二宮翁夜話 / 巻之二
翁曰、世界の中、法則とすべき物は、天地の道と親子の道と夫婦の道と農業の道との四ッなり、此道は誠に両全完全の物なり、百事此四ッを法とすれば誤なし、予が歌に「おのが子を恵む心を法とせば学ずとても道に到らん」とよめるは此心なり、夫天は生々の徳を下し、地は之を受けて発生し、親は子を育して、損益を忘れ混ら生長を楽み、子は育せられて、父母を慕ふ、夫婦の間、又相互に相楽んで子孫相続す、農夫勤労して、植物の繁栄を楽み、草木又欣々として繁茂す、皆相共に苦情なく、悦喜の情のみ、扨此道に法取る時は、商法は、売て悦び買て悦ぶ様にすべし、売て悦び買て喜ばざるは、道にあらず、買て喜び売て悦ばざるも、道にあらず、貸借の道も亦同じ、借て喜び貸て喜ぶ様にすべし、借て喜び貸て悦ばざるは、道にあらず、貸て悦び借て喜ばざるは、道にあらず、百事此の如し、夫我教は是を法とす、故に天地生々の心を心とし、親子と夫婦との情に基き、損益を度外に置き、国民の潤助と土地の興復とを楽むなり、然らざれば能はざる業なり、夫無利息金貸付の道は、元金の増加するを徳とせず、貸付高の増加するを徳とするなり、是利を以て利とせず、義を以て利とするの意なり、元金の増加を喜ぶは利心なり、貸附高の増加を喜ぶは善心なり、元金は終に百円なりといへども、六十年繰返し繰返し貸す時は、其貸附高は一万二千八百五十円となる、而て元金は元の如く百円にして増減なく、国家人民の為に益ある事莫大なり、正に日輪の万物を生育し万歳を経れども一ッの日輪なるが如し、古語に、敬する処の物少くして悦ぶ者多し、之を要道と云、とあるに近し、我此法を立し所以は、世上にて金銀を貸し催促を尽したる後、裁判を願ひ取れざる時に至て、無利足年賦となすが通常なり、此理を未貸さざる前に見て、此法を立たるなり、されども未足らざる処あるが故に、無利足何年置据貸しと云法をも立たり、此の如く為ざれば、国を興し世を潤すにたらざればなり、凡事は成行くべき先を、前に定るにあり、人は生れば必死すべき物なり、死すべき物と云事を前に決定すれば、活て居る丈日々利益なり、是予が道の悟なり、生れ出ては、死のある事を忘るゝ事なかれ、夜が明けなば暮るゝと云事を忘るゝ事なかれ。
書き下し
翁曰く、世界の中、法則とすべき物は、天地の道と親子の道と夫婦の道と農業の道との四ッなり。此道は誠に両全完全の物なり。百事此四ッを法とすれば誤(あやま)ちなし。予が歌に「おのが子を恵(めぐ)む心を法(のり)とせば学ばずとても道に到らん」とよめるは此心なり。夫(それ)天は生々(せいせい)の徳を下し、地は之を受けて発生し、親は子を育(そだ)して、損益を忘れ、混(ひたす)ら生長を楽み、子は育せられて、父母を慕(した)ふ。夫婦の間、又相互に相楽んで子孫相続す。農夫勤労して、植物の繁栄を楽み、草木又欣々(きんきん)として繁茂す。皆相共に苦情なく、悦喜の情のみ。扨(さて)此道に法取(のっと)る時は、商法は、売りて悦び買ひて悦ぶ様にすべし。売りて悦び買ひて喜ばざるは、道にあらず。買ひて喜び売りて悦ばざるも、道にあらず。貸借の道も亦同じ。借りて喜び貸して喜ぶ様にすべし。借りて喜び貸して悦ばざるは、道にあらず。貸して悦び借りて喜ばざるは、道にあらず。百事此の如し。夫(それ)我教は是を法(のり)とす。故に天地生々の心を心とし、親子と夫婦との情に基(もとづ)き、損益を度外に置(お)き、国民の潤助(じゅんじょ)と土地の興復(こうふく)とを楽むなり。然(しか)らざれば能(あた)はざる業なり。夫(それ)無利息金貸付の道は、元金の増加するを徳とせず、貸付高の増加するを徳とするなり。是利を以て利とせず、義を以て利とするの意なり。