二宮翁夜話 / 巻之三
翁曰、常人の情願は、固より遂ぐべからず。願ひても叶はざる事を願へばなり。常人は皆金銭の少きを憂ひて、只多からん事を願ふ。若し金銭をして、人々願ふ処の如く多からしめば、何ぞ砂石と異らんや。斯の如く金銭多くば、草鞋一足の代、銭一把、旅泊一夜の代、銭一背負なるべし。金銭の多きに過ぐるは、不弁利の到りと云ふべし。常人の願望は、斯の如き事多し。願ひても叶はず、叶ふて益なき事なり。世の中は金銭の少きこそ、面白けれ。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、常人(じょうじん)の情願(じょうがん)は、固(もと)より遂(と)ぐべからず。願ひても叶(かな)はざる事を願へばなり。常人は皆金銭の少きを憂(うれ)ひて、只(ただ)多からん事を願ふ。若(も)し金銭をして、人々願ふ処の如く多からしめば、何ぞ砂石(させき)と異(こと)らんや。斯(か)くの如く金銭多くば、草鞋(わらじ)一足の代(だい)、銭一把(いちわ)、旅泊(りょはく)一夜の代、銭一背負(いちせおい)なるべし。金銭の多きに過(す)ぐるは、不弁利(ふべんり)の到(いた)りと云ふべし。常人の願望(がんもう)は、斯くの如き事多し。願ひても叶はず、叶ふて益なき事なり。世の中は金銭の少きこそ、面白(おもしろ)けれ。
現代語訳
翁(二宮尊徳)が言われた。普通の人の願いは、もともと遂げられないものだ。叶わないことを願うからである。普通の人はみな金銭が少ないのを憂えて、ただ多くなることを願う。もし金銭を、人々が願うとおりにありあまるほど多くしたら、それは砂や小石と何も変わらないではないか。これほど金銭が多ければ、草鞋一足の値が銭ひと束、宿一泊の値が銭ひと背負いということになろう。金銭が多すぎるのは、不便の極みというべきだ。普通の人の願望は、こういうものが多い。願っても叶わず、叶っても益のないことである。世の中は金銭が少ないくらいがちょうど面白いのだ。
解説
「お金は多いほどよい」という素朴な願望を、貨幣の本質から突き崩した一条です。もし誰もが望むまま金銭があり余れば、貨幣は砂や小石同然に値打ちを失い、草鞋一足に一束、宿一泊に一背負いもの銭が要る不便な世になる――尊徳はこう論じます。稀少だからこそ貨幣は価値を持つのであり、多すぎることはむしろ害なのです。人が叶わぬ願いに心を煩わせる愚かさを説くこの見方の底には、収入に限度を定めて足るを知る「分度」の思想があります。際限なく富を追わず、いま在るもので満ち足りる。物量よりも心の充実に幸福を見いだすこの視点は、豊かさに慣れた現代人にこそ響く、逆説に満ちた知恵です。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳分度足るを知る貨幣の価値知足
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