呂氏春秋 / 音初⑤
凡音者,產乎人心者也。感於心則蕩乎音,音成於外而化乎內,是故聞其聲而知其風,察其風而知其志,觀其志而知其德。盛衰、賢不肖、君子小人皆形於樂,不可隱匿,故曰樂之為觀也深矣。土弊則草木不長,水煩則魚鱉不大,世濁則禮煩而樂淫。鄭衛之聲,桑間之音,此亂國之所好,衰德之所說。流辟誂越慆濫之音出,則滔蕩之氣、邪慢之心感矣;感則百姦眾辟從此產矣。故君子反道以修德,正德以出樂,和樂以成順。樂和而民鄉方矣。
新字:凡音者,産乎人心者也。感於心則蕩乎音,音成於外而化乎内,是故聞其声而知其風,察其風而知其志,観其志而知其徳。盛衰、賢不肖、君子小人皆形於楽,不可隠匿,故曰楽之為観也深矣。土弊則草木不長,水煩則魚鱉不大,世濁則礼煩而楽淫。鄭衛之声,桑間之音,此乱国之所好,衰徳之所説。流辟誂越慆濫之音出,則滔蕩之気、邪慢之心感矣;感則百姦衆辟従此産矣。故君子反道以修徳,正徳以出楽,和楽以成順。楽和而民郷方矣。
書き下し
凡そ音は人心に産する者なり。心に感ずれば則ち音に蕩く。音、外に成りて内に化す。是の故に其の聲を聞きて其の風を知り、其の風を察して其の志を知り、其の志を觀て其の德を知る。盛衰賢不肖君子小人、皆樂に形われ、隱匿す可からず。故に曰く、樂の觀為るや深し。土弊しければ則ち草木長ぜず、水煩なれば則ち魚鱉大ならず、世濁なれば則ち禮煩にして樂淫たり。鄭衛の聲・桑間の音は、此れ亂國の好む所、衰德の說ぶ所なり。流辟・誂越・慆濫の音出づれば、則ち滔蕩の氣、邪慢の心感ず。感ずれば則ち百姦衆辟此れ從り生ず。故に君子は道に反りて以て徳を修め、徳を正しくして以て樂を出だし、樂を和して以て順を成す。樂和すれば而ち民方に郷う。
現代語訳
およそ音楽は人の心から生まれるものである。心に感じれば音となって表れ、音は外に形をなして内面を教化する。だから、その声を聞けばその土地の気風を知り、気風を察すればその志を知り、志を観ればその徳を知る。盛衰・賢愚・君子と小人は、すべて音楽に現れて隠すことができない。ゆえに、音楽を観ることの深さは大きいと言うのである。土地が悪ければ草木は育たず、水が乱れれば魚やすっぽんは大きくならず、世が濁れば礼は煩雑になり音楽は淫らになる。鄭・衛の音や桑間の音は、乱れた国が好み、衰えた徳が喜ぶものである。偏った不安定でわがままな音が出れば、みだらな気や邪な心が呼び起こされ、それによって多くの悪事が生じる。ゆえに君子は道に立ち返って徳を修め、徳を正して音楽を生み出し、音楽を調和させて秩序を成す。音楽が調和すれば、民は正しい道へと向かうのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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言志四録・言志録 第百八十一条 勢に因りて利導す人情の気機は、一定を以て求むべからず。之を誘へば勧み、之を禁ずれば遏む、順なり。之を導けば反つて阻み、之を抑ふれば益揚る、逆なり。是の故に駕馭の道は、当に其の向背を察し、其の軽重を審らかにし、勢に因りて之を利導し、機に応じて之を激励し、其をして自ら其の然る所以を覚えざらしむべし。此れを之れ得たりと為す。
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史記 高祖本紀且つ吾の軍を霸上に還す所以は、諸侯の至るを待ちて約束を定めんのみ。」と。乃ち人をして秦の吏と県郷邑を行かしめ、之に告諭す。秦人大いに喜び、争ひて牛羊酒食を持ちて軍士に献饗す。沛公又譲りて受けず、曰く、「倉粟多し、乏しきに非ず、人に費さしむるを欲せず。」と。人又益々喜び、唯だ沛公の秦王と為らざらんことを恐る。
