二宮翁夜話 / 巻之一
翁常陸国青木村のために、力を尽されし事は、予が兄大沢勇助が、烏山藩の菅谷某と謀りて、起草し、小田某に托し、漢文にせし、青木村興復起事の通りなれば、今贅せず、扠年を経て翁其近村灰塚村の、興復方法を扱れし時、青木村、旧年の報恩の爲にとて、冥加人足と唱へ、毎戸一人づゝ、無賃にて勤む、翁是を検して、後に曰、今日来り勤る処の人夫、過半二三男の輩にして、我往年厚く撫育せし者にあらず、是表に報恩の道を飾るといへども、内情如何を知るべからず、されば我此冥加人足を出せしを悦ばずと、青木村地頭の用人某、是を聞て我能く説諭せんと云、翁是を止て曰、是道にあらず、縦令内情如何にありとも、彼旧恩を報いん爲とて、無賃にて数十人の人夫を出せり、内情の如何を置て、称せずばあるべからず、且薄に応ずるには厚を以てすべし、是則ち道なりとて人夫を招き、旧恩の冥加として、遠路出来り、無賃にて我業を助くる、其奇特を懇々賞し、且謝し過分の賃金を投与して、帰村を命ぜらる、一日を隔て村民老若を分たず、皆未明より出来て、終日休せずして働き賃金を辞して去る、翁又金若干を贈られたり。
新字:翁常陸国青木村のために、力を尽されし事は、予が兄大沢勇助が、烏山藩の菅谷某と謀りて、起草し、小田某に托し、漢文にせし、青木村興復起事の通りなれば、今贅せず、扠年を経て翁其近村灰塚村の、興復方法を扱れし時、青木村、旧年の報恩の為にとて、冥加人足と唱へ、毎戸一人づゝ、無賃にて勤む、翁是を検して、後に曰、今日来り勤る処の人夫、過半二三男の輩にして、我往年厚く撫育せし者にあらず、是表に報恩の道を飾るといへども、内情如何を知るべからず、されば我此冥加人足を出せしを悦ばずと、青木村地頭の用人某、是を聞て我能く説諭せんと云、翁是を止て曰、是道にあらず、縦令内情如何にありとも、彼旧恩を報いん為とて、無賃にて数十人の人夫を出せり、内情の如何を置て、称せずばあるべからず、且薄に応ずるには厚を以てすべし、是則ち道なりとて人夫を招き、旧恩の冥加として、遠路出来り、無賃にて我業を助くる、其奇特を懇々賞し、且謝し過分の賃金を投与して、帰村を命ぜらる、一日を隔て村民老若を分たず、皆未明より出来て、終日休せずして働き賃金を辞して去る、翁又金若干を贈られたり。
書き下し
翁(おきな)常陸国(ひたちのくに)青木村のために、力を尽されし事は、予(よ)が兄大沢勇助が、烏山藩(からすやまはん)の菅谷某(すがやそれがし)と謀(はか)りて、起草し、小田某に托(たく)し、漢文にせし、青木村興復起事(こうふくきじ)の通りなれば、今贅(ぜい)せず、扠(さて)年を経て翁其近村灰塚(はいづか)村の、興復方法を扱(あつか)はれし時、青木村、旧年の報恩の爲にとて、冥加人足(みょうがにんそく)と唱へ、毎戸一人づゝ、無賃にて勤む、翁是(これ)を検(けん)して、後に曰(いわ)く、今日来り勤むる処の人夫、過半二三男(じさんなん)の輩(ともがら)にして、我往年厚く撫育(ぶいく)せし者にあらず、是(これ)表に報恩の道を飾るといへども、内情如何(いかん)を知るべからず、されば我此冥加人足を出せしを悦ばずと、青木村地頭の用人某(それがし)、是を聞(き)きて我能(よ)く説諭せんと云ふ、翁是を止(とど)めて曰く、是道にあらず、縦令(たとい)内情如何にありとも、彼旧恩を報いん爲とて、無賃にて数十人の人夫を出せり、内情の如何を置(お)きて、称せずばあるべからず、且(かつ)薄(うす)きに応ずるには厚(あつ)きを以てすべし、是則ち道なりとて人夫を招き、旧恩の冥加として、遠路出来(いでき)たり、無賃にて我業を助くる、其奇特(きとく)を懇々(こんこん)賞し、且謝し過分の賃金を投与して、帰村を命ぜらる、一日を隔(へだ)てて村民老若を分たず、皆未明より出来(いでき)て、終日休せずして働き賃金を辞して去る、翁又金若干(そこばく)を贈られたり。
現代語訳