元金の増加を喜ぶは利心なり、貸附高の増加を喜ぶは善心なり。元金は終に百円なりといへども、六十年繰返し繰返し貸す時は、其貸附高は一万二千八百五十円となる。而(しか)て元金は元の如く百円にして増減なく、国家人民の為に益ある事莫大なり。正に日輪(にちりん)の万物を生育し万歳(ばんざい)を経(ふ)れども一ッの日輪なるが如し。古語に、敬(けい)する処の物少くして悦ぶ者多し、之を要道と云ふ、とあるに近し。我(われ)此法を立てし所以(ゆえん)は、世上にて金銀を貸し催促(さいそく)を尽(つく)したる後、裁判(さいばん)を願ひ取(と)れざる時に至りて、無利足年賦となすが通常なり。此理を未(いま)だ貸さざる前に見て、此法を立てたるなり。されども未(いま)だ足らざる処あるが故に、無利足何年置据貸(おきすえがし)と云ふ法をも立てたり。此の如く為さざれば、国を興(おこ)し世を潤(うるお)すにたらざればなり。凡(およ)そ事は成行くべき先を、前に定むるにあり。人は生(うま)るれば必ず死すべき物なり。死すべき物と云ふ事を前に決定すれば、活(い)きて居る丈(だけ)日々利益なり。是予が道の悟(さと)りなり。生れ出でては、死のある事を忘るゝ事なかれ。夜が明けなば暮るゝと云ふ事を忘るゝ事なかれ。
現代語訳
翁が言われた。世の中で法則とすべきものは、天地の道・親子の道・夫婦の道・農業の道の四つだ。この道はまことに両全完全のものである。すべてこの四つを手本にすれば誤りはない。私の歌に「わが子をいつくしむ心を手本とすれば、学ばなくても道に至る」と詠んだのはこの意味だ。そもそも天は生み育てる徳を下し、地はそれを受けて発生させ、親は子を育てて損得を忘れ、ひたすら成長を楽しみ、子は育てられて父母を慕う。夫婦の間もまた互いに楽しみ合って子孫を継ぐ。農夫は勤労して作物の繁栄を楽しみ、草木もまた喜ばしく繁茂する。みな互いに不平がなく、喜びの情ばかりだ。さてこの道にのっとれば、商売は売って喜び買って喜ぶようにすべきだ。売って喜び買って喜ばないのは道ではない。買って喜び売って喜ばないのも道ではない。貸し借りの道も同じで、借りて喜び貸して喜ぶようにすべきだ。借りて喜び貸して喜ばないのは道ではなく、貸して喜び借りて喜ばないのも道ではない。すべてこのようだ。私の教えはこれを手本とする。だから天地の生み育てる心を自分の心とし、親子・夫婦の情に基づき、損得を度外視して、人々を潤し助けることと土地の復興とを楽しむのだ。そうでなければできない業だ。無利息金貸付の道は、元金が増えるのを徳とせず、貸付総額が増えるのを徳とする。これは利を利とせず、義を利とする意味だ。元金の増加を喜ぶのは利心、貸付総額の増加を喜ぶのは善心だ。元金は結局百円でも、六十年繰り返し貸せば貸付総額は一万二千八百五十円になる。それでいて元金は元のまま百円で増減なく、国家人民のための益は莫大だ。まさに太陽が万物を育て万年を経ても一つの太陽であるようなものだ。古語に「敬い惜しむものは少なくて、喜ぶ者が多い、これを要道という」とあるのに近い。私がこの法を立てた理由は、世間では金銀を貸して催促を尽くした後、裁判に訴えても取れなくなってから無利息の年賦にするのが普通だからだ。この理を、まだ貸す前に見抜いてこの法を立てたのだ。それでもなお足りないところがあるので、無利息で何年か据え置く貸付という法も立てた。こうしなければ国を興し世を潤すには足りないからだ。およそ物事は、行き着く先を前もって定めることにある。人は生まれれば必ず死ぬものだ。死ぬものだと前もって覚悟すれば、生きているだけ日々が利益だ。これが私の道の悟りである。生まれ出たら、死があることを忘れてはならない。夜が明けたら暮れるということを忘れてはならない。
