二宮翁夜話 / 巻之一
浦賀の人、飯高六蔵、多弁の癖あり、暇を乞ふて国に帰らんとす、翁諭して云、汝国に帰らば決して人に説く事を止めよ、人に説く事を止めて、おのれが心にて、己が心に異見せよ、己が心にて己が心に異見するは、柯を取て、柯を伐るよりも近し、元己が心なればなり、夫異見する心は、汝が道心なり、異見せらるゝ心は、汝が人心なり、寝ても覚ても坐しても歩行ても、離るゝ事なき故、行住坐臥油断なく異見すべし、若己酒を好まば、多く飲む事を止めよと異見すべし、速に止めばよし、止めざる時は幾度も異見せよ、其外驕奢の念起る時も、安逸の欲起る時も皆同じ、百事此の如くみづから戒めば、是無上の工夫なり、此工夫を積んで、己が身修り家斉ひなば、是己が心己が心の異見を聞しなり、此時に至らば、人汝が説を聞く者あるべし、己修て人に及ぶが故なり、己が心にて己が心を戒しめ、己聞ずば必人に説く事なかれ、且汝家に帰らば、商法に従事するならん、土地柄といひ、累代の家業といひ至当なり、去ながら、汝売買をなすとも、必金を設んなどゝ思ふべからず、只商道の本意を勤めよ、商人たる者、商道の本意を忘るゝ時は、眼前は利を得るとも詰り滅亡を招くべし、能商道の本意を守りて勉強せば、財宝は求ずして集り、富栄繁昌量るべからず、必忘るゝ事なかれ。
書き下し
浦賀の人、飯高六蔵、多弁の癖(くせ)あり、暇(いとま)を乞ふて国に帰らんとす。翁諭して云く、汝国に帰らば決して人に説く事を止(とど)めよ。人に説く事を止めて、おのれが心にて、己が心に異見せよ。己が心にて己が心に異見するは、柯(か)を取て、柯を伐(き)るよりも近し、元(もと)己が心なればなり。夫(それ)異見する心は、汝が道心なり、異見せらるゝ心は、汝が人心なり。寝ても覚ても坐しても歩行(あるい)ても、離るゝ事なき故、行住坐臥油断なく異見すべし。若(もし)己(おのれ)酒を好まば、多く飲む事を止めよと異見すべし。速(すみやか)に止(や)めばよし、止めざる時は幾度(いくたび)も異見せよ。其外驕奢の念起る時も、安逸の欲起る時も皆同じ。百事此(かく)の如くみづから戒めば、是(これ)無上の工夫なり。此工夫を積んで、己が身修(おさま)り家斉(ととの)ひなば、是己が心己が心の異見を聞(きき)しなり。此時に至らば、人汝が説(せつ)を聞く者あるべし、己修(おさまり)て人に及ぶが故なり。己が心にて己が心を戒しめ、己聞(きか)ずば必(かならず)人に説く事なかれ。且(かつ)汝家に帰らば、商法に従事するならん、土地柄といひ、累代の家業といひ至当なり。去(さり)ながら、汝売買(ばいばい)をなすとも、必金を設(もうけ)んなどゝ思ふべからず、只商道の本意を勤めよ。商人たる者、商道の本意を忘るゝ時は、眼前は利を得(う)るとも詰(つま)り滅亡を招くべし。能(よく)商道の本意を守りて勉強せば、財宝は求(もとめ)ずして集り、富栄繁昌量(はか)るべからず。必(かならず)忘るゝ事なかれ。
現代語訳
浦賀の人、飯高六蔵は口数の多い癖があった。暇乞いをして故郷へ帰ろうとする。翁は諭して言われた。おまえは故郷へ帰ったら、決して人に説教することをやめなさい。人に説くのをやめて、自分の心で、自分の心に意見しなさい。自分の心で自分の心に意見するのは、斧の柄を握って別の柄の寸法を測りながら削るよりも身近だ。もともと自分の心なのだから。意見する心はおまえの道心であり、意見される心はおまえの人心である。寝ても覚めても座っても歩いても離れないのだから、日常のあらゆる場面で油断なく意見しなさい。もし自分が酒を好むなら、飲みすぎるなと意見せよ。すぐにやめられればよいが、やめられなければ何度でも意見せよ。そのほか、おごりの心が起こるときも、安楽をむさぼる欲が起こるときも同じである。すべてこのように自分を戒めれば、これこそ最上の工夫だ。この工夫を積んで、自分の身が修まり家が整えば、それは自分の心が自分の心の意見を聞き入れたということだ。そのときには、おまえの言葉を聞く人も現れよう。自分が修まって人に及ぶからである。自分の心で自分の心を戒め、自分が聞き入れないうちは、決して人に説くな。ところでおまえは家に帰れば商売に従事するだろう。土地柄からいっても、代々の家業からいっても当然のことだ。しかし売買をするにしても、必ず金もうけをしようなどと思ってはならない。ただ商いの道の本意に努めよ。商人たる者が商道の本意を忘れれば、目先は利益を得ても、結局は滅亡を招く。よく商道の本意を守って励めば、財宝は求めなくても集まり、繁栄は計り知れない。決して忘れてはならない。
