二宮翁夜話 / 巻之三
翁曰、山畑に粟稗実法る時は猪鹿小鳥までも出来て、是を取食ふ、礼もなく法もなく、仁義もなし、己々が腹を養ふのみ、粟を育んと肥をする猪鹿もなく、稗を実法らせんと草を取る鳥もなし、人にして礼法なき、何ぞ是と異らむ、予が戯に詠る歌に「秋来れば山田の稲を猪と猿、人と夜昼争ひにけり」夫検見に来る地方官は、米を取らんが為なり、検見を受る田主も、作徳を取らん為なり、作主は元よりなり、され共、皆仁あり義あり、法あり礼あるが故に、心中には争へ共、乱に及ばぬなり、若此三人の内、一人仁義礼法を忘れて、私欲を押張らば忽乱るべし、世界は礼法こそ尊けれ
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、山畑(やまばた)に粟(あわ)稗(ひえ)実法(みの)る時は猪(い)鹿(しか)小鳥までも出来(いできた)りて、是(これ)を取食(くら)ふ、礼もなく法もなく、仁義もなし、己々(おのおの)が腹(はら)を養(やしな)ふのみ、粟を育(そだ)てんと肥(こやし)をする猪鹿もなく、稗を実法(みの)らせんと草を取る鳥もなし、人にして礼法なき、何ぞ是と異(こと)ならむ、予(よ)が戯(たわむ)れに詠(よ)める歌に「秋来れば山田の稲(いね)を猪(しし)と猿(さる)、人と夜昼争(あらそ)ひにけり」、夫(そ)れ検見(けみ)に来る地方官は、米を取らんが為なり、検見を受(う)くる田主(たぬし)も、作徳(さくとく)を取らん為なり、作主(つくりぬし)は元よりなり、され共(ども)、皆仁あり義あり、法あり礼あるが故に、心中には争へ共、乱(らん)に及ばぬなり、若(も)し此(こ)の三人の内、一人仁義礼法を忘れて、私欲を押張(おしは)らば忽(たちま)ち乱(みだ)るべし、世界(せかい)は礼法こそ尊(たっと)けれ
現代語訳
翁が言われた。山畑に粟や稗が実ると、猪や鹿、小鳥までもがやって来てこれを食う。礼もなく法もなく、仁義もない。ただ自分の腹を満たすだけだ。粟を育てようと肥をやる猪や鹿もいなければ、稗を実らせようと草を取る鳥もいない。人でありながら礼法がなければ、これと何の違いがあろうか。私が戯れに詠んだ歌に「秋が来れば山田の稲を、猪と猿と人とが夜昼を分かたず奪い合っている」とある。そもそも検見(けみ・収穫の検査)に来る役人は年貢の米を取ろうとし、検見を受ける田主も自分の取り分を取ろうとする。耕作人はもともと自分の分を取ろうとするのは言うまでもない。それでも皆に仁があり義があり、法があり礼があるから、心の中では争っていても乱れ(争乱)には至らない。もしこの三人のうち一人でも仁義礼法を忘れて私欲をむき出しにすれば、たちまち乱れてしまう。この世は礼法こそが尊いのだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』昭公七年 普天の下、王土に非ざる莫し七年春、王の正月、齊と平らぐ。齊之を求むるなり。癸巳、齊侯虢に次る。燕人成を行ひて曰く、「敝邑罪を知る、敢へて命を聽かざらんや。先君の敝器もて、請ふ以て罪を謝せん」と。公孫皙曰く、「服を受けて退き、釁を俟ちて動くは、可なり」と。二月、戊午、濡上に盟ふ。燕人燕姬を歸(とつ)がしめ、賂ふに瑤罋・玉櫝・斝耳を以てす。克たずして還る。楚子の令尹為るや、王の旌を為りて以て田す。芋尹無宇之を斷ちて曰く、「一國に兩君あらば、其れ誰か之に堪へん」と。即位するに及び、章華の宮を為り、亡人を納れて以て之を實たす。無宇の閽焉に入る。無宇之を執ふ。有司與へずして曰く、「人を王宮に執ふ、其の罪大なり」と。執へて諸を王に謁す。王將に酒を飲まんとす。無宇辭して曰く、「天子は經略し、諸侯は封を正す、古の制なり。封略の内、何か君の土に非ざる。土の毛を食む、誰か君の臣に非ざる。故に詩に曰く、『普天の下、王土に非ざる莫く、率土の濱、王臣に非ざる莫し』と。
