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二宮翁夜話 / 巻之二

加茂社人、梅辻と云神学者東京に来て、神典竝に天地の功徳、造化の妙用を講ず、翁一夜竊に其講談を聞かる、曰、其人となり、弁舌爽にして飾なく、立居ふるまひも安らかにして物に関せず、実に達人と云べし、其説く処も、大凡尤なり、されども未尽さゞる事のみ多し、彼位の事にては、一村は勿論、一家にても衰へたるを興す事は出来まじ、如何となれば其説く所目的立ず、至る処なく専倹約を尊んで、謂れなく只倹約せよ倹約せよと云て倹約して何にすると云事なく、善を為よと云て其善とする処を説ず、且善を為すの方を云ず、其説く処を実行する時は上下の分立ず、上国下国の分ちもなく、此の如く、一般倹約を為たりとも、何の面白き事もなく、国家の為にもならざるなり、其他の諸説は、只論弁の上手なるのみ、夫我倹約を尊ぶは用ひる処有が為なり、宮室を卑し、衣服を悪くし、飲食を薄うして、資本に用ひ、国家を富実せしめ、万姓を済救せんが為なり、彼が目途なく至る処なく、只倹約せよと云とは大に異なり、誤解する事勿れ。

書き下し

加茂社人、梅辻(うめつじ)と云ふ神学者東京(えど)に来て、神典竝(ならび)に天地の功徳、造化の妙用を講ず。翁一夜竊(ひそか)に其講談を聞かる。曰く、其人となり、弁舌爽(さわやか)にして飾(かざ)りなく、立居ふるまひも安らかにして物に関(かん)せず、実に達人と云ふべし。其説く処も、大凡(おおよそ)尤(もっと)もなり。されども未(いま)だ尽さゞる事のみ多し。彼(かれ)位の事にては、一村は勿論、一家にても衰(おとろ)へたるを興(おこ)す事は出来まじ。如何となれば其説く所目的立たず、至る処なく専(もっぱ)ら倹約(けんやく)を尊(たっと)んで、謂(いわ)れなく只倹約せよ倹約せよと云ひて倹約して何にすると云ふ事なく、善を為(せ)よと云ひて其善とする処を説かず、且(かつ)善を為すの方を云はず。其説く処を実行する時は上下の分立たず、上国下国の分ちもなく、此の如く、一般倹約を為たりとも、何の面白き事もなく、国家の為にもならざるなり。其他の諸説は、只論弁の上手なるのみ。夫(それ)我(わが)倹約を尊(たっと)ぶは用ひる処有るが為なり。宮室を卑(いや)しうし、衣服を悪(あ)しくし、飲食を薄(うす)うして、資本に用ひ、国家を富実せしめ、万姓(ばんせい)を済救(さいきゅう)せんが為なり。彼(かれ)が目途(もくと)なく至る処なく、只倹約せよと云ふとは大に異なり。誤解(ごかい)する事勿(なか)れ。

現代語訳

加茂神社の神職で、梅辻という神学者が江戸に来て、神典ならびに天地の功徳、天地創造の妙なる働きを講義した。翁はある夜ひそかにその講談を聞かれた。そして言われた。その人柄は弁舌さわやかで飾りがなく、立ち居振る舞いも落ち着いて物事にこだわらず、まことに達人というべきだ。説くところもおおむねもっともだ。けれども、まだ言い尽くさないことばかり多い。あの程度のことでは、一村はもちろん一家でも、衰えたものを立て直すことはできまい。なぜなら、その説くところに目的が立たず、行き着く先もなく、ひたすら倹約を尊んで、理由もなくただ「倹約せよ倹約せよ」と言うだけで、倹約して何にするのかがなく、善をなせと言ってその善とするところを説かず、しかも善のなし方も言わない。彼の説くところを実行すれば、上下の別も立たず、豊かな国と貧しい国の区別もなく、こうして一様に倹約したところで、何の面白みもなく、国家のためにもならない。その他の諸説も、ただ弁が立つだけだ。そもそも私が倹約を尊ぶのは、用いるところがあるからだ。住まいを質素にし、衣服を粗末にし、飲食を薄くして、それを元手に用い、国家を豊かにし、万民を救おうがためである。彼の、目的もなく行き着く先もなく、ただ倹約せよというのとは大いに違う。誤解してはならない。

解説

尊徳の倹約観がはっきり示された一条です。神学者梅辻の講義を達人と認めつつも、「ただ倹約せよ」と説くだけで目的がない点を鋭く批判します。尊徳にとって倹約は目的ではなく手段――住まい・衣服・飲食を切り詰めて生まれた余剰を資本とし、それで国を富ませ万民を救うためのものです。ここに分度(節約して余りを生む)と推譲(余りを人や社会に回す)が一続きに結ばれています。ためこむだけの節約や、根拠なき禁欲は報徳ではありません。現代でも、倹約や節約それ自体を目的化せず、生み出した余力を何に活かすのかという目的意識をもつことの大切さを、この一条は明快に教えてくれます。

この章句が説くこと

二宮翁夜話報徳倹約分度推譲済世

この一句を、あなたの毎日に。

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