二宮翁夜話 / 巻之三
翁曰、世の中、とかく増減の事に付、さわがしき事多かれど、世上に云増減と云物は、譬ば水を入たる器の、彼方此方に傾くが如し、彼方増せば此方へり、此方増せば彼方減るのみ、水に於ては増減ある事なし、彼方にて田地を買て悦べば、此方に田地を売て歎く者あり、只、彼方此方の違ひあるのみ、本来増減なし、予が歌に「増減は器傾く水と見よ」と云る通り也、夫我道の尊む増殖の道は夫と異也、直に天地の化育を賛成するの大道にして、米五合にても、麦一升にても、芋一株にても、天つ神の積置せらるゝ無尽蔵より、鍬鎌の鍵を以て此世上に取出す大道なり、是を真の増殖の道と云、尊むべし務むべし、「天つ日の恵積置無尽蔵鍬でほり出せ鎌でかりとれ」
新字:翁曰、世の中、とかく増減の事に付、さわがしき事多かれど、世上に云増減と云物は、譬ば水を入たる器の、彼方此方に傾くが如し、彼方増せば此方へり、此方増せば彼方減るのみ、水に於ては増減ある事なし、彼方にて田地を買て悦べば、此方に田地を売て嘆く者あり、只、彼方此方の違ひあるのみ、本来増減なし、予が歌に「増減は器傾く水と見よ」と云る通り也、夫我道の尊む増殖の道は夫と異也、直に天地の化育を賛成するの大道にして、米五合にても、麦一升にても、芋一株にても、天つ神の積置せらるゝ無尽蔵より、鍬鎌の鍵を以て此世上に取出す大道なり、是を真の増殖の道と云、尊むべし務むべし、「天つ日の恵積置無尽蔵鍬でほり出せ鎌でかりとれ」
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、世の中、とかく増減(ぞうげん)の事に付(つ)き、さわがしき事多かれど、世上(せじょう)に云ふ増減と云ふ物は、譬(たと)へば水を入(いれ)たる器(うつわ)の、彼方(かなた)此方(こなた)に傾(かたむ)くが如し、彼方増せば此方(こなた)へり、此方増せば彼方(かなた)減るのみ、水に於(おい)ては増減ある事なし、彼方にて田地(でんち)を買て悦(よろこ)べば、此方に田地を売て歎(なげ)く者あり、只(ただ)、彼方此方の違(たが)ひあるのみ、本来増減なし、予(よ)が歌に「増減は器傾(かたむ)く水と見よ」と云へる通り也(なり)、夫(それ)我道(わがみち)の尊(たっと)む増殖(ぞうしょく)の道は夫(それ)と異(こと)なり、直(ただち)に天地の化育(かいく)を賛成(さんせい)するの大道にして、米五合(ごごう)にても、麦一升(いっしょう)にても、芋(いも)一株(ひとかぶ)にても、天(あま)つ神の積置(つみおか)せらるる無尽蔵(むじんぞう)より、鍬(くわ)鎌(かま)の鍵(かぎ)を以て此世上(このせじょう)に取出(とりいだ)す大道なり、是を真の増殖の道と云ふ、尊むべし務(つと)むべし、「天(あま)つ日の恵(めぐみ)積置(つみおく)無尽蔵鍬(くわ)でほり出せ鎌(かま)でかりとれ」
現代語訳
翁が言われた。世の中は、とかく増減のことについて騒がしいことが多いが、世間でいう増減というものは、譬えれば水を入れた器があちらこちらに傾くようなものだ。あちらが増せばこちらが減り、こちらが増せばあちらが減るだけで、水そのものには増減がない。あちらで田地を買って喜べば、こちらで田地を売って嘆く者がある。ただあちらとこちらの違いがあるだけで、本来は増減がない。私の歌に「増減は器の傾く水と見よ」と言った通りである。そもそも私の道が尊ぶ増殖の道は、それとは異なる。直接に天地の育みを助け成す大道であって、米五合でも麦一升でも芋一株でも、天の神が積み置かれた無尽蔵の蔵から、鍬や鎌という鍵をもってこの世に取り出す大道である。これを真の増殖の道という。尊ぶべきであり、努めるべきである。「天の日の恵みを積み置いた無尽蔵よ、鍬で掘り出せ、鎌で刈り取れ」。
解説
この章句が説くこと
