呂氏春秋 / 功名②
(疆)〔彊〕令之笑,不樂,(疆)〔彊〕令之哭,不悲。(疆)〔彊〕令之為道也,可以成小,而不可以成大。
新字:(疆)〔彊〕令之笑,不楽,(疆)〔彊〕令之哭,不悲。(疆)〔彊〕令之為道也,可以成小,而不可以成大。
書き下し
彊いて之をして笑わしむるも樂しまず、彊いて之をして哭せしむるも悲しからず。彊いて之をして道を為さしむれば、以て小を成す可くして、以て大を成す可からず。
現代語訳
無理に笑わせても心から楽しんではおらず、無理に泣かせても心から悲しんではいない。同じように、無理に人に道(正しい行い)を行わせても、小さな事は成しとげられるかもしれないが、大きな事を成しとげることはできない。
解説
この短い段は、強制の限界を説きます。無理に笑わせても本当の楽しさは生まれず、無理に泣かせても本当の悲しみは生まれません。同じく、人に無理やり正しい行いをさせても、小さな成果は上がっても、大きな事業は成し遂げられないといいます。前段が徳によって人が自然に集まることを説いたのを受け、ここでは逆に、強制では人の心を動かせないことを対比的に示します。呂氏春秋は、真の功名は内から発する自発性に支えられてこそ大成すると考えます。現代でも、強制や号令だけでは人の本心は動かず、大きな成果は生まれない、自発性を引き出すことが肝要だという組織運営の教訓として読むことができます。
この章句が説くこと
功名強制の限界自発性徳治人心道
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