二宮翁夜話 / 巻之二
道路の普請に人多く出居れり、小荷駄馬驚き噪ぎて静まらず、人々立噪ぐを、馬士止めて静に静にと云て手拭にて馬の目を隠し、額より面を撫でたり、馬静りて過行く、翁曰、馬士のする処、誠に宜し、論語に、礼の用は和を尊しとす、小大是に因る、とあるに叶へり、予初野州物井を治しも、此通りなり、噪立を静むるは、此道理にあり、我物井を治し時、金は無利足に貸し、返さゞるも催促せず、無道なるをも敢て咎めず、年貢も難儀とあらば免すべしと云へり、然といへども、勤労し糞培せざれば、米も麦も得られず、いやながらも、勤労すればこそ、芋も大根も食ふ事を得るなれ、難儀と思ふ年貢を出せばこそ、田畑も我物となりて、耕作も出来るなれと、只此理を諭し、己が分度を定めて、己を尽したるのみ、此の如くすれば、行れざる処なし、草木禽獣にも行るゝ道理なり、如何となれば、菓物熟して、自然落るを待の道理にして、只、我の一字を去るのみ、我畑へ我植し茄子にても、我にてならする事は出来ず、理屈にては必ずならぬ物なり、此時理屈もやめ、我を捨て、肥をすれば、なれと言ずしてなり、実法れと言ずしてみのる、我教は此道理を能しるにあらざれば、行ふべからず
書き下し
道路の普請(ふしん)に人多く出居れり、小荷駄(にだ)馬驚(おど)き噪(さわ)ぎて静(しず)まらず、人々立噪(さわ)ぐを、馬士(まご)止めて静(しずか)に静にと云て手拭(てぬぐい)にて馬の目を隠(かく)し、額(ひたい)より面を撫(な)でたり、馬静(しず)りて過行く、翁(おきな)曰(いわ)く、馬士のする処、誠に宜(よろ)し、論語に、礼の用は和を尊しとす、小大是に因(よ)る、とあるに叶へり、予初(はじ)め野州物井(ものい)を治(おさ)めしも、此通りなり、噪立(さわだつ)を静(しず)むるは、此道理にあり、我物井を治し時、金は無利足に貸し、返さゞるも催促(さいそく)せず、無道なるをも敢(あえ)て咎(とが)めず、年貢も難儀(なんぎ)とあらば免(ゆる)すべしと云へり、然といへども、勤労(きんろう)し糞培(ふんばい)せざれば、米も麦も得られず、いやながらも、勤労すればこそ、芋(いも)も大根も食ふ事を得るなれ、難儀と思ふ年貢を出せばこそ、田畑も我物となりて、耕作も出来るなれと、只此理を諭(さと)し、己が分度を定めて、己を尽したるのみ、此の如くすれば、行れざる処なし、草木禽獣(きんじゅう)にも行るゝ道理なり、如何となれば、菓物(かぶつ)熟(じゅく)して、自然落るを待(まつ)の道理にして、只、我(が)の一字を去るのみ、我畑へ我植し茄子(なす)にても、我にてならする事は出来ず、理屈(りくつ)にては必ずならぬ物なり、此時理屈もやめ、我を捨て、肥(こやし)をすれば、なれと言ずしてなり、実法(みの)れと言ずしてみのる、我教は此道理を能(よ)くしるにあらざれば、行ふべからず
現代語訳
道路の工事に大勢の人が出ていた。荷を運ぶ馬が驚いて騒ぎ、静まらない。人々が立って騒ぐのを、馬子は止めて「静かに、静かに」と言い、手ぬぐいで馬の目を隠し、額から顔を撫でた。馬は静まって通り過ぎた。翁が言われた。この馬子のやり方は実に良い。論語に「礼の働きは和を尊ぶ、大小のことはこれによる」とあるのに叶っている。私が初めて下野国の物井を治めたときも、この通りであった。騒ぎ立つのを静めるのは、この道理による。私が物井を治めたとき、金は無利子で貸し、返さなくても催促せず、道に外れた者もあえて咎めず、年貢も難儀なら免除しようと言った。とはいえ、勤労して肥料を施さなければ米も麦も得られない。いやいやながらでも、勤労すればこそ芋も大根も食べられる。難儀と思う年貢を納めればこそ、田畑も我が物となって耕作もできるのだ、とただこの道理を諭し、自分の分度を定めて、自らを尽くしただけだ。このようにすれば、行われないことはない。草木や鳥獣にも通じる道理である。なぜなら、果物が熟して自然に落ちるのを待つ道理であって、ただ「我」の一字を去るのみだからだ。自分の畑に自分が植えた茄子でも、「我」の力で実らせることはできない。