二宮翁夜話 / 続篇
某藩の重臣某氏、藩の財政の方法を問ふ。翁曰、爰に十万石の諸侯あり、之を木に譬ふれば、百姓は土際より木にある根の如し、幹と枝葉は藩中の如し、然れば十万石と云ふ時は、其領中一円神主僧侶も乞食も皆此中の物なり、此十万石を四公六民とする時は、藩が四分、民が六分なり、然るに何方より頼談せらるゝも、皆藩の財政のみを改革せんとせられ、領中の事に及ばるゝはなし。古語に「其本乱れ末治まる者はあらず」とあり。其元を捨置て、其末のみを挙んとするも、順序違へば、労するとも功無かるべし。真に藩の疲弊を救はんとならば、民政も共に改革せらるべし、さ無き時は、木の根を捨置て、枝葉に肥しを施すが如し。是卿が尤も心を用ひらるべき所にて、卿が職務なり、帰藩の上能々勘考せらるべしと。某氏感服感服と云て去れり。
書き下し
某藩(ぼうはん)の重臣某氏、藩の財政の方法を問ふ。翁(おきな)曰(いわ)く、爰(ここ)に十万石の諸侯あり、之を木に譬(たと)ふれば、百姓は土際(つちきわ)より木にある根の如し、幹と枝葉は藩中の如し、然れば十万石と云ふ時は、其領中一円神主僧侶も乞食(こじき)も皆此中の物なり、此十万石を四公六民とする時は、藩が四分、民が六分なり、然るに何方(いずかた)より頼談せらるゝも、皆藩の財政のみを改革せんとせられ、領中の事に及ばるゝはなし。古語に「其本(もと)乱れ末治まる者はあらず」とあり。其元を捨置(すてお)きて、其末のみを挙(あ)げんとするも、順序違へば、労するとも功無かるべし。真に藩の疲弊を救はんとならば、民政も共に改革せらるべし、さ無き時は、木の根を捨置て、枝葉に肥(こやし)を施すが如し。是(これ)卿(けい)が尤(もっと)も心を用ひらるべき所にて、卿が職務なり、帰藩の上能々(よくよく)勘考せらるべしと。某氏感服感服と云ひて去れり。
現代語訳
ある藩の重臣が、藩の財政再建の方法を尋ねた。翁(二宮尊徳)は言われた。ここに十万石の大名があるとする。これを一本の木に譬えれば、百姓は地際にある根のようなもので、幹と枝葉は藩の家中にあたる。だから十万石といえば、その領内一円の神主も僧侶も乞食も、みなこの木のうちのものだ。この十万石を四公六民とすれば、藩が四分、民が六分を取る。それなのに、誰から相談を受けても、みな藩の財政ばかりを改革しようとして、領内(民)のことにまで及ぶ者はいない。古語に「その根本が乱れて末が治まった例はない」とある。根本を放置して末端だけを立て直そうとしても、順序が違えば、労を尽くしても効果はあるまい。本当に藩の疲弊を救おうとするなら、民政も一緒に改革すべきだ。そうでなければ、木の根を放っておいて枝葉に肥料をやるようなものだ。これこそあなたが最も心を用いるべきところで、あなたの職務である。帰藩のうえよくよく熟考されよ、と。某氏は感服感服と言って去っていった。
解説
この章句が説くこと
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新語・道基後世淫邪にして、之を増すに鄭・衛の音を以てし、民は本を棄て末に趨き、技巧横出し、用意各々殊なれば、則ち雕文刻鏤を加え、膠漆丹青、玄黄琦瑋の色を傅致し、以て耳目の好みを窮め、工匠の巧みを極む。夫れ驢騾駱駝、犀象瑇瑁、琥珀珊瑚、翠羽珠玉は、山に生じ水に蔵れ、地を択びて居り、潔清明朗、潤沢にして濡い、磨すれども磷がず、涅すれども淄まず、天気の生ずる所、神霊の治むる所、幽閒清浄にして、神と浮沈し、力を効して用を為し、情を尽くして器を為さざる莫し。故に曰く、「聖人之を成す」と。能く物を統べ変に通じ、情性を治め、仁義を顕す所以なり。
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『武訓』上・第1段武に本末あり。忠孝義勇は、兵法の本なり。武德なり。節制謀略は、兵法なり。節制とは、人數をくばり、兵を行る道、是、いはゆる軍法なり。弓矢劔戟等の兵器の術は、兵法の末なり。武藝なり。本末ともにそなはるをよしとす。武藝は、兵法を本とし、兵法は、仁義を本とす。此の三の品あることをしりて、其の序をわかち、其の輕重を知るべし。三の者かぬることを得ずんば、忠孝義理の武德をはげむべし。武藝をしらざる人も、忠孝義理の勇あれば、戰功を立て、武名を得る人多し。武藝に達すとも、忠義なき臆病人ならば、戰功を立て武名をとることかたかるべし。君子は本をつとむ。本立ちて道生るとは、是なり。武藝は、まことに學ぶべくして、すつべからずといへど、必、武德を本として、つとめはげますべし。輕重本末あることをしるべし。又、忠義と剛勇とも、本末あり。程子曰、人必有仁義之心、而後有仁義之氣。仁義の心は、本なり。剛勇は、仁義の氣なり。末なり。仁義の心あれば、勇氣は、おのづから出てくるなり。仁義なくして武勇を好めば、大人は亂をおこし、小人は盜賊となる。