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二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、本来東西無し、また過不及(かふきゅう)無しなど云ふは、平(たいら)なる器を見て云ふ語なり、則(すなわ)ち本然(ほんぜん)の天理なり。既に一器あり、之に己(おのれ)あれば傾かざるを得ず、傾く時は其(そ)の器の中の水必ず前後左右に増減す、之を世に某(それがし)は厚運(こううん)、某は薄運(はくうん)などゝ云ふなり、是某と云ふ己がある故なり。己なき時は東西も無く遠近も無く、過不及もなし、是本然の天理なり。古語に「天運循環して往(ゆ)きて復(かえ)らざるなし」と云へり、是傾きたる器の水の増減するを云ふなり、某は厚運、某は薄運など云ふも則ち是なり。予(われ)が歌に「増減は器傾く水と見よ、あちらにませばこちらへるなり」皆此の通りなり、縦令(たとい)蓋をするも只目に見えぬのみ、水の増減するは疑ひなし。今爰(ここ)に薪を取りて自(みずか)ら焚(た)かずして売る者は、賎(いや)しきが如しといへども、夫(それ)丈けの運を増すなり、此の銭にて酒を呑めば、又直(ただち)に夫丈けの運を減らすなり。田畑へ肥(こや)しをする者は、眼前益無しといへども、秋に至れば実法(みの)り多し、此の時に則ち運をますなり。遊びなまけて田畑を麁作(そさく)したる者は、秋に至つて取実(しゅじつ)少し、爰に至つて運の減ずる事知るべし。皆明白にして愚夫愚婦(ぐふぐふ)といへども、此の道理は知るなるべし、此の道理を知つて能(よ)く勤むるは則ち道を悟りたるに同じ、是に於ては何を成すにも利益あるなり、是に反すれば何をなしても損失なり、誠に明白の理なり。
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二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、貧(ひん)となり富(とみ)となる、偶然(ぐうぜん)にあらず、富も因(よ)て来る処あり、貧も因て来る処あり、人皆貨財(かざい)は富者(ふうしゃ)の処に集ると思へ共(ども)然(しか)らず、節倹(せっけん)なる処と勉強(べんきょう)する処に集るなり、百円の身代(しんだい)の者、百円にて暮す時は、富の来る事なく貧の来る事なし、百円の身代を八十円にて暮し、七十円にて暮す時は、富是(これ)に帰(き)し財是に集る、百円の身代を百廿円(ひゃくにじゅうえん)にて暮し、百三拾円にて暮す時は、貧是に来り財是を去る、只(ただ)分外(ぶんがい)に進むと、分内(ぶんない)に退くとの違ひのみ、或歌(あるうた)に「有といへば有とや人の思ふらむ呼(よ)ば答ふる山彦(やまびこ)の声」と云(いえ)る如し、夫(そ)れ今有る物は今に無くなり、今無きものは今にあり、譬(たと)へば今有し銭のなくなりしは、物を買へば也、今無き銭の今あるは、勤(つと)むればなり、繩(なわ)一房(ひとふさ)なへば五厘(ごりん)手に入り、一日働けば十銭(じっせん)手に入る也、今手に入る十銭も、酒を呑めば直(じき)になし、明白疑(うたが)ひなき世の中なり、中庸(ちゅうよう)に曰く、誠なれば則(すなわ)ち明なり、明なれば則ち誠なりと、繩一房なへば五厘となり、五厘遣(や)れば繩一房来る、晴天白日(せいてんはくじつ)の世の中なり
