二宮翁夜話 / 巻之一
翁曰、今日は則ち冬至なり、夜の長き則ち天命なり、夜の長きを憂ひて、短くせんと欲すとも、如何ともすべなし、是を天と云、而して此行灯の皿に、油の一杯ある、是も又天命なり、此一皿の油、此夜の長を照すにたらず、是又如何ともすべからず、共に天命なれども、人事を以て、灯心を細くする時は、夜半にして消べき灯も、暁に達すべし、是人事の尽さゞるべからざる所以なり、譬ば伊勢詣する者東京より伊勢まで、まづ百里として路用拾円なれば、上下廿日として、一日五十銭に当る、是則ち天命なり、然るを一日に六十銭づゝ遣ふ時は、二円の不足を生ず、是を四十銭づゝ遣ふ時は二円の有余を生ず、是人事を以て天命を伸縮すべき道理の譬也、夫れ此世界は自転運動の世界なれば、決して一所に止らず、人事の勤惰に仍て、天命も伸縮すべし、たとへば今朝焚べき薪なきは、是天命なれども、明朝取来れば則ちあり、今水桶に水の無きも、則ち差当て天命なり、されども汲来れば則ちあり、百事此道理なり。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、今日は則(すなわ)ち冬至なり、夜の長き則ち天命なり、夜の長きを憂ひて、短くせんと欲(ほっ)すとも、如何(いか)ともすべなし、是(これ)を天と云ふ、而(しか)して此行灯(あんどん)の皿に、油の一杯ある、是も又天命なり、此一皿の油、此夜の長(なが)きを照すにたらず、是又如何ともすべからず、共に天命なれども、人事を以て、灯心(とうしん)を細くする時は、夜半にして消(き)ゆべき灯(ともしび)も、暁(あかつき)に達すべし、是人事の尽(つく)さゞるべからざる所以(ゆえん)なり、譬(たと)へば伊勢詣(いせもうで)する者東京(えど)より伊勢まで、まづ百里として路用(ろよう)拾円なれば、上下廿日(はつか)として、一日五十銭に当る、是則ち天命なり、然るを一日に六十銭づゝ遣(つか)ふ時は、二円の不足を生ず、是を四十銭づゝ遣ふ時は二円の有余を生ず、是人事を以て天命を伸縮すべき道理の譬(たとえ)也、夫(そ)れ此世界は自転運動の世界なれば、決して一所に止(とど)らず、人事の勤惰(きんだ)に仍(よっ)て、天命も伸縮すべし、たとへば今朝焚(た)くべき薪(たきぎ)なきは、是天命なれども、明朝取来れば則ちあり、今水桶に水の無きも、則ち差当(さしあた)て天命なり、されども汲(く)み来れば則ちあり、百事此道理なり。
現代語訳
翁(二宮尊徳)が言われた。今日はちょうど冬至である。夜が長いのは天命だ。夜の長さを憂えて短くしようと思っても、どうにもならない。これを天という。そしてこの行灯の皿に油が一杯あるのも、また天命だ。この一皿の油ではこの長い夜を照らし切れないが、これもどうにもならない。どちらも天命ではあるが、人の工夫によって灯心を細くすれば、夜半で消えるはずの灯も明け方まで保つ。これが、人が努力を尽くさねばならない理由である。たとえば伊勢参りをする者が、江戸から伊勢まで仮に百里、旅費が十円だとすれば、往復二十日として一日あたり五十銭にあたる。これがすなわち天命だ。ところが一日に六十銭ずつ使えば二円の不足が生じ、四十銭ずつ使えば二円の余りが生じる。これは人の工夫によって天命を伸び縮みさせられるという道理の譬えである。そもそもこの世界は自転運動の世界だから、決して一所にとどまらない。人の勤勉・怠惰によって、天命もまた伸び縮みする。たとえば今朝焚くべき薪がないのは天命だが、明朝取ってくればある。今、水桶に水がないのも差し当たっての天命だが、汲んでくればある。あらゆることがこの道理なのである。