二宮翁夜話 / 巻之二
或問て曰、仏経に色則是空々則是色といへるは、如何なる意ぞ、翁曰、譬ば二一天作の五、二五十と云に同じ、只其云ひ様の妙なるのみなり、深意あるが如く聞ゆれ共、別に深意あるにあらざるなり、夫天地間の万物、眼に見ゆる物を色といひ、眼に見えざる物を空と云へるなり、空といへば何も無きが如く思へ共、既に気あり、気あるが故に直に色を顕す也、譬ば氷と水との如し、氷は寒気に依て結び暖気に因て解く、水は寒に因て死して氷となり、氷は暖気に因て死して元の水に帰す、生ずれば滅し、滅すれば生ず、然れば、有常も有常にあらず無常も無常にあらず、此道理を色則是空空則是色と説けるなり。
書き下し
或(ある)問(と)ひて曰(いわ)く、仏経に色則是空(しきそくぜくう)、空則是色(くうそくぜしき)といへるは、如何(いか)なる意ぞ、翁曰く、譬(たと)へば二一天作の五、二五十と云ふに同じ、只其の云ひ様の妙なるのみなり、深意あるが如く聞ゆれ共、別に深意あるにあらざるなり、夫(そ)れ天地間の万物、眼に見ゆる物を色といひ、眼に見えざる物を空と云へるなり、空といへば何も無きが如く思へ共、既に気あり、気あるが故に直(ただ)ちに色を顕(あらわ)す也、譬へば氷と水との如し、氷は寒気に依(よ)りて結び暖気に因(よ)りて解く、水は寒に因りて死して氷となり、氷は暖気に因りて死して元の水に帰す、生ずれば滅し、滅すれば生ず、然れば、有常も有常にあらず無常も無常にあらず、此の道理を色則是空空則是色と説けるなり。
現代語訳
ある人が問うて言った。仏典に「色即是空、空即是色」とあるのはどういう意味でしょうか。翁が言われた。たとえば算盤(そろばん)で「二一天作の五」「二五、十」と唱えるのと同じことだ。ただその言い方が巧みなだけである。深い意味があるように聞こえるが、別段深い意味があるわけではない。そもそも天地の間の万物のうち、目に見えるものを「色」といい、目に見えないものを「空」というのだ。空というと何もないように思うが、そこにはすでに気があり、気があるからただちに色を現す。たとえれば氷と水のようなものだ。氷は寒気によって結び、暖気によって解ける。水は寒さによって死んで氷となり、氷は暖気によって死んで元の水に帰る。生じればまた滅し、滅すればまた生じる。だから、常にあるようで常にあるのではなく、無常のようで無常でもない。この道理を「色即是空、空即是色」と説いたのである。
解説
この章句が説くこと
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二宮翁夜話・巻之四或(ある)ひと問ふ、「春は花秋は紅葉(もみじ)と夢(ゆめ)うつゝ寝(ね)ても醒(さ)めても有明(ありあけ)の月」とは如何(いか)なる意(い)なるや。翁(おきな)曰(いわ)く、是(これ)は色(しき)則是空(すなわちこれくう)、空則是色(くうすなわちこれしき)、と云へる心を詠(よ)めるなり。夫(それ)色とは肉眼に見ゆる物を云ふ、天地間森羅万象(しんらばんしょう)是なり。空(くう)とは肉眼に見えざる物を云ふ、所謂(いわゆる)玄(げん)の又玄(またげん)と云へるも是なり。世界は循環(じゅんかん)変化(へんか)の理(り)にして、空は色を顕(あら)はし、色は空に帰す、皆循環の為に変化せざるを得ざる、是天道なり。夫(それ)今は野も山も真青(まあお)なれども、春になれば、梅が咲き桃(もも)桜(さくら)咲き、爛漫(らんまん)馥郁(ふくいく)たり。夫(それ)も見る間に散失(ちりう)せ、秋になれば、麓(ふもと)は染(そ)みぬ、峰(みね)も紅葉しぬ、実に錦繡(きんしゅう)をも欺(あざむ)けりと詠(なが)むるも、一夜木枯(こがらし)吹けば、見る影もなくちり果(は)つるなり。人も又同じく、子供は育(そだ)ち、若年(じゃくねん)は老年になり、老人は死す、死すれば又産(うま)れて、新陳交代する世の中なり。さりとて悟(さと)りたる為に、花の咲くにあらず、迷ひたるが為に、紅葉の散るにあらず、悟りたる為に、産るゝにあらず、迷ひたる為に、死するにもあらず。悟りても迷ひても、寒(さむ)い時は寒く、暑(あつ)い時は暑く、死ぬ者は死し、生(うま)るゝ者は生れて、少しも関係(かんけい)なければ、是を「ねても覚(さ)めても在明の月」と詠めるなり。別意(べつい)あるにあらず、只(ただ)悟道(ごどう)と云ふ物も、敢(あへ)て益なきものなる事を、よめるなり。
