二宮翁夜話 / 巻之四
翁曰、我が道は至誠と実行のみ、故に鳥獣虫魚草木にも皆及ぼすべし、況や人に於るをや、故に才智弁舌を尊まず、才智弁舌は、人には説くべしといへ共、鳥獣草木を説く可からず、鳥獣は心あり、或は欺くべしといへ共、草木をば欺く可からず、夫我道は至誠と実行となるが故に、米麦蔬菜瓜茄子にても、蘭菊にても、皆是を繁栄せしむるなり、仮令知謀孔明を欺き、弁舌蘇長を欺くといへ共、弁舌を振て草木を栄えしむる事は出来ざるべし、故に才智弁舌を尊まず、至誠と実行を尊ぶなり、古語に、至誠神の如しと云といへ共、至誠は則神と云も、不可なかるべきなり、凡世の中は智あるも学あるも、至誠と実行とにあらざれば事は成らぬ物と知るべし。
書き下し
翁曰く、我が道は至誠と実行のみ、故に鳥獣(ちょうじゅう)虫魚(ちゅうぎょ)草木にも皆及ぼすべし、況(いわ)んや人に於(お)けるをや、故に才智弁舌(さいちべんぜつ)を尊(たっと)まず、才智弁舌は、人には説くべしといえども、鳥獣草木を説く可(べ)からず、鳥獣は心あり、或(ある)いは欺(あざむ)くべしといえども、草木をば欺く可からず、夫(それ)我が道は至誠と実行となるが故に、米麦蔬菜(そさい)瓜茄子(うりなす)にても、蘭菊(らんぎく)にても、皆是(これ)を繁栄せしむるなり、仮令(たとい)知謀(ちぼう)孔明を欺き、弁舌蘇長(そちょう)を欺くといえども、弁舌を振(ふる)いて草木を栄(さか)えしむる事は出来ざるべし、故に才智弁舌を尊まず、至誠と実行を尊ぶなり、古語に、至誠神(かみ)の如しと云うといえども、至誠は則(すなわ)ち神と云うも、不可なかるべきなり、凡(およ)そ世の中は智あるも学あるも、至誠と実行とにあらざれば事は成らぬ物と知るべし。
現代語訳
翁が言われた。私の道は至誠と実行だけである。だからこそ鳥獣・虫・魚・草木にまで及ぼすことができる。まして人に及ぶのは言うまでもない。それゆえ才知や弁舌を尊ばない。才知や弁舌は人には説けても、鳥獣や草木には説けない。鳥獣には心があるからあるいは欺けても、草木を欺くことはできない。そもそも私の道は至誠と実行だから、米麦や野菜、瓜や茄子でも、蘭や菊でも、みなこれを繁栄させることができる。たとえ知謀で諸葛孔明を欺き、弁舌で蘇秦・張儀を言い負かせたとしても、弁舌をふるって草木を栄えさせることはできまい。だから才知や弁舌を尊ばず、至誠と実行を尊ぶのである。古語に「至誠は神のようだ」というが、至誠こそ神そのものだと言っても差し支えなかろう。およそ世の中は、知恵があっても学問があっても、至誠と実行がなければ事は成らないものだと知るべきだ。
解説
この章句が説くこと
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