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二宮翁夜話 / 巻之二

両国橋辺に、敵打あり、勇士なり孝子なりと人々誉む、翁曰、復讐を尊むは、未だ理を尽さゞる物なり、東照公も敵国に生れ玉へるを以て父祖の讐を報ぜんとのみ願はれしを、酉誉上人の説法に、復讐の志は、小にして益なく、人道にあらざるの理を以てし、国を治め、万民を安ずるの道の天理にして、大なるの道理を以てす、公始て此理に感じ、復讐の念を捨て、国を安んじ、民を救ふの道に心力を尽されたり、是より大業なり、万民塗炭の苦を免る、此道独東照宮のみに限らざるなり、凡人といへども又同じ、此方より敵を打てば、彼よりも亦此恨を報ぜんとするは必定なり、然る時は怨恨結んで解る時なし、互に復讐復讐と、只恨を重ぬるのみ、是則仏に所謂輪廻にて永劫修羅道に落て人道を蹈む事能はじ、愚の至り悲ひ哉、又たまたまは、返り打ちに逢ふもあり、痛しからずや、是道に似て、道にあらざるが故なり、されば復讐は政府に懇願すべし、政府又草を分て、此悪人を尋ねて刑罰すべし、仍て自らは、恨に報うに直を以てすの聖語に随て復讐を止め家を修め、立身出世を謀り、親先祖の名を顕はし、世を益し人を救ふの天理を勤るにしかず、是子たる者の道、則人道なり、世の習風は、人道にあらず、修羅道なり、天保の飢饉に、相州大磯駅川崎某と云者、乱民に打毀されたり、官乱民を捕へて禁獄し、又川崎某をも禁獄する事三年、某憤怒に堪へず、上下を怨み、上下に此怨を報ぜんと熱心す、我是に教ふるに、復讐は人道にあらざるの理を解き、富者は貧を救ひ、駅内を安ずるの天理なる事を以てせり、某決する事能はず、鎌倉円覚寺淡海和尚に質して、悔悟し決心して、初て復讐の念を断ち、身代を残らず出して、駅内を救助す、駅内俄然一和して、某を敬する事父母の如し、官又厚く某を賞するに至れり、予只復讐は人道にあらず、世を救ひ世の為を為すの天理なる事を教へしのみにして、此好結果を得たり、若過ちて、復讐の謀をなさば、如何なる修羅場を造作するや知るべからず、恐れざるべけんや

書き下し

両国橋辺(へん)に、敵打(かたきうち)あり、勇士なり孝子なりと人々誉(ほ)む、翁(おきな)曰(いわ)く、復讐(ふくしゅう)を尊(たっと)むは、未(いま)だ理を尽(つく)さゞる物なり、東照公も敵国に生れ玉へるを以て父祖の讐(あだ)を報ぜんとのみ願はれしを、酉誉(ゆうよ)上人の説法に、復讐の志は、小にして益なく、人道にあらざるの理を以てし、国を治め、万民を安(やす)んずるの道の天理にして、大なるの道理を以てす、公始て此理に感じ、復讐の念を捨(す)て、国を安んじ、民を救ふの道に心力を尽されたり、是(これ)より大業なり、万民塗炭(とたん)の苦を免(まぬか)る、此道独(ひと)り東照宮のみに限らざるなり、凡人(ぼんじん)といへども又同じ、此方より敵を打てば、彼よりも亦此恨(うら)みを報ぜんとするは必定(ひつじょう)なり、然る時は怨恨(えんこん)結んで解(とく)る時なし、互(たが)ひに復讐復讐と、只恨を重ぬるのみ、是則(すなわ)ち仏に所謂(いわゆる)輪廻(りんね)にて永劫(えいごう)修羅(しゅら)道に落て人道を蹈(ふ)む事能(あた)はじ、愚の至り悲(かな)しひ哉、又たまたまは、返り打ちに逢ふもあり、痛(いた)ましからずや、是道に似て、道にあらざるが故なり、されば復讐は政府に懇願(こんがん)すべし、政府又草を分て、此悪人を尋ねて刑罰すべし、仍(よ)て自(みずか)らは、恨に報うに直(なおき)を以てすの聖語に随(したが)ひて復讐を止め家を修(おさ)め、立身出世を謀(はか)り、親先祖の名を顕(あら)はし、世を益し人を救ふの天理を勤(つと)むるにしかず、是子たる者の道、則ち人道なり、世の習風は、人道にあらず、修羅道なり、天保の飢饉(ききん)に、相州大磯駅川崎某と云者、乱民に打毀(こわ)されたり、官乱民を捕(とら)へて禁獄し、又川崎某をも禁獄する事三年、某憤怒(ふんぬ)に堪(た)へず、上下を怨み、上下に此怨を報ぜんと熱心す、我是に教ふるに、復讐は人道にあらざるの理を解き、富者は貧を救ひ、駅内を安ずるの天理なる事を以てせり、某決する事能はず、鎌倉円覚寺淡海和尚に質(ただ)して、悔悟(かいご)し決心して、初て復讐の念を断(た)ち、身代を残らず出して、駅内を救助す、駅内俄然(がぜん)一和して、某を敬する事父母の如し、官又厚く某を賞するに至れり、予只復讐は人道にあらず、世を救ひ世の為を為すの天理なる事を教へしのみにして、此好結果を得たり、若(も)し過(あやま)ちて、復讐の謀(はかりごと)をなさば、如何なる修羅場を造作するや知るべからず、恐れざるべけんや

