葉隠 / 聞書第二
身は、無相の中より生を享くとあり。何もなき所に居るが、色即是空なり。其の何もなき所にて萬事を備ふるが、空即是色なり。二つにならぬ樣にとなり。
新字:身は、無相の中より生を享くとあり。何もなき所に居るが、色即是空なり。其の何もなき所にて万事を備ふるが、空即是色なり。二つにならぬ様にとなり。
書き下し
身は、無相(むそう)の中より生を享(う)くとあり。何もなき所に居るが、色即是空なり。其(そ)の何もなき所にて万事を備うるが、空即是色なり。二つにならぬ様にとなり。
現代語訳
何もない所こそが色即是空であり、その何もない所に万事を備えるのが空即是色である。身は無相の中から生を享けるという。何もない所に身を置くのが色即是空であり、その何もない所ですべてを整えるのが空即是色である。この二つを別ものにしてはならない、というのだ。
解説
『般若心経』の「色即是空・空即是色」を武士の心構えに引き寄せて説いた一条です。私心や執着を捨てて何もない澄んだ心の状態(空)に立ちながら、その同じ心でこそ万事を的確にこなしていく(色)。この二つは対立するものではなく一体でなければならない、と説きます。心を空しくすることと現実の務めを全うすることを分けて考えず、無心のうちに事に当たる境地を目指すものです。禅の実践とも重なり、余計な思惑を手放したときにかえって働きが冴える、という逆説を含みます。現代でも、雑念を鎮めた集中状態でこそ最良の仕事ができるという経験に通じ、心を整える指針となります。
この章句が説くこと
葉隠色即是空空即是色般若心経無心禅
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