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二宮翁夜話・巻之四或人(あるひと)、一飯に米一勺(しゃく)づゝを減(げん)ずれば、一日に三勺、一月に九合、一年に一斗余(あまり)、百人にて十一石、万人にて百十石なり、此計算を人民に諭(さと)して富国の基(もとい)を立んと云(いえ)り、翁(おきな)曰(いわ)く、此教諭、凶歳(きょうさい)の時には宜(よろ)しといへ共、平年此の如き事は、云ふ事勿(なか)れ、何となれば凶歳には食物を殖(ふや)す可らず、平年には一反に一斗づゝ取増(とりま)せば、一町に一石、十町に十石、百町に百石、万町に万石なり、富国の道は、農を勧(すす)めて米穀(べいこく)を取増すにあり、何ぞ減食の事を云んや、夫(それ)下等人民は平日の食十分ならざるが故に、十分に食(く)ひたしと思ふこそ常の念慮(ねんりょ)なれ、故に飯の盛(もり)方の少きすら快(こころよ)からず思ふ物なり、さるに一飯に一勺づゝ少く喰へなどゝ云事は、聞も忌(いま)々しく思ふなるべし、仏家の施餓鬼供養(せがきくよう)に、ホドナンパンナムサマダと繰返(くりかえ)し繰返し唱(とな)ふるは、十分に食ひ玉へ沢山に食ひ玉へ、と云事なりと聞けり、されば施餓鬼(せがき)の功徳は、十分に食へと云ふにあり、下等の人民を諭(さと)さんには、十分に喰て十分に働(はたら)け、沢山喰て骨限(ほねかぎ)り稼(かせ)げと諭(さと)し、土地を開き米穀を取増し、物産の繁殖(はんしょく)する事を勤(つと)むべし、夫(それ)労力を増(ま)せば土地開け物産繁殖す、物産繁殖すれば商も工も随(したがい)て繁栄す、是(これ)国を富すの本意なり、人或は云ん、土地を開くも開くべき地なしと、予が目を以て見る時は、何国も皆半開なり、人は耕作仕付あれば皆田畑とすれ共、湿(しつ)地乾(かん)地、不平の地麁悪(そあく)の地、皆未(いま)だ田畑と云ふ可らず、全国を平均(へいきん)して、今三回も開発なさゞれば、真の田畑とは云べからず、今日の田畑は只耕作差支なく出来るのみなり。
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二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、「咲(さけ)ばちり散(ち)れば又さき年毎(としごと)に詠(なが)め尽(つき)せぬ花の色々(いろいろ)」、困窮(こんきゅう)に陥(おちい)り、如何(いか)ともすべき様(よう)なくて、売出(うりだ)す物品を、安(やす)ひ物だと悦(よろこ)んで買(か)ひ、又不運(ふうん)極(きわま)り拠(よりどころ)なく、家を売て裏店(うらだな)へ引込(ひきこ)めば、表店(おもてだな)へ出て目出度(めでたし)と悦ぶ者、絶(たえ)ずある世の中なり、「増減(ぞうげん)は器(うつわ)傾(かたむ)く水と見よこちらに増(ま)せばあちらへるなり」、物価の騰貴(とうき)に、大利を得る者あれば、大損(たいそん)の者あり、損をして悲(かな)しむあれば、利を得て悦ぶ者あり、苦楽(くらく)存亡(そんぼう)栄辱(えいじょく)得失(とくしつ)、こちらが増(ま)すとあちらの減(へ)るとの外になし、皆是(これ)自他を見る事能(あた)はざる半人足(はんにんそく)の、寄合(よりあ)ひ仕事なり、「喰(く)へばへり減(へ)れば又喰ひいそがしや永(なが)き保(たも)ちのあらぬ此身(このみ)ぞ」、屋根は銅板(あかがねいた)で葺(ふ)き、蔵(くら)は石で築(きず)くべけれども、三度の飯(めし)を一度に喰ひ置く事は出来ず、やがて寒(さむさ)が来るとて、着物を先に着(き)て置(お)くと云ふ事も出来ぬ人身(ひとみ)なり、されば長くは生(いき)られぬは天命なり、「腹(はら)くちく喰ふてつきひく女子(おなご)等は仏(ほとけ)にまさる悟(さとり)なりけり」、我(わが)腹に食(しょく)満(みつ)れば寝(ね)て居るは、犬猫(いぬねこ)を始(はじめ)心無き物の常情(じょうじょう)なり、然るに食事を済(すま)すと、直(ただち)に明日(あす)喰ふべき物を拵(こしら)へるは、未来の明日の大切なる事を能(よく)悟(さと)る故なり、此悟(このさとり)こそ人道必用の悟なれ、此の理を能悟れば、人間は夫(それ)にて事足るべし、是(これ)我(わが)教、悟道(ごどう)の極意なり、悟道者流の悟りは、悟るも悟(さとら)ざるも、知るも知らざるも、共に害もなし益もなし、「我といふ其(その)大元(おおもと)を尋(たずぬ)れば食(く)ふと着(き)るとの二つなりけり」、人間世界の事は政事(せいじ)も教法(きょうほう)も、皆此二つの安全を計(はか)る為のみ、其他(そのた)は枝葉(しよう)のみ潤色(じゅんしょく)のみ