解説
この章句が説くこと
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二宮翁夜話・巻之二翁曰く、吉凶禍福(かふく)苦楽憂歓(ゆうかん)等は、相対(あいたい)する物なり。如何(いかん)となれば、猫の鼠(ねずみ)を得る時は楽の極なり、其得られたる鼠は苦の極なり。蛇(へび)の喜び極まる時は蛙(かえる)の苦極まる、鷹(たか)の悦び極まる時は雀(すずめ)の苦極まる。猟師(りょうし)の楽は鳥獣(とりけだもの)の苦なり、漁師(ぎょし)の楽は魚の苦なり。世界の事皆斯(かく)の如し。是(これ)は勝ちて喜べば、彼は負けて憂ふ。是は田地を買ひて喜べば、彼は田地を売りて憂ふ。是は利を得て悦べば、彼は利を失ふて憂ふ。人間世界皆然(しか)り。たまたま悟門(ごもん)に入る者あれば、是を厭(いと)ひて山林に隠(かく)れ、世を遁(のが)れ世を捨つ。是又世上の用をなさず。其志其行ひ、尊(たっと)きが如くなれども、世の為にならざれば賞するにたらず。予が戯(たわむれ)歌に「ちうちうとなげき苦しむこゑきけば鼠(ねずみ)の地獄(じごく)猫(ねこ)の極楽」、一笑すべし。爰(ここ)に彼悦んで是も悦ぶの道なかるべからずと考ふるに、天地の道、親子の道、夫婦の道、又農業の道との四ッあり。是(これ)法則とすべき道なり。能(よく)考ふべし。
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二宮翁夜話・巻之四翁(おきな)曰(いわ)く、方今(ほうこん)の憂(うれ)ひは村里の困窮にして、人気(じんき)の悪敷(あしき)なり。此(こ)の人気を直さんとするには、困窮を救はざれば免(まぬか)るる事能(あた)はず。之(これ)を救ふに財を施与(せよ)する時は、財力及ばざる物なり。故に無利足(むりそく)金貸附(かしつけ)の法を立てたり。此の法は実に恵(めぐ)んで費(つい)えざるの道なり。此の法に一年の酬謝(しゅうしゃ)金を附するの法をも設けたり。是(これ)は恵んで費えざる上に又欲して貪(むさぼ)らざるの法なり。実に貸借両全(りょうぜん)の道と云ふべし。
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二宮翁夜話・巻之二翁曰(いわ)く、仏書に、光明遍照(こうみょうへんじょう)十方世界、念仏衆生(ねんぶつしゅじょう)摂取(せっしゅ)不捨(ふしゃ)といへり、光明とは太陽の光を云ふ、十方とは東西南北乾(いぬい)坤(ひつじさる)巽(たつみ)艮(うしとら)の八方に、天地を加へて十方と云ふ也、念仏衆生とは、此の太陽の徳を念じ慕(した)ふ、一切の生物を云ふ、夫(そ)れ天地間に生育する物、有情蠢動(うじょうしゅんどう)の物は勿論、無情の草木と雖(いえど)も、皆太陽の徳を慕ひて、生々を念とす、此の念ある物を仏国故に念仏衆生と云ふ也、神国にては念神衆生と読むべし、故に此の念ある者は洩(もら)さず、生育を遂(と)げさせて捨て玉(たま)はずと云ふ事にて、太陽の大徳を述べし物也、則(すなわ)ち我が天照大神の事也、此の如く太陽の徳は、広大なりといへども、芽を出さんとする念慮、育(そだ)たんとする気力なき物は仕方なし、芽を出さんとする念慮、育たんとする生気ある物なれば、皆是を芽だたせ、育たせ給ふ、是れ太陽の大徳なり、夫れ我が無利足金貸附の法は、此の太陽の徳に象(かたど)りて、立ちたるなり、故に如何なる大借といへ共、人情を失はず利足を滞(とどこお)りなく済(すま)し居る者、又是非とも皆済して他に損失を掛(か)けじ、と云ふ念慮ある者は、譬(たと)へば、芽を出したい、育ちたいと云ふ生気ある草木に同じければ、此の無利子金を貸して引立つべし、無利子の金といへども、人情なく利子も済さず、元金をも蹈倒(ふみたお)さんとする者は、既に生気なき草木に同じ、所謂(いわゆる)縁無き衆生なり、之を如何ともすべからず、捨置くの外に道なきなり。
