二宮翁夜話 / 巻之三
翁曰、家屋の事を、俗に家船又家台船と云、面白き俗言なり、家をば実に船と心得べし、是を船とする時は、主人は船頭なり、一家の者は皆乗合ひなり、世の中は大海なり、然る時は、此家船に事あるも、又世の大海に事あるも、皆遁れざる事にして、船頭は勿論、此船に乗り合たる者は、一心協力此屋船を維持すべし、扨此屋船を維持するは、楫の取様と、船に穴のあかぬ様にするとの二ッが専務なり、此二ッによく気を付れば、家船の維持疑ひなし、然るに楫の取様にも、心を用ひず、家船の底に穴があきても、是を塞んともせず、主人は働かずして酒を呑み、妻は遊芸を楽しみ、悴は碁将棋に耽り、二男は詩を作り歌を読み、安閑として歳月を送り、終に家船をして沈没するに至らしむ、歎息の至ならずや、縦令大穴ならずとも、少しにても穴があきたらば、速に乗合一同力を尽して、穴を塞ぎ、朝夕ともに穴のあかざる様に、能々心を用ゆべし、是此乗合の者の肝要の事なり、然るに既に、大穴明きて猶、是を塞んともせず、各々己が心の儘に安閑と暮し居て、誰か塞いで呉れそふな物だと、待て居て済べきや、助け船をのみ頼みにして居て済べきや、船中の乗合ひ一同、身命をも抛て働かずば、あるべからざる時なるをや。
新字:翁曰、家屋の事を、俗に家船又家台船と云、面白き俗言なり、家をば実に船と心得べし、是を船とする時は、主人は船頭なり、一家の者は皆乗合ひなり、世の中は大海なり、然る時は、此家船に事あるも、又世の大海に事あるも、皆遁れざる事にして、船頭は勿論、此船に乗り合たる者は、一心協力此屋船を維持すべし、扨此屋船を維持するは、楫の取様と、船に穴のあかぬ様にするとの二ッが専務なり、此二ッによく気を付れば、家船の維持疑ひなし、然るに楫の取様にも、心を用ひず、家船の底に穴があきても、是を塞んともせず、主人は働かずして酒を呑み、妻は遊芸を楽しみ、悴は碁将棋に耽り、二男は詩を作り歌を読み、安閑として歳月を送り、終に家船をして沈没するに至らしむ、嘆息の至ならずや、縦令大穴ならずとも、少しにても穴があきたらば、速に乗合一同力を尽して、穴を塞ぎ、朝夕ともに穴のあかざる様に、能々心を用ゆべし、是此乗合の者の肝要の事なり、然るに既に、大穴明きて猶、是を塞んともせず、各々己が心の儘に安閑と暮し居て、誰か塞いで呉れそふな物だと、待て居て済べきや、助け船をのみ頼みにして居て済べきや、船中の乗合ひ一同、身命をも抛て働かずば、あるべからざる時なるをや。
書き下し
翁曰(いわ)く、家屋の事を、俗に家船(やふね)又家台船(やたいぶね)と云ふ、面白き俗言なり。家をば実に船と心得べし。是(これ)を船とする時は、主人は船頭(せんどう)なり、一家の者は皆乗合(のりあ)ひなり、世の中は大海なり。然る時は、此の家船に事あるも、又世の大海に事あるも、皆遁(のが)れざる事にして、船頭は勿論、此の船に乗り合ひたる者は、一心協力此の屋船を維持すべし。扨(さて)此の屋船を維持するは、楫(かじ)の取り様と、船に穴のあかぬ様にするとの二つが専務なり。此の二つによく気を付くれば、家船の維持疑ひなし。然るに楫の取り様にも、心を用ひず、家船の底に穴があきても、是を塞(ふさ)がんともせず、主人は働かずして酒を呑み、妻は遊芸を楽しみ、悴(せがれ)は碁将棋(ごしょうぎ)に耽(ふけ)り、二男は詩を作り歌を読み、安閑として歳月を送り、終(つい)に家船をして沈没するに至らしむ、歎息(たんそく)の至りならずや。縦令(たとい)大穴ならずとも、少しにても穴があきたらば、速(すみや)かに乗合一同力を尽くして、穴を塞ぎ、朝夕ともに穴のあかざる様に、能々(よくよく)心を用ゆべし。是此の乗合の者の肝要の事なり。然るに既に、大穴明きて猶(なお)、是を塞がんともせず、各々己が心の儘(まま)に安閑と暮し居て、誰か塞いで呉(く)れそうな物だと、待ちて居て済むべきや。助け船をのみ頼みにして居て済むべきや。船中の乗合ひ一同、身命をも抛(なげう)ちて働かずば、あるべからざる時なるをや。
現代語訳
