二宮翁夜話 / 巻之三
翁の歌に「むかしより人の捨ざるなき物を拾ひ集めて民に与へん」とあるを、山内董正氏見て、是は人の捨たると云べしと云り、翁曰、然る時は人捨ざれば拾ふ事あたはず、甚狭し、且捨たるを拾ふは僧侶の道にして、我道にあらず、古歌に「世の人に欲を捨よと勧めつゝ跡より拾ふ寺の住職」と云り、呵々、董正氏曰、捨ざる無き物とは如何、翁曰、世の中人の捨ざる物にして無き物至て多し、挙て数ふ可からず、第一に荒地、第二に借金の雑費と暇潰し、第三に富人のえ驕奢、第四に貧人の怠惰等なり、夫荒地の如きは、捨たる物の如くなれども、開かんとする時は、必持主ありて容易に手を付くべからず、是無き物にして、捨たる物にあらず、又借金の利息借替成替の雑費、又同じ類なり、捨るにあらずして、又無き物なり、其外富者の驕奢の費、貧者の怠惰の費、皆同じ、世の中此の如く、捨るにあらずして廃れて、無に属するもの幾等もあるべし、能拾ひ集めて、国家を興す資本とせば、普く済ふて、猶余あらん、人の捨ざる無き物を、拾ひ集るは、我幼年より勤る処の道にして、今日に至る所以なり、則我仕法金の本根なり、能心を用ひて拾ひ集めて世を救ふべし。
書き下し
翁の歌に「むかしより人の捨てざるなき物を拾ひ集めて民に与へん」とあるを、山内董正氏見て、是(これ)は人の捨てたると云ふべしと云へり。翁曰(いわ)く、然(しか)る時は人捨てざれば拾ふ事あたはず、甚(はなは)だ狭(せば)し。且(か)つ捨てたるを拾ふは僧侶の道にして、我が道にあらず。古歌に「世の人に欲を捨てよと勧めつつ跡より拾ふ寺の住職」と云へり、呵々(かか)。董正氏曰く、捨てざる無き物とは如何(いかん)。翁曰く、世の中人の捨てざる物にして無き物至て多し、挙げて数ふべからず。第一に荒地、第二に借金の雑費と暇潰し、第三に富人の驕奢(きょうしゃ)、第四に貧人の怠惰(たいだ)等なり。夫(それ)荒地の如きは、捨てたる物の如くなれども、開かんとする時は、必ず持主ありて容易に手を付くべからず、是無き物にして、捨てたる物にあらず。又借金の利息借替(かりかえ)成替(なりかえ)の雑費、又同じ類なり、捨つるにあらずして、又無き物なり。其の外富者の驕奢の費(つい)え、貧者の怠惰の費え、皆同じ。世の中此の如く、捨つるにあらずして廃(すた)れて、無に属するもの幾等(いくら)もあるべし。能く拾ひ集めて、国家を興す資本とせば、普(あまね)く済(すく)ふて、猶(なお)余あらん。人の捨てざる無き物を、拾ひ集むるは、我幼年より勤むる処の道にして、今日に至る所以なり、則ち我が仕法金の本根なり。能く心を用ひて拾ひ集めて世を救ふべし。
現代語訳
翁の歌に「昔から人が捨てもしない、そして今は無くなっている物を拾い集めて民に与えよう」とあるのを、山内董正が見て、「これは『人の捨てたる物』と言うべきだ」と言った。翁が言われた。それでは、人が捨てなければ拾えないことになり、大変狭くなる。それに捨てた物を拾うのは僧侶の道であって、私の道ではない。古歌に「世の人に欲を捨てよと勧めながら、そのあとから拾う寺の住職」とあるが、はは。董正が言った。「捨てもしない無い物とは何ですか」。翁が言われた。世の中、人が捨てもしないのに無くなっている物は極めて多く、数え切れない。第一に荒地、第二に借金の雑費と時間の浪費、第三に富者の奢侈、第四に貧者の怠惰などだ。荒地などは捨てられた物のようだが、開こうとすれば必ず持ち主がいて簡単には手を付けられない。これは無い物であって、捨てた物ではない。また借金の利息や借り換えの雑費も同じ類で、捨てたのではなく、しかも無くなっている物だ。そのほか富者の奢侈の浪費、貧者の怠惰の浪費もみな同じ。世の中にはこのように、捨てたのではなく、廃れて無に帰しているものがいくらもある。よく拾い集めて国家を興す資本とすれば、あまねく人を救ってなお余りがあるだろう。人が捨てもしない無い物を拾い集めるのは、私が幼い頃から勤めてきた道であり、今日に至った理由だ。すなわち私の仕法金の根本である。よく心を用いて拾い集め、世を救うべきだ。