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『都鄙問答』卷之四・醫ノ志ヲ問ノ段答、博学は我も好む所なり、捨つるにあらず。然れども、医学熟して後のことなり。本末を正す時は、医学は本と知るべし。有子曰く、本立ちて道生ずと。本末の違へるは、君子の道にあらず。扠汝は、世俗の聞きなれぬことを云ふを、博学と思はれ候や。それは麁相なる了簡なり。良医は聞きなれぬことを云ふものに非ず。医書に、望聞問切と云ふことあり。先づ病人に望み、容体を見るを望と云ふ。様子を聞きて、病を知るを聞と云ふ。不審を問ひて察するを問と云ふ。脈を診て病を定むるを切と云ふ。然れば病人に望み、其の容体を観て後に、疾のことを言はせて聞き、又委細のことは、看病の者に問ひ、且つ脈を診て、我が意に合へるか合はざるかと得心して、薬を用ゆべきことなり。それに人の聞きなれぬことを云ひ、
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『都鄙問答』卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段答ふ、汝のいへる所は、枝葉にかかはり、文字の沙汰にて、本を失へり。君子は本をつとむと云ふ。万事に渉りてかくのごとし。先づ初学の者は、本末知るを先務とすべし。末に至りては、繁多にして分れ難し。天地有りて物を生じ、物生じて後に名あり。名有りて後、文字を加へて名を書す。文字は伏羲の後、倉頡が作ると云ふに非ずや。いまだ名も附けず、文字も無き前より天道あり。天道といへども、人有りて付けたる名なり。我が云ふ所を、名を離れて聞くべし。既に聖人は仁を本となし、老子は大道を以て仁の本となし、道と仁と名は二つなり。文字に依りて、何れが本と論議分るべきや。声も無く臭も無くして、万物の体と成る物を、暫く名づけて、乾とも天とも、道とも理とも、命とも性とも、
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『春秋左氏伝』桓公二年 本大にして末小惠の二十四年、晉始めて亂る。故に桓叔を曲沃に封じ、靖侯の孫欒賓之に傅たり。師服曰く、「吾聞く、國家の立つや、本大にして末小なり、是を以って能く固しと。故に天子は國を建て、諸侯は家を立て、卿は側室を置き、大夫は貳宗有り、士は隸子弟有り、庶人・工・商各々分親有り、皆等衰有り。是を以って民其の上に服事して、下に覬覦無し。今晉は、甸侯なり。而るに國を建つ。本既に弱し。其れ能く久しからんや」と。惠の三十年、晉の潘父昭侯を弒して桓叔を納れんとす、克たず。晉人孝侯を立つ。惠の四十五年、曲沃の莊伯翼を伐ち、孝侯を弒す。翼人其の弟鄂侯を立つ。鄂侯哀侯を生む。哀侯陘庭の田を侵す。陘庭の南鄙曲沃を啟きて翼を伐たしむ。
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新語・術事故に性は人に蔵れば、則ち気は天に達し、纖微浩大、下学上達す。事は類を以て相従い、声は音を以て相応ず。道唱えて徳和し、仁立ちて義興る。王者は之を朝廷に行い、疋夫は之を田に行う。末を治むる者は其の本を調え、其の影を端しくする者は其の形を正す。其の根を養う者は則ち枝葉茂り、志気調う者は即ち道沖たり。故に遠きを求むる者は近きを失う可からず、影を治むる者は其の容を忘る可からず。上明らかにして下清く、君聖にして臣忠なり。或いは遠きを図りて近きを失い、或いは道塞がりて路窮まる。季孫は顓臾の地を貪りて、変は蕭牆の内に起こる。夫れ進取する者は難を顧みざる可からず、事を謀る者は忠を尽くさざる可からず。故に刑立てば則ち徳散じ、佞用いらるれば則ち忠亡ぶ。詩に云う、「式て爾の心を訛し、以て万邦を蓄う」と。一心天下を化して、□□国治まるを言うは、此れを之れ謂うなり。

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