理屈では決して実らないものだ。このとき理屈もやめ、我を捨てて肥料を施せば、実れと言わずとも実る。みのれと言わずとも実る。私の教えは、この道理をよく知らなければ行うことはできない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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二宮翁夜話・続篇宇津氏(うつうじ)の馬、厩(うまや)を離れて邸内を馳(は)せ廻(めぐ)れり。人々大に噪立(さわぎた)てける時、別当(べっとう)出来(いできた)りて、静にすべしと云て、飼葉桶(かいばおけ)をたゝきて小声に呼ければ、流石(さすが)に猛く刎廻(はねまわ)りし馬急に静(しずま)りて飼葉に付けり。翁(おきな)曰(いわ)く、汝等(なんじら)心得よ、世の中は何も六ヶしき(むずかしき)事決してなし。狗(いぬ)も来よ来よと云ふ計りにては来ず、時々食を以て呼ぶ時速(すみやか)に来る。茄子(なす)もなれなれと云てなるにあらず、肥(こやし)をすれば必ずなる。猫の脊中(せなか)も順に撫(な)づれば知らぬふりをして眠り、逆に撫づると一撫(ひとなで)にて爪を出す。予桜町を治むるも此(こ)の理を法として、勤めて怠らざりしのみ。
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二宮翁夜話・巻之四翁曰く、江川県令(けんれい)問いて曰く、卿(けい)桜町を治むる数年にして、年来の悪習一洗(いっせん)し、人民精励に赴(おもむ)き、田野開け民聚(あつま)ると聞けり、感服の至りなり、予、支配所の為に、心を労(ろう)する事久し、然(しか)して少(すこ)しも効(しるし)を得ず、卿如何(いか)なる術(じゅつ)かあると、予答えて曰く、君には君の御威光(ごいこう)あれば、事を為す甚(はなは)だ安し、臣(しん)素(もと)より無能無術、然(しか)りといえども、御威光にても理解にても、行われざる処の、茄子(なす)をならせ、大根を太(ふと)らする事業を、慥(たしか)に心得居る故、此の理を法として、只勤めて怠らざるのみ、夫(それ)草野(そうや)一変すれば米となる、米一変すれば飯となる、此の飯には、無心の鶏犬(けいけん)といえども、走り集り、尾を振れといえば尾を振り、廻れといえば廻り、吠(ほ)えよといえば吠ゆ、鶏犬の無心なるすら此の如し、臣只此の理を推(お)して、下に及ぼし至誠を尽せるのみ、別に術あるにはあらず、と答う、是より予が年来実地に執(と)り行いし事を談話する事六七日なり、能(よ)く倦(う)まずして聴かれたり、定めて支配所の為に、尽されたるなるべし。
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二宮翁夜話・続篇翁(おきな)の家に出入る者曰く、予(よ)今日真岡(もおか)にて聞きたり、同町と久下田町(くげたまち)との間の道は、敷地の巾(はば)十一間(けん)なりと。道は公地なり、されば久下田町に米を運送して帰路に、路傍(ろぼう)の艸(くさ)を刈りて戻らんと考へたりと。翁曰、汝(なんじ)が屋敷は本歩(ほんぶ)は五畝歩(せぶ)なり、然るに壹反(いったん)余あるべし。人来りて汝が屋敷の竹木を取らば如何(いかん)、汝黙するや、能く思ふべし。仮令(たとい)道路敷地といへども、自村(じそん)と他村との区別あり、右様(みぎよう)の事はいふべき事にあらず。隣家某(それがし)の家敷は広し、さればとて余歩(よぶ)の地の竹木を伐取(きりと)らんと云はゞ無道なり。自(みずか)ら私の屋敷は余歩多し、竹木の入用の方は遠慮なく伐取らるゝも苦しからずと云ふは誠によし。路傍の艸も、久下田の町にて、道敷地十一間なれば、他村の人たりとも、馬を引て空しく帰るは損なり、艸を刈りて附行(つけゆ)くもよろしと云はゞ誠に宜し、此方(こなた)より刈取るも何かあらんと云ふは悪しゝ。思ふべきことなり。