翁(二宮尊徳)が常陸国の青木村のために力を尽くされた次第は、私の兄・大沢勇助が烏山藩の菅谷某と相談して起草し、小田某に託して漢文に仕上げた「青木村興復起事」に記した通りなので、今は詳しく述べない。さて年を経て、翁がその近村の灰塚村の復興方法を手がけられたとき、青木村の人々が、かつての恩に報いるためにと「冥加人足」と称して、一戸につき一人ずつ、無賃で働きに出た。翁はこれを検分して、後にこう言われた。「今日来て働いている人夫は、過半が次男三男の輩で、私が昔ねんごろに世話をした者ではない。これは表向き報恩の道を飾ってはいるが、内情がどうかは分からない。だから私はこの冥加人足を出したことを喜ばない」と。青木村の地頭の用人某がこれを聞いて「私がよく説諭しましょう」と言うと、翁はそれを止めてこう言われた。「それは道ではない。たとえ内情がどうであれ、彼らは旧恩に報いるためと称して無賃で数十人の人夫を出したのだ。内情はさておき、これを称賛せずにはいられない。しかも薄い(相手の)誠意に応えるには厚くもてなすべきだ。これがすなわち道である」と。そして人夫を招き、旧恩の冥加として遠路はるばる来て無賃で我が事業を助けてくれた、その奇特さをねんごろに賞し、かつ感謝して、過分の賃金を与え、村へ帰るよう命じられた。すると一日おいて、村民は老若の区別なく、みな夜明け前から出てきて、終日休まず働き、賃金を辞退して去った。翁はまた若干の金を贈られた。
解説
この章句が説くこと
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二宮翁夜話・巻之五翁曰く、村里の衰廃(すいはい)を挙ぐるには、財を抛(なげう)たざれば、人進まず、財を抛つに道あり、受くる者其の恩に感ぜざれば、益なし、夫れ天下の広き、善人少からず、然りといへ共、汚俗(おぞく)を洗ひ、廃邑(はいゆう)を起すに足らざるは、皆其の道を得ざるが故なり、凡そ里長(りちょう)たる者、其の事に幹(かん)たる者は、必ず其の邑(むら)の富者なり、縦令善人にして能く施すとも、自ら驕奢(きょうしゃ)に居るゆゑに、受くる者、其の恩を恩とせず、只其の奢侈(しゃし)を羨(うらや)んで、自らの驕奢を止めず、分限を忘るるの過を改めず、故に益なきなり、是れに依りて村長たらん者自ら謙(けん)して驕らず、約にして奢らず、慎んで分限を守り、余財(よざい)を推譲(おしゆず)りて、村害を除き、村益を起し、窮(きゅう)を補(おぎな)ふ時は、其の誠意に感じ、驕奢を欲するの念も、富貴を羨むの念も、救ひ用捨(ようしゃ)を欲するの念も、皆散じて、勤労を厭(いと)はず、麁衣麁食(そいそしょく)を厭はず、分限を越すの過を恥ぢ、分限の内にするを楽とす、此の如くならざれば、廃邑を興(おこ)し、汚俗を一洗するに足らざるなり。
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二宮翁夜話・巻之二下館藩に高木権兵衛と云ふ人あり、報徳信友講、結社成り、発会投票の時其札に、予は不仕合(ふしあわせ)にて借金も家中第一なり、慥(たしか)成る事も又第一なり、然(しか)といへ共、自分にて自分へは入札為(な)し難し、是に依て鈴木郡助、と書付て入れられし事ありき、年を経(へ)て、高木氏は家老職となり、鈴木氏は代官役となれり、翁曰(いわ)く、今日にして、往年入札の事思ひ当れり、自(みずか)ら藩中第一慥(たしか)成る者と書たるに恥(は)ぢず、又是に依て、鈴木某(ぼう)と書たるにも恥ぢず、真に意我(いが)なし、無比の人物と云ふべし。
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二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、財を惜(おし)む者は、如何程(いかほど)愍然(びんぜん)の者を見るも扱(あつか)ふ事能(あた)はず。命を惜む者は、君の不能を見て強諫(きょうかん)すること能はず、又馬前(ばぜん)に死する事も能はず。此(か)くの如き者は農事も十分にする事は出来ざるべし。夫(そ)れ農は天変凶歳(きょうさい)風雨を恐れては、十分に肥(こやし)を用ひ、力を尽す事は出来ぬなり。損害は天に任せて、天下の農人(のうにん)は農をするなり。然(しか)るを況(いわ)んや仕官して君に仕ふる者をや、況(ま)して累代(るいだい)仕官の者をや。