解説
この章句が説くこと
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『格言聯璧』持躬類・己の不是を見るは萬善の門衆の惡むは必ず察す、衆の好むを必ず察するは易し。 自ら惡むは必ず察す、自ら好むを必ず察するは難し。 人の不是を見るは、諸惡の根なり。 己の不是を見るは、萬善の門なり。 過ちと爲さずの三字、多少の良心を昧卻す。 奈何ともする沒しの三字、多少の體面を抹卻す。
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『呻吟語』内篇・修身・己が惡を攻むる者己が惡を攻むる者は、人の惡を攻むるに顧るを得ず。若し嘵嘵爾として人を雌黃せば、定めて是れ自ら治むること疏なる底ならん。
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『酔古堂剣掃』集醒・時時に檢點し得到る事無ければ便ち閒雜の念頭有りや否やを思ひ、事有れば便ち粗浮の意氣有りや否やを思ふ。意を得れば便ち驕矜の辭色有りや否やを思ひ、意を失へば便ち怨望の情懷有りや否やを思ふ。時時に檢點し得到りて、多より少に入り、有より無に入る、才かに是れ學問の真消息なり。
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『大和俗訓』巻之七・躬行下一夜にして後、けふのわが身のなせるわざを、よくかへりみて、ひが事あらば、後日のかがみとして、改めん事を思ふべし。毎夜かくの如くすべし。一人の身の上、さしあたりて為すべきこと多し。よく思ひて、油断なく、早くつとむべし。油断あれば、急なる事はさしおきて急がず、急ならざる事をいそぎて勤む。緩急をかんがへて、前後の次第を失ふべからす。さして用なき事をつとめ、いたづら事を好みて日をおくるは、はかなしといふべし。若き時は、殊にすべきわざにも心を用ひずして、むなしく過すこと多し。よくよく心をつくべし。
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『近思録』巻2 為学若し往来憧憧然として、其の私心を用ひて以て物に感ずれば、則ち思ひの及ぶ所の者は、能く感じて動く有るも、及ばざる所の者は感ずること能はざるなり。係る有るの私心を以て、既に一隅一事に主たれば、豈に能く廓然として通ぜざる所無からんや。君子の艱阻に遇ふや、必ず自ら身を省みて、失有りて之を致すかと。未だ善ならざる所有れば則ち之を改む。心に歉(あきた)らざる無ければ則ち勉めを加ふ。乃ち自ら其の徳を修むるなり。明に非ざれば則ち動くも之く所無く、動に非ざれば則ち明も用ふる所無し。習は、重ねて習ふなり。時に復た思ひ繹ねて、中に浹洽すれば、則ち説ぶなり。善を以て人に及ぼして信従する者衆し、故に楽しむべきなり。人に及ぼすことを楽しむと雖も、是とせられずして悶ゆる無きは、乃ち所謂君子なり。
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『大和俗訓』巻之七・躬行下一子曰、躬自ら厚くして、人を責むるに薄ければ、うらみに遠ざかる。言ふ意は、わが身の行をあつくし、十分に善くせんことを求めて、常に我が身の行のたらざる事を思ひて、つとめ行ふべし。人の足らざるをゆるして責むべからず。かくの如くすれば、人の怨なし。

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