現代語訳

両国橋のあたりで敵討ちがあり、勇士だ孝子だと人々が褒めそやした。翁(二宮尊徳)が言われた。復讐を尊ぶのは、まだ道理を尽くしていないものだ。徳川家康公も敵国に生まれ、父祖の仇を報いようとばかり願われたが、酉誉上人の説法で、復讐の志は小さくて益がなく人道に反すること、国を治め万民を安んずる道こそ天理であり大きな道理であることを説かれた。公は初めてこの理に感じ、復讐の念を捨て、国を安んじ民を救う道に心力を尽くされた。これが大事業となり、万民が塗炭の苦しみを免れた。この道は家康公だけに限らない。凡人でも同じである。こちらから敵を討てば、相手もまたこの恨みを報いようとするのは必定だ。そうなると怨恨は結ばれて解ける時がない。互いに復讐復讐と、ただ恨みを重ねるばかりだ。これはまさに仏教でいう輪廻であり、永遠に修羅道に落ちて人道を踏むことができない。愚かの極み、悲しいことだ。また時には返り討ちに遭うこともあり、痛ましいではないか。これは道に似ていて道でないからだ。だから復讐は政府に懇願すべきだ。政府は草を分けてもこの悪人を捜し出して罰するべきである。だから自分は「恨みに報いるに正しさをもってせよ」という聖語に従って復讐をやめ、家を治め、立身出世を図り、親や先祖の名をあらわし、世を益し人を救う天理に努めるほうがよい。これが子たる者の道であり、すなわち人道である。世間の習わしは人道ではなく修羅道である。天保の飢饉のとき、相模国大磯宿の川崎某という者が乱民に家を打ち壊された。役所は乱民を捕らえて牢獄に入れ、川崎某をも三年間投獄した。某は憤怒に堪えず、上も下も恨み、その恨みを報いようと躍起になった。私は彼に、復讐は人道でないことを説き、富者は貧者を救い宿場内を安んずるのが天理であると教えた。某は決断できず、鎌倉の円覚寺の淡海和尚に問うて、悔い改めて決心し、初めて復讐の念を断ち、財産を残らず投げ出して宿場内を救済した。宿場内はにわかに和合し、某を父母のように敬うようになった。役所もまた厚く某を賞するに至った。私はただ、復讐は人道でなく、世を救い世のためを為すのが天理であると教えただけで、この好結果を得たのだ。もし誤って復讐の企てをしていたら、どんな修羅場を作り出したか知れない。恐れないでいられようか。

解説

復讐は勇や孝として称賛されがちですが、尊徳はこれを「道に似て道にあらず」と退けます。敵を討てば相手も報復し、怨恨は解けることなく修羅道の連鎖に陥るからです。家康が仇討ちの念を捨てて治国安民に転じた例、そして飢饉で投獄された川崎某が復讐を断って全財産を宿場の救済に投じ、かえって人々に敬われた例を挙げ、恨みのエネルギーを世のための推譲へ転換する道を示します。「恨みに報いるに直を以てす」という論語の言葉どおり、私憤を立身と報恩、そして人を救う至誠へ向け直すのが人道だと説くのです。対立や仕返しの連鎖に陥りがちな現代においても、負の感情を建設的な行動へ振り向ける知恵を教えてくれます。

この章句が説くこと

二宮翁夜話報徳復讐人道推譲至誠

この一句を、あなたの毎日に。

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