二宮翁夜話 / 巻之一
禍福二つあるにあらず、元来一つなり、近く譬ふれば、庖丁を以て茄子を切り大根を切る時は、福なり、若し指を切る時は、禍なり、只柄を持て物を切ると、誤て指を切るとの違のみ、夫れ柄のみありて刃無ければ、庖丁にあらず、刃ありて柄無ければ、又用をなさず、柄あり刃ありて庖丁なり、柄あり刃あるは庖丁の常なり、然して指を切る時は禍とし、菜を切る時は福とす、されば禍福と云も私物にあらずや、水もまた然り、畦を立て引けば、田地を肥して福なり、畦なくして引くときは、肥土流れて田地やせ、其禍たるや云べからず、只畦有ると畦なきとの違のみ、元同一水にして、畦あれば福となり、畦なければ禍となる、富は人の欲する処なり、然りといへども、己が爲にするときは禍是に随ひ、世の為にする時は福是に随ふ、財宝も又然り、積で散ずれば福となり、積で散ぜざれば禍となる、是人々知らずんばあるべからざる道理なり。
新字:禍福二つあるにあらず、元来一つなり、近く譬ふれば、庖丁を以て茄子を切り大根を切る時は、福なり、若し指を切る時は、禍なり、只柄を持て物を切ると、誤て指を切るとの違のみ、夫れ柄のみありて刃無ければ、庖丁にあらず、刃ありて柄無ければ、又用をなさず、柄あり刃ありて庖丁なり、柄あり刃あるは庖丁の常なり、然して指を切る時は禍とし、菜を切る時は福とす、されば禍福と云も私物にあらずや、水もまた然り、畦を立て引けば、田地を肥して福なり、畦なくして引くときは、肥土流れて田地やせ、其禍たるや云べからず、只畦有ると畦なきとの違のみ、元同一水にして、畦あれば福となり、畦なければ禍となる、富は人の欲する処なり、然りといへども、己が為にするときは禍是に随ひ、世の為にする時は福是に随ふ、財宝も又然り、積で散ずれば福となり、積で散ぜざれば禍となる、是人々知らずんばあるべからざる道理なり。
書き下し
禍福二つあるにあらず、元来(がんらい)一つなり、近く譬(たと)ふれば、庖丁(ほうちょう)を以て茄子(なす)を切り大根を切る時は、福なり、若(も)し指を切る時は、禍(わざわい)なり、只柄(え)を持て物を切ると、誤(あやま)て指を切るとの違(たが)ひのみ、夫(そ)れ柄のみありて刃無ければ、庖丁にあらず、刃ありて柄無ければ、又用をなさず、柄あり刃ありて庖丁なり、柄あり刃あるは庖丁の常なり、然(しか)して指を切る時は禍とし、菜を切る時は福とす、されば禍福と云ふも私物(しぶつ)にあらずや、水もまた然り、畦(あぜ)を立てて引(ひ)けば、田地を肥(こや)して福なり、畦なくして引くときは、肥土(こえつち)流れて田地やせ、其禍たるや云べからず、只畦有ると畦なきとの違のみ、元同一水にして、畦あれば福(さいわい)となり、畦なければ禍(わざわい)となる、富は人の欲する処なり、然りといへども、己(おの)が爲(ため)にするときは禍是(これ)に随(したが)ひ、世の為にする時は福是に随ふ、財宝も又然り、積(つ)んで散(さん)ずれば福となり、積んで散ぜざれば禍となる、是(これ)人々知らずんばあるべからざる道理なり。
現代語訳
禍と福は二つ別々にあるのではなく、もともと一つである。身近な譬えでいえば、包丁で茄子や大根を切るときは福であり、もし指を切ればそれは禍だ。ただ柄を持って物を切るのと、誤って指を切るのとの違いにすぎない。そもそも柄だけあって刃がなければ包丁ではないし、刃があって柄がなければ用をなさない。柄も刃もあってこそ包丁であり、柄と刃があるのは包丁の常態だ。それなのに指を切れば禍とし、菜を切れば福とする。とすれば禍福とは人の勝手な見方から出たものではないか。水もまた同じである。畦を立てて水を引けば田を肥やす福となり、畦なしに引けば肥えた土が流れて田は痩せ、その禍は言い尽くせない。ただ畦があるかないかの違いにすぎない。もとは同じ一つの水で、畦があれば福となり、畦がなければ禍となる。富は誰もが欲するものだ。しかし、自分のためだけに使えば禍がついてまわり、世のために使えば福がついてくる。財宝もまた同じで、蓄えてこれを散じ(世に施し)用いれば福となり、蓄えて散じなければ禍となる。これは人が知らずにいてはならない道理である。