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二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、仏は諸行無常(しょぎょうむじょう)と云ふなり。世上(せじょう)に諸(もろもろ)の行はるゝ物は、皆常に無き物なり。然(しか)るを有ると見るは迷(まよい)なり、汝等(なんじら)が命、汝等が体(からだ)皆然り。長短遅速は有りといへども、皆有るにはあらず、有ると思ふは迷ひなり。本来は長短もなし、遅速もなし、遠近もなし、生死もなし、蜉蝣(かげろう)の一時を短しと見、鶴亀(つるかめ)の千年を長しと思ふが如き是皆迷なり。然といへども、此理(このことわり)は見え難し、凡人に之を見(しめ)するは遠近のみ、是は我が悟道(ごどう)の入門なり。「見渡せば遠き近きは無かりけり、己々(おのおの)が住処(すみか)にぞよる」見渡せば生死生滅無かりけり、見渡せば善きも悪しきもなかりけり、見渡せば憎いかはゆい無かりけり。この歌を感ずる時は其の道理知らるべきなり。夫(そ)れ生と云ふも死と云ふも共に無常にして、頼みにならぬ事は明白なり。氷と水とを見よ、何をか生と云ひ、何をか死と云ふ。水は寒気に感じて氷となり、氷は暖気に感じて水となる。今朝寒しといへども、一朝(いっちょう)暖気なれば速(すみやか)に消ゆ、之を如何(いかん)せん、水か氷か、氷か水か、生か死か、死か生か、何をか生と云はん、何をか死と云はん。諸行無常なる事知らるべし。然して又無常も無常にあらず、有常も有常にあらず、惜しい、欲しい、憎い、かはゆい、彼も我れも皆迷なり。此の如く迷ふが故に三界城(さんがいじょう)と云ふ堅固な物が出来て人を恨み、人を妬み、人をそねみ、人に憤り、種々の悪果(あっか)を結ぶなり。之を諸行無常と悟る時は、十方空(じっぽうくう)となつて恨むも、妬むも、悪(にく)むも、憤るも馬鹿馬鹿しくなるなり。是の所に至れば自然怨念死霊(おんねんしりょう)も退散す、之を悟りと云ふ、悟るを成仏と云ふなり、玩味(がんみ)して悟門(ごもん)に入るべきなり。
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二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、夫(それ)此(この)世界咲花(さくはな)は必ず散(ち)る、散るといへども、又来る春は必ず花さく、春生ずる草は必ず秋風に枯(か)る、枯るといへども、又春風に逢(あ)へば必ず生ず、万物皆然(しか)り、然れば無常(むじょう)と云ふも無常に非(あら)ず、有常(うじょう)と云ふも有常に非ず、種(たね)と見る間に草と変じ、草と見る間に花を開き、花と見る間に実(み)となり、実と見る間に、元の種となる、然れば種と成りたるが本来か、草と成りたるが本来か、是(これ)を仏に不止不転(ふしふてん)の理(り)と云ひ、儒に循環(じゅんかん)の理と云ふ、万物皆この道理に外(はず)るる事はあらず
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葉隠・聞書第二身は、無相(むそう)の中より生を享(う)くとあり。何もなき所に居るが、色即是空なり。其(そ)の何もなき所にて万事を備うるが、空即是色なり。二つにならぬ様にとなり。
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二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、世界元(もと)吉凶禍福(きっきょうかふく)苦楽生滅(くらくしょうめつ)なし、予(われ)が示せる一円図(いちえんず)の如し。而(しか)して是(これ)あるは、其(そ)の半(なかば)に己(おのれ)と云ふ者を置きて隔つる故なり。人は云ふ、万物土より生じて土に帰ると、是まだ尽さず、眼前の論なり、是は江戸人が旅客は品川より出づと云ふが如し、其の出京(しゅっきょう)は区々(まちまち)なるなり。艸木(そうもく)の春生育して秋枯るゝを見て、秋を無常(むじょう)といへども、農家にては秋実(じつ)を得て悦ぶなり、艸の上より見れば誠に無常なれども、種の上より見る時は有常(うじょう)なり。されば無常も無常にあらず、有常も有常にあらずと云ふべし。
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二宮翁夜話・巻之四翁(おきな)曰(いわ)く、自然(しぜん)に行(おこな)はるゝ是(これ)天理(てんり)なり、天理に随(したが)ふといへ共(ども)、又(また)人為(じんい)を以(もっ)て行ふを人道(じんどう)と云(い)ふ、人体の柔弱(じゅうじゃく)なる、雨風雪霜寒暑昼夜、循環(じゅんかん)止まざるの世界に生れて、羽毛鱗介(うもうりんかい)の堅(かた)めなく、飲食一日も欠(か)くべからずして、爪牙(そうが)の利なし、故に身の為に便利なる道を立てざれば、身を安(やす)んずる事能(あた)はず、さればこそ、此(こ)の道を尊(たっと)んで、其(そ)の本原(ほんげん)天に出づと云ひ、天性と云ひ、善とし美とし大とするなれ、此の道の廃(すた)れざらん事を願へばなり、老子(ろうし)其(そ)の隙(すき)を見て、道の道とすべきは常の道にあらず、などゝ云へるは無理ならず、然(しか)りといへ共、此の身体を保(たも)つが為、余義(よぎ)なきを如何(いか)んせん、身、米を喰(く)ひ衣を着し家に居り、而(しか)して此の言を主張するは、又老子輩(はい)の失(しつ)と云ふべし、或(ある)ひと曰く、然(しか)らば仏言(ぶつげん)も失と云ふべき歟(か)、翁曰く、仏は生といへば滅と云ひ、有と説けば無と説き、色則是空(しきそくぜくう)と云ひ、空則是色と云へり、老荘の意とは異(こと)なり。