翁が言われた。家のことを俗に「家船」「屋台船」と言う。面白い言い方だ。家はまさに船だと心得るべきだ。家を船とするなら、主人は船頭であり、家族はみな乗り合わせた者である。世の中は大海だ。そうであれば、この家船に事が起ころうと、世の大海に事が起ころうと、みな逃れられないことで、船頭はもちろん、この船に乗り合わせた者は一致協力してこの船を維持すべきだ。さて、この船を維持するのは、舵の取り方と、船に穴があかないようにすることの二つが最重要である。この二つによく気を付ければ、家船の維持は間違いない。ところが舵の取り方にも心を用いず、船底に穴があいてもふさごうともせず、主人は働かずに酒を飲み、妻は遊芸を楽しみ、息子は碁や将棋にふけり、次男は詩を作り歌を詠み、のんきに歳月を送り、ついに船を沈没させてしまう。嘆かわしいことこの上ない。たとえ大穴でなくとも、少しでも穴があいたら、すぐに乗り合いの者が総出で力を尽くして穴をふさぎ、朝夕とも穴があかないようによくよく心を用いるべきだ。これが乗り合いの者にとって肝要なことである。それなのに、すでに大穴があいてもなおふさごうともせず、各自が勝手気ままにのんきに暮らして、誰かがふさいでくれるだろうと待っていて済むだろうか。助け船だけを当てにしていて済むだろうか。船中の乗り合い一同、命をも投げ打って働かなければならない時なのに。
解説
この章句が説くこと
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二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、若輩(じゃくはい)の者は、能(よ)く家道(かどう)を研究すべし、家道とは分限(ぶんげん)に応じて我家を持つ方法の事なり。家の持方(もちかた)は、安(やす)きが如くなれども、至(いた)って六ヶし(むつかし)、先(ま)づ早起きより始めて、勤倹(きんけん)に身を馴(なら)すべし、夫(それ)より農なり、商なり、家業の仕方を能く学ばずして家を相続するは、将棊(しょうぎ)に譬(たと)ふれば、駒の並べ方も能く知らずして指さんとするが如し、指す毎(ごと)に打まけて、詰(つま)り失敗するは眼前なり、若(も)し余儀なくこの修業出来ずして相続せば、親類後見(こうけん)など能(よ)き人を師として、一々差図(さしず)を乞ふて、それに随ふべし、是将棊を一手毎に教を受けて指すに同じ、さすれば間違なし、然るに慢気(まんき)して人に相談せず、気儘(きまま)に金銀を遣(つか)はゞ、忽(たちま)ち金銀を相手に取らるべし、譬へば父の拵(こしら)へたる家を相続するは、将棊の駒を人に並べて貰ひたるが如し、凡(およ)て将棊の道を知らずして、我思ふ儘(まま)にさゝば、失敗は知れたる事なり、中庸に愚にして自用(じよう)を好み、賎(せん)にして自専(じせん)を好み、今の世に生れて古の道に反(そむ)く、此の如くなれば必(かならず)その身に及ぶとあり、今の世に生れて古の道に反くとは、後世の子孫と生れて、先祖数代の家を不足に思ひ、伝来の家具を不足に思ひ、先祖の家を誹(くさ)したり、勤倹の道に背きて驕奢(きょうしゃ)にふけるを云ふなり、古人はかく懇(ねんご)ろに戒め置けり慎しむべし。
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二宮翁夜話・巻之四翁(おきな)曰(いわ)く、世上(せじょう)一般、貧富苦楽と云ひ、躁(さわ)げ共、世上は大海の如くなれば、是非なし、只水を泳(およ)ぐ術(じゅつ)の上手と下手とのみ、舟を以て用便する水も、溺死(できし)する水も水に替りはあらず、時によりて風に順(じゅん)風あり逆(ぎゃく)風あり、海の荒(あら)き時あり穏(おだやか)なる時あるのみ、されば溺死(できし)を免(まぬ)かるゝは、泳ぎの術一つなり、世の海を穏(おだやか)に渡るの術は、勤と倹と譲の三つのみ。
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二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、身体一所(ひとところ)悩む所あれば、惣身(そうしん)之が為に悩むは人の知る所なり。脳なり胃なり肺なり皆同じ、甚(はなは)だしき時は死に至る、これ一体なるが故なり。国家も亦(また)同じ、一家負債あれば是が為に悩み、国凶作なれば之が為に悩む、皆人の知る所なり。故に身も家も国も悩む所無からんことを欲するを衛生(えいせい)といひ、勤倹(きんけん)といふ。又泰平(たいへい)を祈るといふ。而(しか)して家に負債多ければ、人身に及んで神経を悩ますに至るも皆人の知る所なり。