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二宮翁夜話 / 巻之三

山内董正氏の所蔵に左図の幅あり。翁曰、此図此説面白しといへ共、満の字の説分明ならず、且つ満を持するの説又尽さず、論語中庸の語気とは少しく懸隔を覚ゆ、何の書に有りや。門人曰、願くは満の字の説、又満を持するの法聞く事を得べしや。翁曰、夫れ世の中、何を押へてか満と云はん。百石を満といへば五百石八百石あり、千石を満といへば五千石七千石あり、万石を満といへば五十万石百万石あり。然れば如何なるを押へて満と定めん、是れ世人の惑ふ処なり。大凡書籍に云へる処、皆此の如く云ふ可くして実際には行ひ難き事のみ。故に予は人に教ふるに、百石の者は五十石、千石の者は五百石、惣て其半にて生活を立て其半を譲るべしと教ふ。分限に依て其中とする処各々異なればなり。是れ允に其中を執れと云へるに基けるなり。此の如くなれば各々明白にして迷なく疑ひなし。此の如くに教えざれば用を成さぬなり。我が教是を推譲の道と云ふ、則ち人道の極なり。爰に中なれば正しと云へるに叶へり。而て此推譲に次第あり。今年の物を来年に譲るも譲なり、則ち貯蓄を云ふ。子孫に譲るも譲るなり、則ち家産増殖を云ふ。其他親戚にも朋友にも譲らずばあるべからず、村里にも譲らずばあるべからず、国家にも譲らずばあるべからず。資産ある者は確乎と分度を定め法を立て能く譲るべし。

書き下し

山内董正(とうせい)氏の所蔵に左図の幅あり。翁曰く、此図此説面白しといへ共、満(まん)の字の説分明(ぶんめい)ならず、且つ満を持するの説又尽さず、論語中庸(ちゅうよう)の語気とは少しく懸隔(けんかく)を覚ゆ、何の書に有りや。門人曰く、願くは満の字の説、又満を持するの法聞く事を得べしや。翁曰く、夫れ世の中、何を押(おさ)へてか満と云はん。百石を満といへば五百石八百石あり、千石を満といへば五千石七千石あり、万石を満といへば五十万石百万石あり。然れば如何なるを押へて満と定めん、是れ世人の惑(まど)ふ処なり。大凡(おおよそ)書籍(しょじゃく)に云へる処、皆此の如く云ふ可くして実際には行ひ難き事のみ。故に予は人に教ふるに、百石の者は五十石、千石の者は五百石、惣(すべ)て其半(はん)にて生活を立て其半を譲るべしと教ふ。分限に依て其中(ちゅう)とする処各々異なればなり。是れ允(まこと)に其中を執(と)れと云へるに基(もとづ)けるなり。此の如くなれば各々明白にして迷なく疑ひなし。此の如くに教えざれば用を成さぬなり。我が教是を推譲(すいじょう)の道と云ふ、則ち人道の極(きょく)なり。爰(ここ)に中なれば正しと云へるに叶へり。而て此推譲に次第あり。今年の物を来年に譲るも譲なり、則ち貯蓄(ちょちく)を云ふ。子孫に譲るも譲るなり、則ち家産増殖を云ふ。其他親戚にも朋友にも譲らずばあるべからず、村里にも譲らずばあるべからず、国家にも譲らずばあるべからず。資産ある者は確乎(かっこ)と分度を定め法を立て能く譲るべし。

現代語訳

山内董正氏の所蔵に、ある一幅の掛物があった。翁が言われた。この図とこの説は面白いが、「満」の字の説明がはっきりせず、「満を持す」の説明も言い尽くしていない。『論語』『中庸』の語気とは少し隔たりを感じる、いったい何の書にあるものか、と。門人が「どうか『満』の字の説と、満を持する法をお聞かせ願えますか」と問うた。翁が言われた。そもそも世の中、何をもって「満(いっぱい)」と決められよう。百石を満とすれば五百石八百石があり、千石を満とすれば五千石七千石があり、万石を満とすれば五十万石百万石がある。ならば何を満と定められよう。これが世間の人の迷うところだ。だいたい書物に書かれていることは、みなこのように立派に言えても実際には行いにくいことばかり。だから私は人に教えるとき、百石の者は五十石、千石の者は五百石、すべてその半分で生活を立て、残り半分を譲れと教える。分限によって「中」とする所がそれぞれ違うからだ。これは「まことにその中庸を執れ」という教えに基づいている。こうすればそれぞれ明白で、迷いも疑いもない。このように教えなければ役に立たないのだ。私の教えではこれを推譲の道といい、これこそ人の道の極みである。ここで「中庸ならば正しい」と言われるのに叶っている。そしてこの推譲には順序がある。今年の物を来年に譲るのも譲、すなわち貯蓄だ。子孫に譲るのも譲、すなわち家産を増やすことだ。その他、親戚にも友人にも譲らねばならず、村里にも譲らねばならず、国家にも譲らねばならない。資産のある者はしっかりと分度を定め、法を立てて、よく譲るべきである。

解説

「満」とは何かという問いを入口に、報徳思想の柱である分度と推譲を説く一条です。百石でも千石でも「これで満だ」と定める基準はなく、上を見ればきりがない――尊徳はそこで、収入の半分で暮らし残り半分を譲れと具体的に教えます。分限に応じた「中」を定めれば迷いがなくなる、これは『論語』の「其の中を執れ」に叶う人の道の極みだと言うのです。譲りには順序があり、来年へ譲る貯蓄、子孫へ譲る家産、そして親戚・村・国家へと広がります。現代でも、際限なく「もっと」を求めるのをやめ、自分の分に応じた基準を定めて余力を他へ回す。この分度と推譲の発想は、持続可能な暮らしと社会の指針になります。

この章句が説くこと

二宮翁夜話報徳推譲分度中庸貯蓄

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