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二宮翁夜話・巻之二翁曰く、夫(それ)入るは出(いで)たる物の帰るなり、来るは押し譲(ゆず)りたる物の入り来るなり。譬(たと)へば、農人田畑の為に尽力し、人糞(こやし)を掛け干鰯(ほしか)を用ひ、作物の為に力を尽せば、秋に至りて実法(みの)りを得る事、必ず多き勿論なり。然るを菜を蒔(まき)て、出るとは芽をつみ、枝が出れば枝を切り、穂を出せば穂をつみ、実がなれば実を取る、此の如くなれば、決して収獲(しゅうかく)なし。商法も又同じ。己が利欲のみを専(もっぱら)として買人の為を思はず、猥(みだ)りに貪(むさぼ)らば、其店の衰微(すいび)、眼前なるべし。古語に、人心は惟(これ)危(あや)うし道心惟(これ)微(かす)かなり、惟(これ)精惟(これ)一、允(まこと)に其中を執(と)れ、四海困窮せば天禄永く終らん、とあり。是舜(しゅん)禹(う)天下を授受(じゅじゅ)するの心法なり。上として下に取る事多く、下困窮すれば、上の天禄も永く終るとあり。終るにはあらず、天より賜(たまわ)りたるを、天に取上げらるゝなり。其理又明白なり。誠に金言(きんげん)といふべし。然(しか)りといへども、儒者(じゅしゃ)の如く講じては、今日の用、何の用にもたゝぬ故、今汝等(なんじら)が為に、分り安く読みて聞かせん。支那(から)の咄(はな)しと思ひて、迂闊(うかつ)に聞かず、能く肝(きも)に銘(めい)ぜよ。人心惟危うし道心惟微かなりとは、身勝手にする事は危き物ぞ、他の為にする事は、いやになる物ぞと云ふ事なり。惟精惟一允に其中を執れとは、能く精力を尽し、一心堅固に二百石の者は、百石にて暮し、百石の者は、五十石にて暮し、其半分を推譲(おしゆず)りて、一村の衰(おとろ)へざる様、一村の益々(ますます)富(と)み益々栄(さか)える様に勉強せよ、と云ふ事なり。四海困窮せば、天禄永く終らんとは、一村困窮する時は、田畑を何程持ち居るとも、決して作徳は取れぬ様になる物ぞ、と云ふ事と心得べし。帝王の咄(はな)しなればこそ、四海と云ひ、天禄と云ふなれ。汝等が為には、四海を一村と読み、天禄は作徳と読むべし。能々(よくよく)肝銘せよ。
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二宮翁夜話・巻之五翁曰く、汝等(なんじら)勉強せよ、今日永代橋(えいたいばし)の橋上より詠(なが)むれば、肥取船(こえとりぶね)に川水を汲み入れて、肥(こや)しを殖(ふや)し居るなり、人々の尤も嫌(きら)ふ処の肥しを取るのみならず、かかる汚(お)物すら、殖せば利益ある世の中なり、豈(あに)妙ならずや、凡そ万物不浄に極(きわ)まれば、必ず清浄に帰り、清浄極まれば不浄に帰る、寒暑昼夜の旋転(せんてん)して止まざるに同じ、則ち天理なり、物皆然り、されば世の中に無用の物と云ふはあらざるなり、夫れ農業は不浄を以て、清浄に替(か)ふるの妙術(みょうじゅつ)なり、人馴(な)れて何とも思はざるのみ、能く考へば真に妙術と云ふべし、尊(たっと)ぶべし、我が方法又然り、荒地を熟田(じゅくでん)に帰し、借財を無借になし、貧を富になし、苦を楽になすの法なれば也。