二宮翁夜話 / 巻之四
翁曰、惰風極り、汚俗深染の村里を新にするは、いとも難き業なり、如何となれば、法戒む可からず、令行はる可からず、教施す可からず、之をして精励に趣かしめ、之をして義に向はしむる、豈難からずや、予昔桜町陣屋に来る、配下の村々至惰至汚、如何共すべき様なし、之に依て、予深夜或は未明、村里を巡行す、惰を戒るにあらず、朝寝を戒るにあらず、可否を問はず、勤惰を言はず、只自の勤として、寒暑風雨といへども怠らず、一二月にして、初て足音を聞て驚く者あり、又足跡を見て怪む者あり、又現に逢ふ者あり、是より相共に戒心を生じ、畏心を抱き、数月にして、夜遊博奕闘争等の如きは勿論、夫妻の間、奴僕の交、叱咤の声無きに至れり、諺に、権平種を蒔けば烏之を掘る、三度に一度は追ずばなるまい、と云り、是鄙俚戯言といへ共、有職の人知らずば有る可からず、夫烏の田甫を荒すは、烏の罪にあらず、田甫を守る者追ざるの過なり、政道を犯す者の有るも、官之を追ざるの過なり、之を追ふの道も、又権兵衛が追ふを以て勤として、捕るを以て本意とせざるが如く、あり度物なり、此戯言政事の本意に適へり、鄙俚の言といへ共、心得ずば有るべからず。
書き下し
翁曰く、惰風(だふう)極まり、汚俗(おぞく)深染(しんせん)の村里を新(あらた)にするは、いとも難(かた)き業なり、如何(いか)となれば、法戒(いまし)む可(べ)からず、令行わる可からず、教施(ほどこ)す可からず、之(これ)をして精励に趣(おもむ)かしめ、之をして義に向わしむる、豈(あに)難からずや、予昔桜町陣屋に来る、配下の村々至惰(しだ)至汚(しお)、如何共(いかんとも)すべき様なし、之に依(よ)りて、予深夜或(ある)いは未明、村里を巡行す、惰を戒(いまし)むるにあらず、朝寝を戒むるにあらず、可否を問わず、勤惰(きんだ)を言わず、只自(みずか)らの勤として、寒暑風雨といえども怠(おこた)らず、一二月にして、初めて足音を聞きて驚(おどろ)く者あり、又足跡を見て怪(あや)しむ者あり、又現(げん)に逢(あ)う者あり、是(これ)より相共に戒心を生じ、畏心(いしん)を抱(いだ)き、数月にして、夜遊博奕(やゆうばくえき)闘争(とうそう)等の如きは勿論(もちろん)、夫妻の間、奴僕(ぬぼく)の交(まじわり)、叱咤(しった)の声(こえ)無きに至れり、諺(ことわざ)に、権平(ごんべい)種を蒔(ま)けば烏(からす)之を掘(ほ)る、三度に一度は追わずばなるまい、と云えり、是鄙俚(ひり)戯言(げげん)といえども、有職(ゆうそく)の人知らずば有る可からず、夫(それ)烏の田甫(たんぼ)を荒(あら)すは、烏の罪にあらず、田甫を守る者追わざるの過(あやまち)なり、政道を犯す者の有るも、官之を追わざるの過なり、之を追うの道も、又権兵衛が追うを以て勤として、捕(とら)うるを以て本意とせざるが如く、あり度(た)き物なり、此の戯言政事の本意に適(かな)えり、鄙俚の言といえども、心得ずば有るべからず。
現代語訳
翁が言われた。怠け癖が極まり、悪習に深く染まった村里を新しくするのは、実に難しい仕事だ。なぜなら法で戒めることもできず、命令も行き渡らず、教えを施すこともできないからだ。そんな村人を精励に向かわせ、義に向かわせるのは、なんと難しいことか。私は昔、桜町陣屋に来たが、支配下の村々はこの上なく怠惰で汚れ、どうにもしようがなかった。そこで私は深夜あるいは未明に村里を見回った。怠惰を戒めるためでも、朝寝を戒めるためでもない。良し悪しを問わず、勤勉か怠惰かも言わず、ただ自分の努めとして、暑さ寒さ風雨があっても怠らず続けた。一、二か月して、初めて足音を聞いて驚く者があり、足跡を見て不思議がる者があり、実際に出会う者も出てきた。