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二宮翁夜話・巻之五翁曰く、己(おのれ)に克(か)ちて礼に復(かえ)れば天下仁に帰す、と云へり、是れ道の大意なり、夫れ人己が勝手(かって)のみを為さず、私欲を去りて、分限を謙(へりくだ)り、有余(ゆうよ)を譲るの道を行ふ時は、村長たらば一村服せん、国主ならば一国服せん、又馬士(まご)ならば馬肥(こ)えん、菊作りならば菊栄(さか)えん、釈氏(しゃくし)は王子なれ共、王位を捨て鉄鉢(てっぱつ)一つと定めたればこそ、今此の如く天下に充満し、賤山勝(しずやまがつ)といへ共、尊信するに至れるなれ、則ち予が説く所の、分を譲るの道の大なる物なり、則ち己に克つの功よりして、天下是れに帰せしなり、凡そ人の長たらん者、何ぞ此の道に依らざるや、故に予常に曰く、村長及び富有の者は、常に麁服(そふく)を用ふるのみにても、其の功徳(くどく)無量なり、衆人の羨(うらや)む念をたてばなり、況(いわ)んや分限を引きて、能く譲る者に於てをや。
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二宮翁夜話・巻之五翁(おきな)曰(いわ)く、予(よ)飢饉救済の為、野常相駿豆(やじょうそうすんず)の諸村を巡行して、見聞せしに、凶歳といへども、平日出精人(しゅっせいにん)の田畑は、実法(みの)り相応にありて、飢渇(きかつ)に及ぶに到らず、予が歌に「丹精は誰(たれ)しらねどもおのづから秋の実法(みの)りのまさる数々」といへるが如し、論語に、苟(まこと)に仁に志さば悪なし、と云へり、至理(しり)なり、此の道理を押すに苟に農業に志せば、凶歳なしと言ひて可なる物なり、されば苟に商法に志せば、不景気なしと云ひて可ならん、汝等(なんじら)能(よ)く勤めよ。
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二宮翁夜話・巻之二翁曰く、夫(それ)入るは出(いで)たる物の帰るなり、来るは押し譲(ゆず)りたる物の入り来るなり。譬(たと)へば、農人田畑の為に尽力し、人糞(こやし)を掛け干鰯(ほしか)を用ひ、作物の為に力を尽せば、秋に至りて実法(みの)りを得る事、必ず多き勿論なり。然るを菜を蒔(まき)て、出るとは芽をつみ、枝が出れば枝を切り、穂を出せば穂をつみ、実がなれば実を取る、此の如くなれば、決して収獲(しゅうかく)なし。商法も又同じ。己が利欲のみを専(もっぱら)として買人の為を思はず、猥(みだ)りに貪(むさぼ)らば、其店の衰微(すいび)、眼前なるべし。古語に、人心は惟(これ)危(あや)うし道心惟(これ)微(かす)かなり、惟(これ)精惟(これ)一、允(まこと)に其中を執(と)れ、四海困窮せば天禄永く終らん、とあり。是舜(しゅん)禹(う)天下を授受(じゅじゅ)するの心法なり。上として下に取る事多く、下困窮すれば、上の天禄も永く終るとあり。終るにはあらず、天より賜(たまわ)りたるを、天に取上げらるゝなり。其理又明白なり。誠に金言(きんげん)といふべし。然(しか)りといへども、儒者(じゅしゃ)の如く講じては、今日の用、何の用にもたゝぬ故、今汝等(なんじら)が為に、分り安く読みて聞かせん。支那(から)の咄(はな)しと思ひて、迂闊(うかつ)に聞かず、能く肝(きも)に銘(めい)ぜよ。人心惟危うし道心惟微かなりとは、身勝手にする事は危き物ぞ、他の為にする事は、いやになる物ぞと云ふ事なり。惟精惟一允に其中を執れとは、能く精力を尽し、一心堅固に二百石の者は、百石にて暮し、百石の者は、五十石にて暮し、其半分を推譲(おしゆず)りて、一村の衰(おとろ)へざる様、一村の益々(ますます)富(と)み益々栄(さか)える様に勉強せよ、と云ふ事なり。四海困窮せば、天禄永く終らんとは、一村困窮する時は、田畑を何程持ち居るとも、決して作徳は取れぬ様になる物ぞ、と云ふ事と心得べし。帝王の咄(はな)しなればこそ、四海と云ひ、天禄と云ふなれ。汝等が為には、四海を一村と読み、天禄は作徳と読むべし。能々(よくよく)肝銘せよ。