孔子家語 / 七十二弟子解
曾點,曾參父,字子皙。疾時禮教不行,欲修之,孔子善焉。《論語》所謂浴乎沂,風乎舞雩之下。
新字:曽点,曽参父,字子皙。疾時礼教不行,欲修之,孔子善焉。《論語》所謂浴乎沂,風乎舞雩之下。
書き下し
曾點は、曾參の父、字は子皙。時の禮教行われざるを疾み、之を修めんと欲す、孔子善しとせり。論語に謂う所の、沂に浴し、舞雩に風するとは、是なり。
現代語訳
曾點は曾參の父で、字は子皙という。当時の礼教が行われていないことを憂え、それを立て直そうとしたところ、孔子はこれを善しとした。『論語』にある『沂水で沐浴し、舞雩台のあたりで風に吹かれる』という話は、この人物のことである。
解説
この一文は、曾點が当時の礼教の衰退を憂い、その再興を志した人物であったこと、そして『論語』先進篇の有名な場面の主であることを伝えています。先進篇では、孔子が弟子たちに各自の志を問うた際、子路・冉有・公西華が政治的な抱負を語る中、曾點だけは晩春に若者や子どもたちと沂水で沐浴し、舞雩の台で涼風に吹かれて歌いながら帰るという、悠然とした境地を語りました。孔子はこれに深く共感し、『吾與點也(吾は點に與せん)』と述べたとされます。礼教の乱れを正そうとする志と、名利を離れた自然体の境地とが同居している点は、曾點という人物の奥行きを示しています。現代においても、目標達成や役割遂行だけでなく、心の充足やあるがままの生き方を大切にする視点は、人生の豊かさを考える上で重要な示唆となるでしょう。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
曽点曽子の父論語先進篇礼教浴乎沂風乎舞雩
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