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二宮翁夜話 / 巻之二

東京深川原木村に、嘉七と云者あり、海辺の寄り洲を開拓して、成功すれば売り、出来上れば売り、常に開拓を以て家業とす、土人原嘉の親方と云へば、知らざる者なし、其開拓の事に付決し難き事あり、翁に実地の見分を乞ふ、翁一日往て見分せられ、其序、彼の海岸を見らるゝに、開拓すべき寄り洲、四町五町歩の地は数しらずあり、嘉七曰、寄り洲は自然になるといへ共、又是を寄する方法あり、其地形を見定めて、勢子石勢子杭を用ふる時は速に寄る物なりと、翁曰、勢子石とは如何なる物ぞ、嘉七曰、其方法云々なり、翁曰、良法なるべし、嘉七又曰、誠に寄洲は天然の賜なりと、翁曰、天然の賜にはあらず、其元人為に出る物なり、嘉七曰、願くは其説を示し玉へ、翁曰、川に堤防あるが故に、山々の土砂、遠く此処迄流れ来て、寄洲付洲となるなり、川に堤防なき時は、洪水縦横に乱流して一処に集らず、故に寄洲も附洲も出来ざるなり、されば其元人為に成るにあらずや、嘉七退く、翁左右を顧て曰、嘉七は才子と云べし、かゝる大才あり、今少し志を起し、国家の為を思はゞ、大功成るべきに、開拓屋にて一生を終るは、惜むべし、正兄曰、予佐藤信淵氏の著書を見しに、内洋経緯記又勢子石用法図説等あり、今にして是を思へば、嘉七は佐藤氏の門人にはあらざるか、経済要録の序に云れし事あり、開き見るべし

書き下し

東京深川原木村に、嘉七と云者あり、海辺の寄(よ)り洲(す)を開拓して、成功すれば売(う)り、出来上れば売り、常に開拓を以て家業とす、土人(どじん)原嘉の親方と云へば、知らざる者なし、其開拓の事に付決(けっ)し難(がた)き事あり、翁(おきな)に実地の見分(けんぶん)を乞(こ)ふ、翁一日往(ゆ)て見分せられ、其序(ついで)、彼の海岸を見らるゝに、開拓すべき寄り洲、四町五町歩の地は数しらずあり、嘉七曰く、寄り洲は自然になるといへ共、又是を寄する方法あり、其地形を見定めて、勢子石(せこいし)勢子杭(ぐい)を用ふる時は速(すみやか)に寄る物なりと、翁曰く、勢子石とは如何なる物ぞ、嘉七曰く、其方法云々なり、翁曰く、良法なるべし、嘉七又曰く、誠に寄洲は天然の賜(たまもの)なりと、翁曰く、天然の賜にはあらず、其元人為に出る物なり、嘉七曰く、願(ねが)くは其説を示し玉へ、翁曰く、川に堤防あるが故に、山々の土砂、遠く此処迄流れ来て、寄洲付洲となるなり、川に堤防なき時は、洪水縦横(じゅうおう)に乱流して一処に集(あつま)らず、故に寄洲も附洲も出来ざるなり、されば其元人為に成るにあらずや、嘉七退く、翁左右を顧(かえり)みて曰く、嘉七は才子と云べし、かゝる大才あり、今少し志を起し、国家の為を思はゞ、大功成るべきに、開拓屋にて一生を終るは、惜(お)しむべし、正兄曰く、予佐藤信淵(のぶひろ)氏の著書を見しに、内洋経緯記又勢子石用法図説等あり、今にして是を思へば、嘉七は佐藤氏の門人にはあらざるか、経済要録の序に云れし事あり、開き見るべし

現代語訳

東京の深川原木村に嘉七という者がいた。海辺の寄り洲を開拓し、成功すれば売り、出来上がれば売り、常に開拓を家業としていた。土地の人が「原嘉の親方」と言えば知らぬ者はない。その開拓のことで決めかねることがあり、翁に実地の検分を乞うた。翁はある日出かけて検分され、そのついでにその海岸を見られると、開拓すべき寄り洲が四、五町歩も数知れずあった。嘉七が言った。寄り洲は自然にできるとはいえ、これを寄せる方法もあります。地形を見定めて勢子石や勢子杭を用いれば速やかに寄るものです、と。翁が言った。勢子石とはどんなものか。嘉七がその方法を説明した。翁が言った。良い方法だろう。嘉七がまた言った。まことに寄り洲は天然の賜物です。翁が言った。天然の賜物ではない。もとは人為から出るものだ。嘉七が言った。どうかその説をお示しください。翁が言った。川に堤防があるからこそ、山々の土砂が遠くここまで流れ来て寄り洲や付き洲となるのだ。川に堤防がなければ、洪水が縦横に乱流して一か所に集まらないから、寄り洲も付き洲もできない。だから、もとは人為によってできるのではないか。嘉七は退いた。翁は左右を顧みて言われた。嘉七は才子と言うべきだ。これほどの大才がありながら、もう少し志を起こして国家のためを思えば大きな功績を成せように、開拓屋で一生を終えるのは惜しいことだ。正兄が言った。私が佐藤信淵氏の著書を見ると、内洋経緯記や勢子石用法図説などがある。今にして思えば、嘉七は佐藤氏の門人ではないか。経済要録の序に述べられたことがある、開いて見るとよい。

解説

海辺の寄り洲を開拓して売る腕利きの嘉七が「寄り洲は天然の賜物」と言うのに対し、尊徳は「もとは人為だ」と説きます。川に堤防があるからこそ土砂が遠く海まで運ばれて洲となる――自然の恵みに見えるものも、実は人の営みの積み重ねの結果だという因果の洞察です。同時に尊徳は、これほどの才ある嘉七が目先の商売にとどまり、志を国家のために起こさぬのを惜しみます。積小為大の視点で自然の恩恵の源をたどり、才能を私利でなく公のために用いよと促すのです。優れた能力を持ちながら小さな目標にとどまってしまう人へ、その力をより大きな志へ向けよという教えは、現代の人材論にも通じます。

この章句が説くこと

二宮翁夜話報徳開拓人為積小為大

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