解説
この章句が説くこと
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二宮翁夜話・巻之三翁曰(いわ)く、我が道は、荒蕪(こうぶ)を開くを以て勤(つとめ)とす。而(しか)して荒蕪に数種あり。田畑実に荒れたるの荒地あり。又借財嵩(かさ)みて、家禄(かろく)を利足(りそく)の為に取られ、禄ありて益なきに至るあり、是(これ)国に取りて生地にして、本人に取りて荒地なり。又薄地麁田(そでん)、年貢高掛(たかがか)り丈(だけ)の取実のみにして、作益なき田地あり、是上の為に生地にして、下の為に荒地なり。又資産あり金力ありて、国家の為をなさず、徒(いたずら)に驕奢(きょうしゃ)に耽(ふけ)り、財産を費(つい)やすあり、国家に取りて尤(もっと)も大なる荒蕪なり。又智あり才ありて、学問もせず、国家の為も思はず、琴棋(きんき)書画などを弄(ろう)して、生涯を送るあり、世の中の為尤も惜(お)しむべき荒蕪なり。又身体強壮にして、業を勤めず、怠惰博奕(ばくえき)に日を送るあり、是又自他の為に荒蕪なり。此の数種の荒蕪の内、心田(しんでん)荒蕪の損、国家の為に大なり、次に田畑山林の荒蕪なり、皆勤めて起(おこ)さずばあるべからず。此の数種の荒蕪を起して、悉(ことごと)く国家の為に供するを以て、我が道の勤とす。「むかしより人の捨てざる無き物を拾ひ集めて民にあたへん」、是予(よ)が志なり。
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二宮翁夜話・巻之一翁(おきな)曰(いわ)く、多く稼いで、銭を少く遣(つか)ひ、多く薪(たきぎ)を取(とっ)て焚く事は少くする、是(これ)を富国の大本(たいほん)、富国の達道(たつどう)といふ、然(しか)るを世の人是を吝嗇(りんしょく)といひ、又(また)強欲と云(いう)、是心得違ひなり、夫(それ)人道は自然に反して、勤めて立つ処の道なれば貯蓄を尊(たっと)ぶが故なり、夫貯蓄は今年の物を来年に譲る、一つの譲道(じょうどう)なり、親の身代(しんだい)を子に譲るも、則(すなわち)貯蓄の法に基(もと)する物なり、人道は言ひもてゆけば貯蓄の一法のみ、故に是を富国の大本、富国の達道と云(いう)なり。
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二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、世の中、とかく増減(ぞうげん)の事に付(つ)き、さわがしき事多かれど、世上(せじょう)に云ふ増減と云ふ物は、譬(たと)へば水を入(いれ)たる器(うつわ)の、彼方(かなた)此方(こなた)に傾(かたむ)くが如し、彼方増せば此方(こなた)へり、此方増せば彼方(かなた)減るのみ、水に於(おい)ては増減ある事なし、彼方にて田地(でんち)を買て悦(よろこ)べば、此方に田地を売て歎(なげ)く者あり、只(ただ)、彼方此方の違(たが)ひあるのみ、本来増減なし、予(よ)が歌に「増減は器傾(かたむ)く水と見よ」と云へる通り也(なり)、夫(それ)我道(わがみち)の尊(たっと)む増殖(ぞうしょく)の道は夫(それ)と異(こと)なり、直(ただち)に天地の化育(かいく)を賛成(さんせい)するの大道にして、米五合(ごごう)にても、麦一升(いっしょう)にても、芋(いも)一株(ひとかぶ)にても、天(あま)つ神の積置(つみおか)せらるる無尽蔵(むじんぞう)より、鍬(くわ)鎌(かま)の鍵(かぎ)を以て此世上(このせじょう)に取出(とりいだ)す大道なり、是を真の増殖の道と云ふ、尊むべし務(つと)むべし、「天(あま)つ日の恵(めぐみ)積置(つみおく)無尽蔵鍬(くわ)でほり出せ鎌(かま)でかりとれ」
