二宮翁夜話 / 巻之三
翁曰、人の神魂に就て、生ずる心を真心と云、則道心なり、身体に就て生ずるを私心と云、則人心なり、人心は譬ば、田畑に生ずる莠草の如し、勤て耘り去るべし、然せざれば、作物を害するが如く、道心を荒す物なり、勤て私心の草を耘り、米麦を培養するが如く、工夫を用ひ、仁義礼智の徳性を養ひ育つ可し、是身を修め家を斉ふるの勤なり。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、人の神魂(しんこん)に就(つ)きて、生ずる心を真心(まごころ)と云(い)う、則(すなわ)ち道心なり、身体に就きて生ずるを私心と云う、則ち人心なり、人心は譬(たと)えば、田畑に生ずる莠草(ゆうそう)の如し、勤(つと)めて耘(くさぎ)り去るべし、然(しか)せざれば、作物を害するが如く、道心を荒(あら)す物なり、勤めて私心の草を耘り、米麦を培養(ばいよう)するが如く、工夫を用い、仁義礼智の徳性(とくせい)を養(やしな)い育(そだ)つべし、是(これ)身を修(おさ)め家を斉(ととの)うるの勤なり。
現代語訳
翁が言われた。人の魂に生じる心を真心といい、これがすなわち道心である。身体に生じる心を私心といい、これがすなわち人心である。人心はたとえば田畑に生える雑草のようなものだ。せっせと耘り取り去るべきである。そうしなければ、雑草が作物を害するように、道心を荒らしてしまうものだ。せっせと私心という草を取り除き、米や麦を培い養うように工夫を凝らして、仁義礼智の徳性を養い育てるべきである。これが身を修め家を斉えるための努めなのである。
解説
尊徳は人の心を「道心」と「人心」に分け、私心を田畑の雑草にたとえます。放っておけば雑草が作物を枯らすように、私欲は本来の善なる心を荒らしてしまう。だからこそ日々こまめに草を取り、米麦を育てるように、仁義礼智の徳を養い育てよと説きます。ここには報徳思想の「勤労」の精神が色濃く表れています。徳は一度に完成するものではなく、田畑の手入れと同じく毎日の地道な積み重ね(積小為大)によって育つのです。現代の私たちにとっても、自己の欲を戒めながら日々小さな善行を重ねる修養の姿勢は、人格を築く確かな道を示してくれます。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳道心人心勤労仁義礼智
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