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二宮翁夜話・巻之一翁(おきな)曰(いわ)く、夫(そ)れ世界は旋転(せんてん)してやまず、寒(かん)往けば暑(しょ)来り、暑往けば寒来り、夜明くれば昼となり、昼になれば夜となり、又万物生ずれば滅し、滅すれば生ず。譬(たと)へば銭を遣(や)れば品が来り、品を遣れば銭が来るに同じ。寝ても醒(さ)めても、居ても歩行(あるい)ても、昨日は今日になり今日は明日になる。田畑も海山も皆その通り。爰(ここ)にて薪をたきへらすほどは、山林にて生木(せいぼく)し、爰で喰(く)ひへらす丈(だけ)の穀物は、田畑にて生育す。野菜にても魚類にても、世の中にて減るほどは、田畑河海山林にて生育し、生れたる子は時々刻々年がより、築(つ)きたる堤は時々刻々に崩れ、掘(ほ)りたる堀は日々夜々に埋(うづ)まり、葺(ふ)きたる屋根は日々夜々に腐る。是(これ)即(すなわ)ち天理の常なり。然(しか)るに人道は是と異なり。如何(いかん)となれば、風雨定めなく、寒暑往来する此世界に、毛羽(もうう)なく鱗介(りんかい)なく、裸体(はだか)にて生れ出(い)で、家がなければ雨露(あめつゆ)が凌がれず、衣服がなければ寒暑が凌がれず。爰に於て、人道と云ふ物を立て、米を善とし、莠(はぐさ)を悪とし、家を造るを善とし、破るを悪とす。皆人の為に立てたる道なり。依(よ)て人道と云ふ。天理より見る時は善悪はなし。其証(そのしょう)には、天理に任(まか)する時は、皆荒地となりて、開闢(かいびゃく)のむかしに帰るなり。如何となれば、是則ち天理自然の道なればなり。夫れ天に善悪なし、故に稲と莠とを分(わか)たず、種ある者は皆生育せしめ、生気ある者は皆発生せしむ。人道はその天理に順(したが)ふといへども、其内に各(おのおの)区別をなし、稗(ひえ)莠(はぐさ)を悪とし、米麦を善とするが如き、皆人身に便利なるを善とし、不便なるを悪となす。爰に到(いた)ては天理と異なり。如何となれば、人道は人の立つる処なればなり。人道は譬(たと)へば料理物の如く、三倍酢(さんばいず)の如く、歴代の聖主賢臣料理し塩梅(あんばい)して拵(こしら)へたる物なり。されば、ともすれば破れんとす。故に政(まつりごと)を立て、教(おしえ)を立て、刑法を定め、礼法を制し、やかましくうるさく、世話をやきて、漸(ようや)く人道は立つなり。然るを天理自然の道と思ふは、大なる誤なり。能(よ)く思ふべし。
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二宮翁夜話・続篇翁(おきな)、日光御神領(にっこうごしんりょう)の興復法(こうふくほう)の取調帳(とりしらべちょう)数十巻を指して曰(いわ)く、夫(そ)れ此(この)興復法、計算は独(ひと)り日光のみにはあらず、国家興復の計算なり。日光神領の文字誠に妙なり、世界の事と見て可なり、されば此帳簿は計算帳と見るべからず、是(これ)皆一々(いちいち)悟道(ごどう)にして天地自然の理なり。夫れ天地は昼夜変満(へんまん)して違ひなく、偽りなし、而(しか)して算術又然り、故に算術をかりて世界の変満するは此の如き道理なれば、決して油断は出来ぬぞと示して誡(いまし)めしなり。