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二宮翁夜話 / 巻之二

翁曰、百人一首に「秋の田のかりほの菴のとまをあらみ我衣手は露にぬれつゝ」とあり、此御歌を、歌人の講ずるを聞けば、只言葉丈にして深き意もなきが如し、何事も己が心丈ならでは解せぬ物なればなるべし、夫春夏は、百種百草芽を出し生い育ち、枝葉繁り栄え百花咲満ち、秋冬に至れば、葉落ち実熟して、百種百草皆枯る、則植物の終りなり、凡事の終りは、奢る者は亡び、悪人は災に逢ひ、盗は刑せられ、一生の業果の応報を、草木の熟する秋の田に寄せての御製なるべし、とまをあらみとは、政事あらくして行届かざるを、歎かせ玉ふなり、御慈悲御憐みの深き、言外にあらはれたり、此者は何々に依て獄門に行ふ物なり、我衣手は露にぬれつゝ、此者は火炙りに行ふ者也、我衣手は露にぬれつゝ、誰は家事不取締に付蟄居申付る、我衣手は露にぬれつゝ、悪事をして刑せらるゝ者も、政事の届かぬ故、奢に長じて滅亡する者も、我教の届かぬ故と、御憐みの御泪にて、御袖を絞らせ玉ふと云歌なり、感銘すべし、予始て野州物井に至り、村落を巡回す、人民離散して、只家のみ残り、或は立腐れとなり、石据のみ残り、屋敷のみ残り、井戸のみ残り、実に哀れはかなき形を見れば、あはれ此家に老人も有つるなるべし、婦女児孫もありしなるべきに、今此の如く萱葎生ひ茂り、狐狸の住処と変じたりと思へば、実に、我衣手は露にぬれつゝ、の御歌も思ひ合せて、予も袖を絞りし也、京極黄門、百首の巻頭に、此御製を載られて、今諸人の知る処となれるは、悦ばしき事なり、感拝すべし

書き下し

翁(おきな)曰(いわ)く、百人一首に「秋の田のかりほの菴(いお)のとまをあらみ我(わが)衣手は露(つゆ)にぬれつゝ」とあり、此御歌を、歌人の講ずるを聞けば、只言葉丈(だけ)にして深き意もなきが如し、何事も己(おの)が心丈(だけ)ならでは解(かい)せぬ物なればなるべし、夫(それ)春夏は、百種百草芽を出し生い育ち、枝葉繁(しげ)り栄え百花咲満ち、秋冬に至れば、葉落ち実(み)熟(じゅく)して、百種百草皆枯(か)る、則(すなわ)ち植物の終りなり、凡(およ)そ事の終りは、奢(おご)る者は亡(ほろ)び、悪人は災(わざわい)に逢ひ、盗(ぬすびと)は刑(けい)せられ、一生の業果の応報を、草木の熟する秋の田に寄せての御製(ぎょせい)なるべし、とまをあらみとは、政事あらくして行届かざるを、歎(なげ)かせ玉ふなり、御慈悲(じひ)御憐(あわれ)みの深き、言外にあらはれたり、此者は何々に依て獄門(ごくもん)に行ふ物なり、我衣手は露にぬれつゝ、此者は火炙(あぶ)りに行ふ者也、我衣手は露にぬれつゝ、誰は家事不取締(しまり)に付蟄居(ちっきょ)申付る、我衣手は露にぬれつゝ、悪事をして刑せらるゝ者も、政事の届かぬ故、奢に長じて滅亡する者も、我教の届かぬ故と、御憐みの御泪(なみだ)にて、御袖を絞(しぼ)らせ玉ふと云歌なり、感銘すべし、予始て野州物井に至り、村落を巡回す、人民離散して、只家のみ残り、或は立腐(くさ)れとなり、石据(ずえ)のみ残り、屋敷のみ残り、井戸のみ残り、実に哀(あわ)れはかなき形を見れば、あはれ此家に老人も有つるなるべし、婦女児孫もありしなるべきに、今此の如く萱葎(かやむぐら)生ひ茂り、狐狸(きつねたぬき)の住処と変じたりと思へば、実に、我衣手は露にぬれつゝ、の御歌も思ひ合せて、予も袖を絞りし也、京極黄門、百首の巻頭に、此御製を載(の)せられて、今諸人の知る処となれるは、悦ばしき事なり、感拝すべし

現代語訳

翁が言われた。百人一首に「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ我が衣手は露にぬれつつ」とある。この御歌を歌人が講釈するのを聞くと、ただ言葉の表面だけで深い意味もないように受け取っている。何事も自分の心の程度でしか理解できないものだからだろう。そもそも春夏は、あらゆる草木が芽を出し生い育ち、枝葉が茂り栄え百花が咲き満ちるが、秋冬になると葉が落ち実が熟して、あらゆる草木が皆枯れる。これが植物の終わりである。およそ物事の終わりは、奢る者は滅び、悪人は災いに遭い、盗人は罰せられる。この一生の業果の応報を、草木が熟する秋の田に寄せて詠まれた御製であろう。「苫をあらみ」とは、政治が粗くて行き届かないのを嘆かれたのだ。深い慈悲と憐れみが言外にあらわれている。この者は何々の罪で獄門にかける、我が衣手は露に濡れつつ。この者は火あぶりにする、我が衣手は露に濡れつつ。誰それは家政の不取締りで蟄居を申しつける、我が衣手は露に濡れつつ。悪事をして罰せられる者も政治が届かぬゆえ、奢りが高じて滅びる者も我が教えが届かぬゆえと、憐れみの涙で御袖を絞られる、という歌なのだ。感銘すべきである。私が初めて下野国の物井に至り村々を巡回したとき、人民は離散してただ家だけが残り、あるいは朽ち果てて礎石だけが残り、屋敷だけが残り、井戸だけが残っていた。実に哀れではかない有様を見て、ああこの家には老人もいたであろう、婦女や子や孫もいたであろうに、今このように雑草が生い茂り狐狸の住処に変わってしまったと思うと、まさに「我が衣手は露にぬれつつ」の御歌も思い合わされて、私も袖を絞ったのだ。藤原定家がこの御製を百人一首の巻頭に載せられて、今や多くの人の知るところとなったのは喜ばしいことである。ありがたく拝すべきだ。

解説

百人一首巻頭の天智天皇の御製を、尊徳は歌人の言葉遊びとしてではなく、為政者の慈悲の歌として読み解きます。秋の田は一生の応報が実る場であり、「苫をあらみ」は政治の行き届かなさへの嘆き――罪人が罰せられるのも民が滅びるのも「我が教えが届かぬゆえ」と、天皇が我が身の不徳として涙される歌だというのです。尊徳自身、荒れ果てた物井の村を巡り、朽ちた礎石や井戸の跡に人々の営みを偲んで袖を絞ったと重ねます。すべての荒廃を他者のせいにせず、自らの至誠が足りぬと引き受ける姿勢は、報徳の指導者に貫かれた責任感です。うまくいかぬ現実をまず我が事として受けとめる態度は、現代のリーダーにも通じます。

この章句が説くこと

二宮翁夜話報徳百人一首天智天皇至誠慈悲

この一句を、あなたの毎日に。

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