方今(ほうこん)の世の中、驕奢(きょうしゃ)行はるゝが為にこの悩み多し、此悩み甚だしければ家を失ひ身を失ふに至る、愍然(びんぜん)の至りなり、之を自業自得(じごうじとく)といへば夫(それ)までなれど、自業自得は戸主に在りて、老幼婦女(ろうようふじょ)は相伴(しょうばん)をするなり、いたましからずや。之を救ふの道を考ふるに、予が立てたる報徳金貸付(かしつけ)の道を第一とす。如何(いか)となれば此報徳金の貸付は、日輪(にちりん)の神徳と同じければなり、此功徳の広大なる事は、予が数年心を尽して考へ、数年自(みづか)ら取扱ひて経験したる法なればなり、天地の万物を生育し給ひて、恵まざる所なき、天地の徳に法(のっと)りたる法なればなり。
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二宮翁夜話・巻之四翁(おきな)曰(いわ)く、樹木を植(う)うるに、根を伐(き)る時は、必(かなら)ず枝葉(えだは)をも切捨(きりす)つべし。根少(すく)なくして水を吸(す)ふ力少なければ、枯(か)るゝ物なり。大(おおい)に枝葉を伐(き)りすかして、根の力に応ずべし。然(しか)せざれば枯るゝなり。譬(たと)へば人の身代(しんだい)、稼(かせ)ぎ人が欠(か)け家株(かかぶ)の減(げん)ずるは、植替(うえか)へたる樹(き)の、根少なくして水を吸(す)ひ上(あ)ぐる力の減じたるなり。此(こ)の時は仕法(しほう)を立て、大に暮し方を縮(ちぢ)めざるを得ず。稼ぎ人少なき時大に暮せば、身代日々減少して、終(つい)に滅亡(めつぼう)に至る。根少なくして枝葉多き木の、終に枯るゝに同じ、如何(いか)とも仕方なき物なり。暑中(しょちゅう)といへ共(ども)、木の枝を大方(おおかた)伐捨(きりす)て、葉を残らずはさみ取りて、幹(みき)を菰(こも)にて包みて植え、時々此の菰に水をそゝぐ時は、枯れざる物なり。人の身代も此の理(り)なり、心を用ふべし。
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二宮翁夜話・巻之四或(ある)人来り訪(と)う、翁曰く、某(それがし)の家は無事なりや、曰く、某の父稼穡(かしょく)に勤労する事、村内無比なり、故に作益(さくえき)多く豊(ゆた)かに経営(いとな)み来りしに、其の子悪(あ)しき事はなしといえども、稼穡を勤めず、耕耘(こううん)培養行届かず、只蒔(ま)きては刈取(かりと)るのみ、好き肥(こやし)を用うるは損なりなど云いて、田畑を肥(こや)すの益たるを知らず、故に父死して、僅(わず)かに四五年なるに、上田(じょうでん)も下田(げでん)となり、上畑(じょうばた)も下畑(げばた)となりて、作益なく、今日は経営にも差閊(さしつか)うる様になれりと、翁左右を顧(かえり)みて曰く、卿等(けいら)聞けりや、是農民一家の事なれども、自然の大道理にして、天下国家の興廃存亡も又同じ、肥を以て作物を作ると、財を散じて領民を撫育(ぶいく)し、民政に力を尽(つく)すとの違いのみ、夫(それ)国の廃亡(はいぼう)するは民政の届かざるにあり、民政届かざるの村里は、堤防溝洫(こうきょく)先(ま)ず破損し、道路橋梁(きょうりょう)次に破壊し、野橋作場道(さくばみち)等は通路なきに至るなり、堤防溝洫破損すれば、川付(かわつき)の田畑は先ず荒蕪(こうぶ)す、用悪水路破壊すれば、高田卑田(ひくた)は耕作すべからず、道路悪しければ牛馬通ぜず、肥料行届かず、精農の者といえども、力を尽すに困却(こんきゃく)し、之が為に耕作するといえども作益なし、故に人家手遠(てどお)、不便の地は捨てて耕(たがや)さざるに至る、耕さざるが故に、食物減ず、食物減ずるが故に、人民離散する也、人民離散して、田畑荒るれば租税(そぜい)の減ずるは眼前ならずや、租税減ずれば、諸侯窮(きゅう)するは当然の事なり、前の農家の興廃と少しも違う事なし、卿等心を用いよ、譬(たと)えば上国(じょうごく)の田畑は温泉の如し、下国(げこく)の田畑は、冷水の如し、上国の田地は耕耘行届かざれども、作益ある事温泉の自然に温なるが如し、下国の田畑は冷水を温湯(ぬるゆ)にするが如くなれば、人力を尽せば作益ありといえども、人力を尽さざれば、作益なし、下国辺境人民離散し、田畑荒蕪するは是が為なり。