此帳を開かば初(はじめ)の一を何になりとも定めて見るべし、善なり、悪なり、邪(じゃ)なり、正なり、直(ちょく)なり、曲(きょく)なり、何なりとも定め置きて見る時は、元に仍(よっ)て利を生み、利が返(かえっ)て又元となり、其の元に利が付き繰返し繰返し、仏説(ぶっせつ)に云ふ因果(いんが)因果と引続きて絶えざる事年々歳々(ねんねんさいさい)此の如し。譬(たと)へば毎朝己(おのれ)先に眼を覚して人を起すか、又人に毎朝起さるゝか、是一事にても知らるべし。人世(じんせい)は一刻(いっこく)勤むれば一刻丈(だ)け、一時(いっとき)働けば一時丈け、半日励めば半日丈け、善悪邪正曲直(ぜんあくじゃせいきょくちょく)皆此計算の如く、一厘(いちりん)違へば一厘丈け、五厘違へば五厘丈け、多きは多き丈け、少きは少き丈け、此の通りと皆八十年間明細に調べ上げたり。朝早く起きたる因縁によりて麦が多く取れ、麦が多く取れた因縁によりて田を多く作り、田を多く作りたる因縁によりて馬を買ひ、馬を買ひ求めたる因縁によりて田畑が能(よ)く出来、田畑が能く出来たる因縁によりて田が殖(ふ)え、田が殖えたる因縁によりて金を貸し、金を貸したる因縁によりて利が取れる。年々此の如くなるに依(よっ)て富有(ふゆう)の者となるなり。而して富有者の貧困になりゆくも又此道理なり。原野の艸(くさ)、山林の木の生長も又同じ理なり。春延びたる力にて秋根を張り、秋根を張りたる力を以て春延び、去年延びたる力を以て今年太り、今年太りたる力を以て来年又太るなり、天地間の万物皆然り。是を理論にて云ふ時は種々の異論ありて面倒なれば、予(よ)は算術をかりて示せるなり、算術にて示す時は、如何(いか)なる悟道者も、いかなる論者も一言(いちごん)あらず。天地開闢(かいびゃく)の昔、人も禽獣(きんじゅう)も未だ無き時より、違ひ無き物を以て証拠として、天地間の道理は此の如き物ぞと知らしめたるなり。決して此帳を計算と見る事勿(なか)れ、夫れ数は免(まぬか)るゝ事能(あた)はず、此数理によりて道理を悟るべし、是悟道の捷径(しょうけい)なり。弁算(べんさん)和尚傍(かたわ)らにありて曰く、是ぞ真の一切経(いっさいきょう)なる、仰ぐべし尊ぶべしと。
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二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、世の中、とかく増減(ぞうげん)の事に付(つ)き、さわがしき事多かれど、世上(せじょう)に云ふ増減と云ふ物は、譬(たと)へば水を入(いれ)たる器(うつわ)の、彼方(かなた)此方(こなた)に傾(かたむ)くが如し、彼方増せば此方(こなた)へり、此方増せば彼方(かなた)減るのみ、水に於(おい)ては増減ある事なし、彼方にて田地(でんち)を買て悦(よろこ)べば、此方に田地を売て歎(なげ)く者あり、只(ただ)、彼方此方の違(たが)ひあるのみ、本来増減なし、予(よ)が歌に「増減は器傾(かたむ)く水と見よ」と云へる通り也(なり)、夫(それ)我道(わがみち)の尊(たっと)む増殖(ぞうしょく)の道は夫(それ)と異(こと)なり、直(ただち)に天地の化育(かいく)を賛成(さんせい)するの大道にして、米五合(ごごう)にても、麦一升(いっしょう)にても、芋(いも)一株(ひとかぶ)にても、天(あま)つ神の積置(つみおか)せらるる無尽蔵(むじんぞう)より、鍬(くわ)鎌(かま)の鍵(かぎ)を以て此世上(このせじょう)に取出(とりいだ)す大道なり、是を真の増殖の道と云ふ、尊むべし務(つと)むべし、「天(あま)つ日の恵(めぐみ)積置(つみおく)無尽蔵鍬(くわ)でほり出せ鎌(かま)でかりとれ」