二宮翁夜話 / 巻之一
某氏事をなして、過るの癖あり、翁諭して曰、凡そ物毎に度と云事あり、飯を炊くも料理をするも、皆宜しき程こそ肝要なれ、我が法方も又同じ、世話をやかねば行れざるは、勿論なれども、世話もやき過ると、又人に厭はれ、如何して宜しきや分らず、先づ捨おくべしなどゝ、云に至るもの也、古人の句に、「さき過て是さへいやし梅の花」とあり、云得て妙なり、百事過たるは及ばざるにおとれり、心得べき事也。
書き下し
某氏(それがし)事をなして、過(す)ぐるの癖(へき)あり、翁(おきな)諭して曰(いわ)く、凡(およ)そ物毎(ものごと)に度(ど)と云事あり、飯(めし)を炊くも料理をするも、皆宜(よろ)しき程こそ肝要なれ、我が法方も又同じ、世話をやかねば行(おこな)れざるは、勿論なれども、世話もやき過(す)ぐると、又人に厭(いと)はれ、如何(いか)にして宜しきや分らず、先(ま)づ捨(すて)おくべしなどゝ、云ふに至るもの也、古人の句に、「さき過(すぎ)て是さへいやし梅の花」とあり、云ひ得て妙なり、百事過ぎたるは及ばざるにおとれり、心得べき事也。
現代語訳
ある人に、物事をやり過ぎる癖があった。翁(尊徳)が諭して言われた。「およそ物事には『度(ほどよい程度)』というものがある。飯を炊くのも料理をするのも、みなちょうどよい加減こそが肝要だ。私の(仕法の)やり方もまた同じである。世話を焼かなければ事が運ばないのはもちろんだが、世話を焼き過ぎると、かえって人に嫌われ、どうすればよいのか分からなくなって、『もう放っておこう』などと言うに至るものだ。古人の句に『咲き過ぎてこれさえ嫌らしい梅の花』とある。よくぞ言い当てたものだ。あらゆることで、行き過ぎは及ばないことより劣る。心得ておくべきことだ」。
解説
尊徳は、何事にも「度」=ほどよい程度があると説きます。飯炊きや料理に火加減があるように、人の世話も焼かなさすぎては事が運ばず、焼きすぎればかえって嫌われて逆効果になる。「咲き過ぎてこれさえ嫌らし梅の花」の句を引き、盛りを越えた過剰は美しささえ損なうと諭します。これは報徳思想の中核である分度――自分や物事にふさわしい限度を見極め、そこにとどまる智恵――が、人づきあいや指導の場面にも及ぶことを示しています。「過ぎたるは及ばざるにおとれり」は、単なる中庸ではなく、過剰は不足より害が大きいという実践的な戒めです。現代でも、熱心な指導や手助けが度を越すと相手の自立を妨げ、関係をこじらせます。よき程を見極める分度の感覚は、仕事にも人間関係にも通じる大切な知恵です。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳分度中庸ほどよさ過不足
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