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二宮翁夜話・巻之一同氏は、相馬(そうま)領内衆に抽(ぬき)んでゝ、仕法発業(しほうほつぎょう)を懇願せし人なり、仍(よっ)て同氏預りの、成田坪田(なりたつぼた)二村に開業(かいぎょう)也、仕法を行ふ僅(わず)かに一年にして、分度(ぶんど)外の米、四百拾俵を産出(うみいだ)せり、同氏蔵を建てて収め貯へ、凶歳の備へにせんとす、翁(おきな)曰(いわ)く、村里の興復を謀(はか)る者は、米金を蔵に収(おさ)むるを尊まず、此米金を村里の為に、遣(つか)ひ払ふを以て専務とする也、此遣ひ方の巧拙に依(よっ)て、興復に遅速を生ず、尤(もっと)も大切なり、凶荒(きょうこう)予備は仕法成就の時の事なり、今卿(きみ)が預りの、村里の仕法、昨年発業(ほつぎょう)なり、是より一村興復、永世安穏の規模を立(た)つべきなり、先(ま)づ是こそ、此村に取(とっ)て急務の事業なれと云ふ事を、能々(よくよく)協議して開拓なり、道路橋梁(きょうりょう)なり、窮民撫育(ぶいく)なり、尤も務むべきの急を先にし、又村里のために、利益多き事に着手し、害ある事を除くの法方に、遣ひ払ふべし、急務の事皆すまば、山林を仕立(した)つるもよろし、土性転換もよろし、非常飢疫(きえき)の予備尤もよろし、卿等(きみら)能々思考すべし。
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二宮翁夜話・巻之二道路の普請(ふしん)に人多く出居れり、小荷駄(にだ)馬驚(おど)き噪(さわ)ぎて静(しず)まらず、人々立噪(さわ)ぐを、馬士(まご)止めて静(しずか)に静にと云て手拭(てぬぐい)にて馬の目を隠(かく)し、額(ひたい)より面を撫(な)でたり、馬静(しず)りて過行く、翁(おきな)曰(いわ)く、馬士のする処、誠に宜(よろ)し、論語に、礼の用は和を尊しとす、小大是に因(よ)る、とあるに叶へり、予初(はじ)め野州物井(ものい)を治(おさ)めしも、此通りなり、噪立(さわだつ)を静(しず)むるは、此道理にあり、我物井を治し時、金は無利足に貸し、返さゞるも催促(さいそく)せず、無道なるをも敢(あえ)て咎(とが)めず、年貢も難儀(なんぎ)とあらば免(ゆる)すべしと云へり、然といへども、勤労(きんろう)し糞培(ふんばい)せざれば、米も麦も得られず、いやながらも、勤労すればこそ、芋(いも)も大根も食ふ事を得るなれ、難儀と思ふ年貢を出せばこそ、田畑も我物となりて、耕作も出来るなれと、只此理を諭(さと)し、己が分度を定めて、己を尽したるのみ、此の如くすれば、行れざる処なし、草木禽獣(きんじゅう)にも行るゝ道理なり、如何となれば、菓物(かぶつ)熟(じゅく)して、自然落るを待(まつ)の道理にして、只、我(が)の一字を去るのみ、我畑へ我植し茄子(なす)にても、我にてならする事は出来ず、理屈(りくつ)にては必ずならぬ物なり、此時理屈もやめ、我を捨て、肥(こやし)をすれば、なれと言ずしてなり、実法(みの)れと言ずしてみのる、我教は此道理を能(よ)くしるにあらざれば、行ふべからず
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二宮翁夜話・巻之二弘化元年八月、其筋(すじ)より日光神領荒地起返(おこしかえ)し方申付る見込の趣(おもむき)、取調べ仕法書差出すべしと、翁(おきな)に命ぜらる、予(よ)が兄大沢勇助出府(しゅっぷ)し恐悦(きょうえつ)を翁に申す、予随(したが)へり、翁曰く、我(わが)本願(ほんがん)は、人々の心の田の荒蕪(こうぶ)を開拓して、天授(てんじゅ)の善種、仁義礼智を培養(ばいよう)して、善種を收獲(しゅうかく)し、又蒔(まき)返し蒔返して、国家に善種を蒔弘(まきひろ)むるにあり、然るに此度の命令は、土地の荒蕪の開拓なれば、我本願に違(たが)へるは汝(なんじ)が知る所ならずや、然るを遠く来て、此命あるを賀(が)すは何ぞや、本意に背(そむ)きたる命令なれど、命なれば余儀なし、及ばずながら、我輩も御手伝ひ致さんと、云はゞ悦ぶべし、然らざれば悦ばず、夫(それ)我道は、人々の心の荒蕪を開くを本意とす、心の荒蕪一人開くる時は、地の荒蕪は何万町あるも憂(うれ)ふるにたらざるが故なり、汝が村の如き、汝が兄一人の心の開拓の出来たるのみにて、一村速(すみやか)に一新せり、大学に、明徳を明にするにあり、民を新(あら)たにするにあり、至善に止(とど)まるにありと、明徳を明にするは心の開拓を云、汝が兄の明徳、少し斗(ばか)り明になるや直(すぐ)に一村の人民新になれり、徳の流行する、置郵(ちゆう)して命を伝ふるより速(すみやか)也とは此事也、帰国せば早く至善に止まるの法を立て父祖の恩に報ぜよ、是専務(せんむ)の事なり