二宮翁夜話 / 巻之四
翁曰、天道は自然なり、人道は天道に随ふといへ共、又人為なり、人道を尽して天道に任すべし、人為を忽にして、天道を恨る事勿れ、夫庭前の落葉は天道なり、無心にして日々夜々に積る、是を払はざるは人道に非ず、払へども又落る、之に心を煩し、之に心を労し、一葉落れば、箒を取て立が如き、是塵芥の為に、役せらるゝなり、愚と云べし、木の葉の落るは天道なり、人道を以て、毎朝一度は払ふべし、又落るとも捨置て、無心の落葉に役せらるゝ事勿れ、又人道を忽にして積り次第にする事勿れ、是人道なり、愚人といへども悪人といへども、能教ふべし、教て聞ざるも、是に心を労する事勿れ、聞ぬとて捨る事なく、幾度も教ふべし、教て用ひざるも憤る事勿れ、聞かずとて捨るは不仁なり、用ぬとて憤るは不智なり、不仁不智は徳者の恐るゝ処なり、仁智二つ心掛て、我が徳を全ふすべし。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、天道(てんどう)は自然(しぜん)なり、人道(じんどう)は天道に随(したが)ふといへ共(ども)、又(また)人為(じんい)なり、人道を尽(つく)して天道に任(まか)すべし、人為を忽(ゆるがせ)にして、天道を恨(うら)むる事勿(なか)れ、夫(そ)れ庭前(ていぜん)の落葉(らくよう)は天道なり、無心にして日々夜々に積(つも)る、是(これ)を払(はら)はざるは人道に非(あら)ず、払へども又落(お)つる、之(これ)に心を煩(わずら)はし、之に心を労し、一葉(いちよう)落つれば、箒(ほうき)を取りて立(た)つが如(ごと)き、是塵芥(じんかい)の為に、役(やく)せらるゝなり、愚(ぐ)と云ふべし、木の葉の落つるは天道なり、人道を以て、毎朝一度は払ふべし、又落つるとも捨置(すてお)きて、無心の落葉に役せらるゝ事勿れ、又人道を忽にして積り次第にする事勿れ、是人道なり、愚人といへども悪人といへども、能(よ)く教ふべし、教へて聞かざるも、是に心を労する事勿れ、聞かぬとて捨(す)つる事なく、幾度(いくたび)も教ふべし、教へて用(もち)ひざるも憤(いきどお)る事勿れ、聞かずとて捨つるは不仁(ふじん)なり、用ひぬとて憤るは不智(ふち)なり、不仁不智は徳者(とくしゃ)の恐るゝ処なり、仁智(じんち)二つ心掛(こころが)けて、我が徳を全(まっと)うすべし。
現代語訳
翁が言われた。天道は自然のはたらきである。人道は天道に従うとはいえ、また人の作為である。人道を尽くしたうえで天道に任せるがよい。人為をおろそかにして天道を恨んではならない。そもそも庭先の落ち葉は天道だ。無心のまま日々夜々に積もる。これを払わないのは人道ではない。払ってもまた落ちる。それに心を悩ませ、一枚落ちるたびに箒を取って立ち上がるようでは、塵芥に使われているようなもので、愚かというべきだ。木の葉が落ちるのは天道だから、人道として毎朝一度は払うがよい。また落ちても放っておいて、無心の落ち葉に振り回されてはならない。かといって人道を怠って積もるにまかせてもならない。これが人道である。愚人であれ悪人であれ、よく教えるがよい。教えて聞かなくても心を労するな。聞かないからと見捨てず、幾度でも教えよ。教えて用いなくても腹を立てるな。聞かないからと見捨てるのは不仁であり、用いないからと憤るのは不智である。不仁と不智は徳ある者が恐れるところだ。仁と智の二つを心掛けて、自分の徳を全うすべきである。
解説
この章句が説くこと
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史記 伯夷列伝或曰、天道無親、常與善人。若伯夷・叔齊、可謂善人者非邪。積仁絜行如此而餓死。且七十子之徒、仲尼獨薦顏淵為好學。然回也屢空、糟糠不厭、而卒蚤夭。天之報施善人、其何如哉。盜蹠日殺不辜、肝人之肉、暴戾恣睢、聚黨數千人橫行天下、竟以壽終。是遵何德哉。此其尤大彰明較著者也。若至近世、操行不軌、專犯忌諱、而終身逸樂、富厚累世不絕。或擇地而蹈之、時然後出言、行不由徑、非公正不發憤、而遇禍災者、不可勝數也。余甚惑焉、儻所謂天道、是邪非邪。
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言志四録・南洲手抄自彊不息、天道也、君子所以也。如虞舜孳孳爲善、大禹思日孜孜、成湯苟日新、文王不遑暇、周公坐以待旦、孔子發憤忘食、皆是也。彼徒事靜養瞑坐而已、則與此學脈背馳。
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史記 伍子胥列伝始伍員與申包胥為交、員之亡也、謂包胥曰、我必覆楚。包胥曰、我必存之。及吳兵入郢、伍子胥求昭王。既不得、乃掘楚平王墓、出其尸、鞭之三百、然後已。申包胥亡於山中、使人謂子胥曰、子之報讎、其以甚乎。吾聞之、人眾者勝天、天定亦能破人。今子故平王之臣、親北面而事之、今至於僇死人、此豈其無天道之極乎。伍子胥曰、為我謝申包胥曰、吾日莫途遠、吾故倒行而逆施之。於是申包胥走秦告急、求救於秦。秦不許。包胥立於秦廷、晝夜哭、七日七夜不絕其聲。秦哀公憐之、曰、楚雖無道、有臣若是、可無存乎。乃遣車五百乘救楚擊吳。六月、敗吳兵於稷。會吳王久留楚求昭王、而闔廬弟夫概乃亡歸、自立為王。闔廬聞之、乃釋楚而歸、擊其弟夫概。夫概敗走、遂奔楚。楚昭王見吳有內亂、乃復入郢。封夫概於堂谿、為堂谿氏。楚復與吳戰、敗吳、吳王乃歸。
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