二宮翁夜話 / 巻之二
翁、僧弁算に問ふて曰、仏一代の説法無量なり、然りといへ共、区々の意あるべからず、若一切経蔵に題せん時は如何、弁算対て曰、経に、諸悪莫作、衆善奉行、と云り、此二句以て、万巻の一切経を覆ふべし、翁曰、然り。
書き下し
翁、僧弁算(べんさん)に問ひて曰(いわ)く、仏一代の説法無量なり、然りといへ共、区々(まちまち)の意あるべからず、若(も)し一切経蔵に題せん時は如何(いかん)、弁算対(こた)へて曰く、経に、諸悪莫作(しょあくまくさ)、衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)、と云へり、此の二句以て、万巻の一切経を覆(おお)ふべし、翁曰く、然り。
現代語訳
翁が僧の弁算に問うて言われた。釈迦一代の説法は数え切れないほど多い。しかしその意図はまちまちであるはずがない。もし一切経の蔵に一つの題目を掲げるとすれば、何とすべきか。弁算が答えて言った。経に「諸悪莫作、衆善奉行(もろもろの悪をなすことなかれ、もろもろの善を行え)」とあります。この二句をもって、万巻の一切経を覆い尽くすことができましょう。翁が言われた。その通りだ。
解説
膨大な仏典の核心はどこにあるか――尊徳の問いに、僧弁算が「諸悪莫作、衆善奉行」の二句で答え、尊徳が深くうなずく、簡潔で味わい深い一条です。この二句は、悪をなさず善を行え、という誰にでもわかる平明な教えです。尊徳がこれに同意したのは、彼自身が難解な理屈より実行を尊ぶ人だったからにほかなりません。どれほど膨大な教えも、要は日々の行いに帰着する。学問や信仰の価値は、知識の量ではなく、善を行い悪を避ける実践にこそある、というのです。これは勤労と至誠を重んじる報徳思想と一つに通じます。情報や教えが際限なくあふれる現代においても、結局は身近な善を積み重ね悪を避けるという当たり前の実践に立ち返ることの大切さを、この短い問答は静かに教えてくれます。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳諸悪莫作衆善奉行実行至誠
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