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史記 高祖本紀高祖長く雒陽に都せんと欲す、斉人劉敬説き、乃ち留侯上に勧めて関中に入り都せしむ、高祖是の日駕して、入りて関中に都す。六月、天下に大赦す。十月、燕王臧荼反し、代の地を攻め下す。高祖自ら将として之を撃ち、燕王臧荼を得たり。即ち太尉盧綰を立てて燕王と為す。丞相噲をして兵を将ゐて代を攻めしむ。其の秋、利幾反す、高祖自ら兵を将ゐて之を撃つ、利幾走る。利幾は、項氏の将なり。項氏敗れ、利幾陳公為り、項羽に随はず、亡げて高祖に降る、高祖之を潁川に侯とす。高祖雒陽に至り、通侯の籍を挙げて之を召す、而して利幾恐る、故に反す。六年、高祖五日に一たび太公に朝す、家人の父子の礼の如くす。太公の家令太公に説きて曰く、「天に二日無く、土に二王無し。今高祖子なりと雖も、人主なり。太公父なりと雖も、人臣なり。柰何ぞ人主をして人臣を拝せしめん。此くの如くならば、則ち威重行はれず。」と。後に高祖朝す、太公篲(ほうき)を擁し、門に迎へて卻行す。高祖大いに驚き、下りて太公を扶く。太公曰く、「帝は、人主なり、柰何ぞ我を以て天下の法を乱さん。」と。是に於て高祖乃ち太公を尊びて太上皇と為す。心に家令の言を善しとし、金五百斤を賜ふ。十二月、人変事を上りて楚王信の謀反を告ぐる有り、上左右に問ふ、左右争ひて之を撃たんと欲す。陳平の計を用ゐ、乃ち偽りて雲夢に遊び、諸侯を陳に会す、楚王信迎ふ、即ち因りて之を執ふ。是の日、天下に大赦す。田肯賀し、因りて高祖に説きて曰く、「陛下韓信を得、又秦中を治む。秦は、形勝の国なり、河山の険を帯び、県隔すること千里、戟を持つもの百万、秦百に二を得たり。地勢便利にして、其の以て兵を諸侯に下すこと、譬へば猶ほ高屋の上に居りて瓴水を建(くつがへ)すがごときなり。夫れ斉は、東に瑯邪・即墨の饒有り、南に泰山の固有り、西に濁河の限有り、北に勃海の利有り。
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人物志・流業是を主道得られて臣道序すと謂い、官方を易えずして、太平用て成る。
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説苑・奉使晉楚の君相與に好會を宛丘の上に爲す。宋人をして往かしむ。晉楚の大夫曰く、「趣かに天子の禮を以て吾が君に見えよ、我子の爲に見えん。」使者曰く、「冠弊ると雖も、宜しく其の上に加うべし。履新たなりと雖も、宜しく其の下に居るべし。周室微なりと雖も、諸侯未だ之を易うる能わざるなり。師宋城に升るとも、猶お臣の服を更めざるなり。」揖して之を去る。諸大夫瞿然とし、遂に諸侯の禮を以て之に見ゆ。
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論語・八佾篇子曰く、『夷狄の君有るは、諸夏の亡きに如かず。』
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『春秋左氏伝』昭公七年 天に十日、人に十等天に十日有り、人に十等有り。下は上に事ふる所以、上は神に共する所以なり。故に王は公を臣とし、公は大夫を臣とし、大夫は士を臣とし、士は皁を臣とし、皁は輿を臣とし、輿は隸を臣とし、隸は僚を臣とし、僚は僕を臣とし、僕は臺を臣とす。馬に圉有り、牛に牧有り、以て百事を待つ。今有司曰く、『女胡ぞ人を王宮に執ふる』と。將た焉にか之を執へん。周の文王の法に曰く、『亡有れば荒(おほ)いに閱す』と。天下を得し所以なり。吾が先君文王、僕區の法を作りて曰く、『盜の隱す所の器は、盜と罪を同じくす』と。汝に封ずる所以なり。若し有司に從はば、是れ逃臣を執ふる所無きなり。逃げて之を舍かば、是れ陪臺無きなり。王事乃ち闕くること無からんや。昔武王紂の罪を數へて、以て諸侯に告げて曰く、『紂は天下の逋逃の主と為り、淵藪に萃む』と。故に夫(か)の死を致す。君王始めて諸侯を求めて紂に則るは、乃ち不可なること無からんや。若し二文の法を以て之を取らば、盜所在有らん」と。王曰く、「而(なんぢ)の臣を取りて以て往け。盜寵有り、未だ得べからざるなり」と。遂に之を赦す。

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