これをきっかけに村人はみな戒めの心を生じ、畏れの心を抱くようになり、数か月で、夜遊びや博打や争いはもちろん、夫婦の間や下男の付き合いに至るまで、叱り合う声さえなくなった。諺に「権平が種を蒔けば烏がそれを掘り返す、三度に一度は追い払わねばなるまい」という。これは田舎のたわむれ言だが、政治に携わる者は知らずにいてはならない。そもそも烏が田を荒らすのは烏の罪ではなく、田を守る者が追わない過ちである。政治の道を犯す者がいるのも、役人がそれを追わない過ちなのだ。ただしその追い方も、権兵衛が追うことを努めとして、捕えることを本意としないように、あってほしいものだ。この戯れ言は政治の本意にかなっている。田舎の言葉とはいえ、心得ておかねばならない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
十七条憲法 第八条群卿百寮(ぐんけいひゃくりょう)、早(つと)に朝(まい)りて晏(おそ)く退(しりぞ)け。公事(くじ)盬(しお)きこと靡(な)く、終日(ひねもす)にも尽(つ)くし難(がた)し。是(ここ)を以(もっ)て遅(おそ)く朝(まい)れば急(きゅう)に逮(およ)ばず、早く退(しりぞ)けば必(かなら)ずその功(こう)を尽(つ)くさず。
-
孟子・盡心章句下孟子曰く、「身、道を行わざれば、妻子にも行われず。人を使うに道を以 てせざれば、妻子にも行わるること能わず。」
-
論語・衛霊公篇子曰わく、身をもって厚くし、人を責むること薄ければ、すなわち怨み遠し。
-
論語・里仁篇子曰く、「我未だ仁を好む者と、不仁を悪む者とを見ざるなり。仁を好む者は、以て之に尚(くわ)うる無し。不仁を悪む者は、其れ仁を為すや、不仁者をして其の身に加えしめず。能く一日其の力を仁に用うること有らんか。我未だ力足らざる者を見ざるなり。蓋し之有らん、我未だ之を見ざるなり。」
-
史記 孫子呉起列伝起の将為るや、士卒の最下の者と衣食を同じくす。臥するに席を設けず、行くに騎乗せず、親ら贏糧を裹ひ、士卒と労苦を分かつ。卒に疽を病む者有り、起、為に之を吮ふ。卒の母、聞きて之に哭す。人曰く、「子は卒なり、而るに将軍自ら其の疽を吮ふ、何ぞ哭するを為す」と。母曰く、「然るに非ざるなり。往年、呉公、其の父を吮ひ、其の父、戦ひて踵を旋さず、遂に敵に死す。呉公今又其の子を吮ふ。妾、其の死所を知らず。是を以て之を哭す」と。
-
六韜・励軍武王 太公に問ひて曰く、「吾 三軍の衆をして、城を攻むれば先登を争ひ、野戦すれば先赴を争ひ、金の声を聞きて怒り、鼓の声を聞きて喜ばしめんと欲す。之を為すこと奈何」と。太公曰く、「将に三あり」と。武王曰く、「敢へて其の目を問はん」と。太公曰く、「将 冬に裘を服ず、夏に扇を操らず、雨に蓋を張らず、名づけて礼将と曰ふ。将 身づから礼を服せざれば、以て士卒の寒暑を知る無し。隘塞を出で、泥塗を犯すには、将 必ず先づ下りて歩む、名づけて力将と曰ふ。将 身づから力を服せざれば、以て士卒の労苦を知る無し。軍 皆な次を定めて、将 乃ち舎に就く。炊ぐ者 皆な熟して、将 乃ち食に就く。軍 火を挙げざれば、将も亦た挙げず、名づけて止欲将と曰ふ。将 身づから止欲を服せざれば、以て士卒の飢飽を知る無し。将 士卒と寒暑・労苦・飢飽を共にす、故に三軍の衆、鼓の声を聞けば則ち喜び、金の声を聞けば則ち怒る。高城深池、矢石 繁く下るも、士は先登を争ふ。白刃 始めて合ふも、士は先赴を争ふ。士は死を好みて傷つくを楽しむに非ざるなり。其の将の寒暑・飢飽を知ること審らかにして、労苦を見ること明らかなるが為なり」と。