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『弁道』第二十四則「之を継ぐ者は善」とは、天を継ぐの継の如し。善とは善人を謂ふなり。流行と訓ずる者は継の字の義を失へり。「之を成す者は性」とは、人各〻性の近き所に随ひて務めを成すを謂ふなり。凡そ徳と言ふ者、怨に対して言ふ者有り、財に対して言ふ者有り。其の単に言ふ者は、皆性の徳なり。爾らずんば、「徳に拠る」、何ぞ其れ荒唐なるや。人心とは民心なり。朽索の馭の如し。故に危ふしと曰ふ。道心とは民心を導くなり。其の機甚だ微なり。故に微なりと曰ふ。
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『呻吟語』内篇・應務・一の拙法有り世人の相與するは、面上に非ざれば則ち口中なり。人の心は固より面と口とに掩ふ能はず。而して測る可からざる者は則ち面と口とに盡きざるなり。故に惟だ人心のみ最も畏る可く、人心最も知る可からず。此れ天下の陷阱にして、古今生死の衢なり。余に一の拙法有り。之を推すに至誠を以てし、之を施すに至厚を以てし、之を持するに至慎を以てし、是非を遠ざけ、利名を讓り、後下に處せば、則ち夷狄鳥獸も骨肉腹心とす可し。將に深き者をして且つ心を傾けしめ、險なる者をして且つ德に化せしめんとす。而して何ぞ陷阱の予に及ばんや。
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『晏子春秋』外篇上・景公坐路寢曰誰將有此晏子諫景公路寝に坐して、曰く、「美なるかな室、其れ誰か将に此を有たんとするか」と。晏子対えて曰く、「其れ田氏か。田無宇は垾を為せり」と。公曰く、「然らば則ち奈何」と。晏子対えて曰く、「善を為す者は、君上の勧むる所なり。豈に禁ず可けんや。夫れ田氏は、国門に柝を撃つの家にして、父は以て其の子に托し、兄は以て其の弟に托し、今に於て三世なり。山の木は市の如くにして、山に加えず。魚塩蚌蜃は、海に加えず。民財之が為に帰す。今歳凶饑にして、蒿種芼斂は半ばならず、道路に死人有り。斉の旧四量は、四升を豆と為し、豆四にして区、区四にして釜、釜十にして鐘なり。田氏の四量は、各々一を加う。家の量を以て貸し、公の量を以て収む。則ち糴する所以、百姓の死命を澤うこと多し。今公家は驕汰にして、田氏は慈恵なり。国の澤は是に焉くにか帰せん。田氏は徳無しと雖も、民に施す有り。公厚く斂め、田氏は厚く施す。詩に曰く、『汝に与うる徳無しと雖も、式て歌い且つ舞う』と。田氏の施しは、民之を歌舞するなり。国の帰するも、亦た宜ならずや」と。
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『洗心洞箚記』卷下・第七十九條或ひと梁恵王曰く寡人の国に於けるやの章の義を問ふ。曰く、恵王の尽心と、後章の其の心を尽くす者は其の性を知るなりの尽心とは、字同じくして旨異なり。如し先づ之を弁ぜずして、一章の義を解すれば、則ち無数の言語を費して、天理人欲、終に分暁なること能はざるなり。夫れ恵王の尽心は、即ち人心を尽くす者なり。人心は、便ち是れ人欲にして不仁なり。恵王の戦を好むの心は、乃ち人欲の中尤も不仁なる者なり。人欲の中尤も不仁なるの心を尽くして、飢民を転遷し以て其の多少を計較す。要するに一身を肥やして独楽を極めんと欲する者なり。盗賊の心と奚を以て異ならんや。是の故に終に其の民を糜爛し子弟を駆りて以て之に殉ぜしむ。是れ皆自ら人心を尽くす上より来る。然らば則ち人心を尽くすは、断絶せざるべからざるなり。

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