあらず、と云へり、世上道を説ける書籍、大凡(おおよそ)此の類なり、此の類の書あるも益なく、無きも損(そん)なきなり、予が歌に「古道に積る木の葉をかき掻(か)き分けて天照す神のあし跡を見む」とよめり、古道とは皇国固有の大道を云ふ、積る木の葉とは儒仏を始(はじ)め諸子百家の書籍の多きを云ふ、夫れ皇国固有の大道は、今現に存すれども、儒仏諸子百家の書籍の木の葉の為に蓋(おお)はれて見えぬなれば、是を見んとするには、此の木の葉の如き書籍をかき分けて大御神の御足の跡はいづこにあるぞと、尋(たず)ねざれば、真の神道を見る事は出来ざるなり、汝等(なんじら)落積(おちつも)りたる木の葉に目を付くるは、大なる間違ひなり、落積りたる木の葉を掻き分け捨てて、大道を得る事を勤(つと)めよ、然らざれば、真の大道は、決して得る事はならぬなり。
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二宮翁夜話・巻之四或(ある)ひと曰(いわ)く、恵心僧都(えしんそうず)の伝記に曰く、今の世の仏者達の申さるる仏道が誠の仏道ならば、仏道ほど世に悪(あ)しき物はあるまじ、といはれし事見えたり、面白き言葉にあらずや。翁曰く、誠に名言なり。只(ただ)仏道のみにあらず、儒道も神道も又同じかるべし。今時(いまどき)の儒者達の行はるゝ処が、誠の儒道ならば、世に儒道ほどつまらぬ物はあるまじ、今時の神道者達の申さるゝ神道が、誠の神道ならば、神道ほど無用の物はあるまじ、と予(よ)も思ふなり。夫(そ)れ神道は天地開闢(かいびゃく)の大道にして、豊蘆原(とよあしはら)を瑞穂(みずほ)の国、安国(やすくに)と治め給ひし、道なる事、弁(べん)を待たずして明なり。豈(あに)当世巫祝(ふしゅく)者流、神札を配(くば)りて、米銭を乞ふ者等の、知る処ならんや。川柳に「神道者身にぼろぼろを纏(まと)ひ居り」と云へり。今の世の神道者、貧困に窮する事斯(か)くの如し。是(これ)真の神道を知らざるが故なり。夫れ神道は、豊芦原(とよあしはら)を瑞穂の国とし、漂(ただよ)へる国を安国と固(かた)め成す道なり。然(しか)る大道を知る者、決して貧窮に陥(おちい)るの理なし。是神道の何物たるを知らざるの証なり。歎(なげ)かはしき事ならずや。