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二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、貧(ひん)となり富(とみ)となる、偶然(ぐうぜん)にあらず、富も因(よ)て来る処あり、貧も因て来る処あり、人皆貨財(かざい)は富者(ふうしゃ)の処に集ると思へ共(ども)然(しか)らず、節倹(せっけん)なる処と勉強(べんきょう)する処に集るなり、百円の身代(しんだい)の者、百円にて暮す時は、富の来る事なく貧の来る事なし、百円の身代を八十円にて暮し、七十円にて暮す時は、富是(これ)に帰(き)し財是に集る、百円の身代を百廿円(ひゃくにじゅうえん)にて暮し、百三拾円にて暮す時は、貧是に来り財是を去る、只(ただ)分外(ぶんがい)に進むと、分内(ぶんない)に退くとの違ひのみ、或歌(あるうた)に「有といへば有とや人の思ふらむ呼(よ)ば答ふる山彦(やまびこ)の声」と云(いえ)る如し、夫(そ)れ今有る物は今に無くなり、今無きものは今にあり、譬(たと)へば今有し銭のなくなりしは、物を買へば也、今無き銭の今あるは、勤(つと)むればなり、繩(なわ)一房(ひとふさ)なへば五厘(ごりん)手に入り、一日働けば十銭(じっせん)手に入る也、今手に入る十銭も、酒を呑めば直(じき)になし、明白疑(うたが)ひなき世の中なり、中庸(ちゅうよう)に曰く、誠なれば則(すなわ)ち明なり、明なれば則ち誠なりと、繩一房なへば五厘となり、五厘遣(や)れば繩一房来る、晴天白日(せいてんはくじつ)の世の中なり
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二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、国家の盛衰(せいすい)存亡(そんぼう)は、各々(おのおの)利を争(あらそ)ふの甚(はなは)だしきにあり。富者は足る事をしらず、世を救(すく)ふ心なく、有るが上にも願ひ求めて、己(おの)が勝手(かって)のみを工夫し、天恩(てんおん)も知らず国恩(こくおん)も思はず。貧者は又何をかして、己を利せんと思へ共、工夫あらざれば、村費(そんぴ)の納むべきを滞(とどこお)り、作徳(さくとく)の出すべきを出さず、借(か)りたる者を返(かえ)さず。貧富共に義(ぎ)を忘れ、願ひても祈りても出来難(がた)き工夫のみをして、利を争ひ、其の見込の外(はず)れたる時は身代限(しんだいかぎ)りと云ひ、大河のうき瀬(せ)に沈(しず)むなり。此の大河も覚悟して入る時は、溺(おぼ)れ死するまでの事はなき故、又浮(うか)み出る事も向ふの岸(きし)へ泳(およ)ぎ付く事も、あるなれども、覚悟なくして、此の川に陥(おちい)る者は、再び浮み出る事出来ず、身を終(お)はるなり。愍(あわ)れむ可し。我が教は世上(せじょう)かかる悪弊(あくへい)を除(のぞ)きて、安楽の地を得せしむるを勤(つとめ)とす。
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二宮翁夜話・巻之四翁(おきな)曰(いわ)く、方今(ほうこん)の憂(うれ)ひは村里の困窮にして、人気(じんき)の悪敷(あしき)なり。此(こ)の人気を直さんとするには、困窮を救はざれば免(まぬか)るる事能(あた)はず。之(これ)を救ふに財を施与(せよ)する時は、財力及ばざる物なり。故に無利足(むりそく)金貸附(かしつけ)の法を立てたり。此の法は実に恵(めぐ)んで費(つい)えざるの道なり。此の法に一年の酬謝(しゅうしゃ)金を附するの法をも設けたり。是(これ)は恵んで費えざる上に又欲して貪(むさぼ)らざるの法なり。実に貸借両全(りょうぜん)の道と云ふべし。