二宮翁夜話 / 巻之二
或人論語曾点の章を問、翁曰、此章は左程に六ヶ敷訳けにはあるまじ、三子の志余り理屈に過たれば、我は点に組せんと、一転したるのみなるべし、三子同く皆、舞雩に風して詠じて帰らん、と云はゞ、孔子又一転して、用を節にして人を愛し、民を使ふに時を以てす、とか、言忠信行篤敬などゝ云なるべし、別に深意あるにはあらず、則前言は是に戯るゝのみの類なるべし。
新字:或人論語曽点の章を問、翁曰、此章は左程に六ヶ敷訳けにはあるまじ、三子の志余り理屈に過たれば、我は点に組せんと、一転したるのみなるべし、三子同く皆、舞雩に風して詠じて帰らん、と云はゞ、孔子又一転して、用を節にして人を愛し、民を使ふに時を以てす、とか、言忠信行篤敬などゝ云なるべし、別に深意あるにはあらず、則前言は是に戯るゝのみの類なるべし。
書き下し
或人(あるひと)論語曾点(そうてん)の章を問ふ、翁曰(いわ)く、此の章は左程(さほど)に六(むつ)ヶ敷(しき)訳(わ)けにはあるまじ、三子(さんし)の志余り理屈に過ぎたれば、我は点に組(くみ)せんと、一転したるのみなるべし、三子同じく皆、舞雩(ぶう)に風して詠じて帰らん、と云はば、孔子又一転して、用を節にして人を愛し、民を使ふに時を以てす、とか、言忠信行篤敬(げんちゅうしんこうとっけい)などと云ふなるべし、別に深意あるにはあらず、則(すなわ)ち前言は是に戯(たわむ)るるのみの類なるべし。
現代語訳
ある人が『論語』の曾点の章(先進篇)について尋ねた。翁が言われた。この章はそれほど難しいわけではあるまい。三人の弟子の志があまりに理屈に過ぎたので、孔子は「私は曾点に賛成だ」と、話をひとひねりしただけであろう。もし三人が皆、曾点と同じように「舞雩の台で風に吹かれ、詩を吟じて帰ろう」と言ったなら、孔子はまたひとひねりして、「事を慎んで行い人を愛し、民を使うには時節を考えよ」とか、「言葉は忠実で信があり、行いは篤く敬いをもってせよ」などと言ったであろう。別に深い意味があるわけではない。つまり先ほどの言葉は、それに戯れて応じただけの類であろう。